おわりに

 本書は,子どもと家族に関する紛争に関わる専門家,すなわち弁護士などの法律専門家や家事調停委員は無論のこと,カウンセラーなどの心理臨床家や児童相談所・女性相談所の職員などのための実務書であるが,単純な家族法に関する解説書ではない。
 家族紛争に関して適用される法律はそれほど複雑なものではない。しかし離婚,子の奪い合い,遺産分割など家事事件では,一般民事事件に比べ感情的対立の激しい場合が多く,当事者は必ずしも単純な経済的利害得失に重点をおいて意思決定しない。また当事者だけではなく家族も含め心理的に混乱し強い憤りや不安を抱いている人が多いため,弁護士や調停委員など第三者による法的なアドバイスを直ちに冷静に理解し判断することが難しい。そのため法律相談を聞く弁護士としても,相談者との接し方や相手方への対応の仕方に難しさがある。
 たとえば法律的な結論を出すのに必要な事情だけを聞き取って法律や判例はこうなっている,と説明するだけでは納得できない場合が多いから,法律的に無関係と思われるような事柄も含めてじっくり当事者の話を聞いて,依頼者の気持ちに共感しつつ問題点を整理し,法律的な枠組の中で,相談者にとって具体的に妥当な解決を(積極的にか消極的にかは別として)当事者自身が選択できるようにアドバイスする必要がある。また一般の民事訴訟事件では,事実関係の調査確認,証拠の収集提出,事実関係と法律的な主張の書面化,そして証人尋問が弁護士の活動の中心になるが,家事事件の場合,法律知識だけで解決できる単純な事件が弁護士のところに持ち込まれることは少なく,依頼者の心理面への理解と援助や人間関係の調整など,当事者への時間をかけたかかわりが必要で重要な事件が少なくないのである。
 私は依頼者の代理人たる弁護士として,また家事調停委員として,日常的に家事事件に関わっているが,ちょうど本書編集のお話がある前に,家庭裁判所の調停委員有志の方々の集まりに呼ばれて,家事事件における弁護士の役割についてお話させていただく機会があった。その際に複数のベテラン調停委員の方から,「最近の若い弁護士の中には,相手と最初に意見が対立するとすぐに『法律や判例ではこうなっているのに,どうしてその通り相手を説得してくれないのか。相手がそんな主張をするなら調停を打ち切ってください』などと言ってくる人がいる。また自分の依頼者が理不尽な要求をしているにもかかわらず依頼者をまったく説得しようとしない弁護士も増えているように思う。調停の中でお互いに譲歩して解決しようという意欲が感じられないのだが……」という声を聞いた。その調停委員の感想を直ちに一般化することはできないが,思い当たる節がないではない。
 司法試験制度が改革されて,2004年に法科大学院(ロースクール)が創設され,それまで年間500人程度だった司法試験合格者は現在2,000人を超え,最終的には3,000人程度になる予定であるが,その大部分は弁護士になる。そしてかつて2年間あった司法修習(司法試験合格後,実地に弁護士・裁判官・検察官の指導を受けながら実際の仕事の一部を担当し,あるいは傍聴するなどの方法で行われる研修)の期間は1年間に短縮された。弁護士になったあとも,民事事件や刑事事件に比べると,家事調停など家事事件における依頼者との接し方・依頼者との「間合い」などについて先輩弁護士から時間をかけて十分なトレーニングを受ける弁護士は必ずしも多くない。その結果が,先に述べた某調停委員の嘆きにつながっている可能性があるのではないか,と思われるのである。
 そこで家事事件に関わる若手の弁護士やロースクールの学生向けに,家族紛争を解決に導くために必要な法律面の知識・ノウハウだけでなく,むしろ当事者の心理面への配慮および援助の必要性,勘どころについて触れた実務書が必要ではないかと考えた次第である。
他方子どもと家族に関する紛争の解決にかかわる心理臨床家や児童相談所の職員など非法律家の専門職の方々にとっては,「はじめに」で廣井教授が述べておられるように家族法の基本的な法知識が必要であるとともに,司法分野において家裁調査官や弁護士が当事者に対しどのようなかかわりをもちながら紛争解決に導くのかを知ることが有用である。
 さて本書は,ご覧いただいたように総論部分に続いて夫婦関係,親子関係,それ以外の親族関係のそれぞれの分野で実務経験豊富な家裁調査官と弁護士,裁判官が,当該紛争解決に必要な法と臨床,そして両者の協働について論じている。弁護士にとっては児童虐待防止法や高齢者虐待防止法など普段さほど接することが多くない法律についての基礎知識を得ることができるとともに,家裁調査官や弁護士が法律的な枠組の中で実際に行なっている臨床的アプローチによる紛争解決の重要性について学ぶことができるであろう。また非法律専門家にとっても,家族関係の各分野における紛争解決に必要な法知識を得ると同時に,家裁調査官と弁護士の臨床的アプローチの実際とその中で臨床専門家の果たすべき役割を知ることができるであろう。
 従来,心理臨床家向けの法律の概説書はあったが,家裁調査官という裁判所における臨床実務家と法律実務家が,法と臨床の協働に焦点を当てて家族紛争の各分野について論じたものはなかったのではないかと思う。
もともと本書は,従来から「司法臨床」(離婚,DV,児童虐待,少年非行など司法領域と密接に関係する諸問題に対して,司法的機能と臨床的機能の両者の交差領域に浮かび上がる問題解決機能によって家族や子どもたちを援助する独自のアプローチのことをいうが,狭義には司法機関としての家庭裁判所の調査,審判過程において展開される臨床実践を指す)を提唱し,精力的に論じてこられた廣井教授の企画されたものである。本書が,家族紛争に関わる弁護士にとっても心理臨床家や児童相談所職員などの非法律家にとっても,家族紛争解決のために有用なものとして広く読まれることを願っている。

中川利彦