監訳者あとがき

 原題The Skipping Stoneが本書の内容をまさに表している。石を水面すれすれに思い切り投げると,水面を跳ねながら飛んでいく。そして,石が触れた点からいくつもの波紋が広がっていく。誰かが重い精神の病にかかったときに,その影響が強い絆のある人にも次々に広まっていく様子を,この原題が巧みに表現している。  私が精神科医になって三十年が経過した。本書を読んでいて,研修医を終えて間もなくの頃の出来事がふと記憶に蘇った。中年のうつ病の女性を外来で治療していた。病状がすっかりよくならないものの,なんとか家事も仕事も続けていた。しかし,ある時期,症状が急性に悪化してしまい,外来で支えていくのが難しいと判断して,短期間の入院を勧めた。嵐が過ぎるまで一時期だけ船を港に避難させて,天候の回復を待とうというようなことを伝えて,入院を助言したように覚えている。患者さん自身は入院治療に同意した。その日はいったん帰宅して,家族と話し合ったうえで,入院の支度をしてからあらためて来院すると言って,病院をあとにした。  そして,入院の予約日になったのだが,患者さんは姿を現さなかった。しばらくして,電話が入った。聞き慣れた患者さんの声だったので,一安心したのだが,その次の言葉に唖然とした。  患者さんは自宅に戻り,その夜遅く,ご主人と長女(三人子どもがいるが,年長の娘で短大生)に,入院を勧められたことを伝えたという。 入院についての話がひと通り終ると,ご主人が「いっそのこと,皆で死のうか」とポツリと漏らした。患者さんも娘もその意外な一言に驚いたのだが,妻と娘の強い反応を見て,ご主人は「冗談だよ。冗談,冗談」としきりに言い訳をした。そして,夜も遅いからもう休もうということになった。  しばらくして,長女が両親の寝室に戻ってきた。そして,「農薬を飲んじゃった」と涙声で打明けた。両親はすぐに救急車を呼び,娘を病院に搬送した。  さて,この出来事を前にして,一体,私はどうすればよかったのだろうかと頭を抱えてしまった。入院を勧めたのは,外来治療だけでは十分に効果が期待できなかったので,一時期だけでも休養と治療に専念できるようにしようとの判断であった。あくまでもよかれと考えて助言したのだが,予想もしなかった反応を引き起こしてしまったのだ。  慢性のうつ病にかかっている母親の代わりに,幼い時から長女は家事や弟や妹の世話をしてきた。短大の卒業や就職を前にして,彼女自身もさまざまな心配事があったようだ。そこに母親の入院の話が持ち上がり,不安は一挙に強まった。母親がうつ病にかかり,それも入院が必要だとされるようになった場合,当然,影響は子どもにも及ぶ。まだ短大生の長女がいかにそれを深刻に受け止めたのかまでは,十分な臨床経験のない私には理解できていなかったと認めざるを得ない。  若い患者さんを治療していくうえで,親に病状を説明し,どのように患者さんを支えていくか詳しく説明することは当時の私も行っていた。 しかし,中年の患者さんの治療に際して,配偶者に病状を説明することはあったとしても,子どもにまで説明することは思いもよらなかった。家族の誰かが重い精神の病にかかったときに,それが他の家族に及ぼす影響に十分に注意すべきであることを痛感させられた経験であった。重い精神の病にかかるということは,強い絆のある人にさまざまな深刻な影をもたらす。本書を読んでいて,あらためて臨床家としての苦い経験を思い出した。  本書の著者は,臨床家として,研究者として,そして重い精神の病にかかっている息子の母親として,患者さんの言動をどう理解し,どう対応すべきかを丁寧にそして温かく解説している。身近に重い精神の病にかかっている人がいる人は,本書を読むと,自分の感情や日頃抱えているさまざまな問題の答えを各所に見出すことができるはずである。また,私同様に,治療や看護にあたる臨床家は,日々,患者さんを支えている家族が抱える悩みがどのようなものかに気づき,その要求にどう応えるべきかの鍵を見つけることができるだろう。  本書は一九九五年にアメリカで出版されて以来,広く読み続けられてきた良書であり,柳沢圭子さんのすばらしい翻訳で,とても読みやすい日本語になっている。重い精神の病(本書で取り上げるのはとくに慢性の統合失調症が主である)にかかっている人に日々接する立場にいる人々(家族,親戚の人々,友人,職場の仲間,医療従事者など)にぜひ本書の一読を薦めたい。

高橋祥友