はじめに

 (躁)うつ病の歴史は長く,古来より精神疾患の中核的課題として知られてきた。しかしながら統合失調症と比較して,その精神病理は了解可能であり,病像も比較的一定しており,統合失調症のように多彩ではなく,精神力動も複雑でない例も多く,理解し易く,なおり易い疾患とみなされてきた。ところがこの半世紀以上の時代の流れは,本疾患が疫学的に有病率が高いこと,治療も難渋する例が増加していること,複雑な要因が関与することなどを次第に明らかにしている。
 うつ病治療は1959年に抗うつ薬イミプラミンが臨床に導入されて以降,大きく進歩し,「休養」と「服薬」の定式的治療で多くの患者の治療は可能であり,うつ病は「心のカゼ」であり,誰もが罹患するが,すぐなおるという受け止め方が,患者から一般医までの共通の認識となってきた。ところが,昨今は,難治性うつ病,非定型うつ病,双極U型障害のうつ状態,いわゆる現代型うつ病など従来型のうつ病治療では対応できず社会的な話題となっている疾患もみられている。さらに不安性障害や他の疾患とのコモビディティは,それぞれの疾患の経過や予防に大きく影響する。
 抗うつ薬についても安全で効果的とされ,第一世代,第二世代の抗うつ薬を経てSSRI,SNRI,NaSSaの時代に突入しているが,その効果自体の見直しや,副作用についての危惧などから再検討の時期を迎えている。英国のNICEのうつ病治療ガイドラインは,「軽症うつ病には抗うつ薬の投与を控え精神療法で治療せよ」と述べている。
 さて女性のうつ病に目を転じると,さらにいくつかの課題に直面する。WHOが主導する全世界28カ国の国際共同研究である世界精神保健調査の日本調査によると,日本全国11地区の4, 134名の一般住民の生涯有病率は6.16%(約16名に1人)であり,男性の3.84%に対して女性は8.44%と実に2.2倍であった。従来より内外の調査結果は女性の有病率は男性の約2倍であることを示しているが,わが国でも女性優位が如実に明らかにされている。女性のライフサイクルにおいては,男性とは異なる生理的,社会的側面がある。初潮,妊娠,出産,授乳,更年期などホルモンバランスの変化にさらされる。さらに家事,育児,介護など社会的役割りも男性よりはるかに多い。生理的にも心理的にも疲憊状態になり易く抑うつに傾き易い。完全欲が強く過剰な義務感を感じ易い女性ではより悪循環に陥り易い。単に生物学的側面からの観点のみでなく心理社会的側面からの包括的,総合的視点が必要なことは,女性の置かれている社会的状況からも明らかである。
 本書は,女性のうつ病について,精神科医のみならず臨床心理や社会学の専攻者も参加し,女性の生理的,心理社会的特徴を女性のうつ病に欠かせない視点として考察すると同時に,それらがうつ病の発症にどのように関連し治療上どのような配慮が必要かを明らかにしようと試みたものである。繊細で傷つき易い女性の心理社会的側面を重視しながらの教育的支持的なアプローチの方策が本書のメインテーマとして貫かれている。著者は全員第一線で活躍中の女性臨床医や臨床心理士,社会学者であり,正に「女性による女性のための」うつ病ガイドブックになっている。
 日本社会の活性化のための女性の活躍は不可欠である。女性が良き環境のもと,ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を実現し,メンタルヘルスが健全であることこそ,その原動力となるであろう。
本書が,よりきめ細かく,柔軟で,人間味あふれる臨床の実践のために役立つことを願っている。
なお出版に際しては,金剛出版出版部の皆様に大変お世話になった。心より御礼申し上げたい。

2010年5月 上島国利



〈註〉 1980年のDSM-V発刊以来「(躁)うつ病」の呼称は「感情障害」さらにDSM-V-R(1987)以降は「気分障害(mood disorder)」になり,現在は世界的には「気分障害」が一般的になっている。しかしながらわが国の臨床においては「うつ病」という慣れ親しんだ呼称は依然としてよく使われており,実際的である。そこで本書でも「うつ病」という術語を用いているが,この用語は「単極性うつ病」とほぼ同義とお考えいただきたい。