あとがき

 1981年に初めてエクスナー博士に国際ロールシャッハ及び投映法学会の第10回Washington大会でお目にかかりましたが,それが私にとって包括システムとの出会いとなりました。
 ヨーロッパ開催を常としていたこの大会が,初めてアメリカで開催されたこともあって大変張りきっておられたのが印象的でした。その意味では,それから30年経って2011年に日本で国際ロールシャッハ及び投映法学会第20回大会が開催されるのは個人的にはとても感慨深く思えます。以降1984年にはスペインのBarcelonaで,1987年にはブラジルのSan Pauloで開催された国際ロールシャッハ大会でお目にかかったものの,どれもお目にかかったにすぎませんでした。私がエクスナー博士のRorschach Workshopsに出かけるきっかけは,このSan Paulo大会でエクスナー博士と共同研究発表をしていた若い女性研究者が,「博士がハワイでワークショップをやるのですが,ハワイは日本から近いのでは?」と誘ってくれて以来エクスナー博士が当時年1回発行していたAlumni News Letterという情報冊子を彼女が届けてくれるようになったことからでした。
 私の包括システムの学び方は,実に非効率的で,コストもかかり決してスマートなやり方ではなかったと思います。アメリカ大陸でも東海岸より北にあるAtlantaからさらに飛行機を乗り継いで1時間のAshevilleに出かけ,そこでエクスナー博士が毎年行なっているRorschach Workshopsのプログラムへの参加は計20回を超えました。さらにその他の都市で開催されたワークショップに参加したのも加えるとさらに多くなります。1988年から2005年までの17年間,年中行事のようにして通って学べたのは,不便で遠かったからかもしれません。それゆえにモチベーションが上がって,学ぶ意欲が掻き立てられたといえるかもしれません。また,重厚な空気の漂う緊張感に包まれて25人くらいの専門家が集まって学ぶ寺子屋のような雰囲気の中で,エクスナー博士の自由で闊達な解釈をじっくり聞くと,帰国してからの自分の臨床にすぐに生かせる知恵が満載のワークショップだったのです。参加するたびに得るものが大きく,労力よりも学べる楽しみが勝っていたのだと思います。
 おそらく10年ほど前にエクスナー博士に,自分がやっているロールシャッハの5日間の基礎講座はエクスナー博士の2つのケースを使っているので,エクスナー博士と連名でテキストにさせてもらうのはどうだろう,と相談させていただいたことがありました。その時の博士のお返事は「それはいい,好きにしたらいい」でした。
 許可をいただいたものの,このエクスナー・ジャパン・アソシエイツ(Exner Japan Associates : EJA)の講座は,藤岡淳子,中村伸一諸氏とともに1989年に3人で包括システムのロールシャッハの勉強会を始めようと立ち上げたのが始まりで,それぞれが一人ずつ紀恵理子,佐藤豊,木村(佐藤)尚代の諸氏を仲間に誘って6名でスタートしたものでした。その後,メンバーは増えて,寺村堅志,渡邊悟,岩井昌也,永井幸子,市川京子の諸氏が加わって,にぎやかで活動的な時代を迎えました。そしてついに,1992年にはエクスナー博士が来日してワークショップをしてくださることになり,このEJAのメンバーで講座を開催して,それぞれが講師となって,持ち回りで博士のワークショップの理解を事前に深めるための講座を始めることになりました。ですから,エクスナー博士にテキストにしてもいいよ,と言われても,もともとはEJAのメンバーが持ち回りで講座をやっていたものなので,このたびにわかに私一人がそれをまとめてもいいのかという迷いはありました。
 EJAのメンバーは,その後それぞれキャリアを積んだり,あるいは家庭を持ったりと発展解散しました。そして気がつくと,1995年頃からは私が一人でEJAの講座を切り盛りするようになっていました。それから15年経って年3回5日間の基礎講座を毎年開催して,少しずつ工夫を凝らしたり,参加者からの有益な質問を多数いただくうちに講座は少しずつ成熟し,まとまりのあるものになっていったように思います。エクスナー博士が2005年に亡くなられて以降は,恩師との約束を果たしていない違和感のほうが大きくなってきて,最近はいくらなんでも何とか“かたち”にしなくては,と強い意志が自分の中から芽生えてきました。幸いなことに,エクスナー博士のご子息のクリストファー・エクスナー氏が,亡き父上と同じように「どうぞご自由に,教科書として役に立つように作業を進めてください」と2つのケースを使うことを含め,私がこのように講座を本にまとめることを許可してくださいました。
 時期とタイミングというのはとても大事だと思います。なぜならば,私は自分がロールシャッハの教科書を書くことは毛頭考えていなかったからです。教科書はあくまでもエクスナー博士の著書に戻るべきだと思っていました。アメリカでも,ヨーロッパでも包括システムを学ぶのに,The Rorschach : A Comprehensive Systemを傍らに置かず,別のテキストで勉強を始める専門家はいません。「この教科書に目を通さずしていかに学べようか」という感じです。ですから,ともかく野田昌道氏とともに2009年に『ロールシャッハ・テスト―包括システムの基礎と解釈の原理』(金剛出版,2009)(John E. Exner Jr.. Ph.D., The Rorschach : A Comprehensive System Vol.1 : Basic Foundations and Principles of Interpretation , 4th Edition, John Wiley & Sons, 2003)の教科書を訳出することができて,ようやく本分を全うした思いでした。それとともに,この教科書を傍らに置いて,いつもやっている講座の内容を盛り込んだサブテキストがあれば教科書の解説役を果たすことができるかもしれないし,それは包括システムを真に学ぼうとしている方々のお役にたつかもしれないと,前向きな気持ちが起こってきて,本書について真面目に取り組むようになりました。
・・・・・・中略

 ここに収めましたのは5日間の基礎講座のおよそ半分の内容にあたります。引き続き残りの2日半の講座の内容は続刊としてお届けいたします。続刊の「解釈篇」では,コーディングの確認,施行法について,構造一覧表の作成について,そして解釈の実際についてエクスナー博士のお気に入りの2つのケースを用いて学びます。私は,基本的にはライブでの講座が好きです。ここに書かれたことと基礎講座の5日間は“全く同じ”ではありませんので,このテキストで学んだあとにEJAの講座においでいただいてライブで学ぶ機会もご一考ください。また,かつて基礎講座に参加された皆様には,どうぞ懐かしい内容について本書をお手にとって“ゆっくり”読み進めてご確認ください。実学であるロールシャッハ法は,講座に一度参加しただけでは分からなくても当然です。私も基礎講座には二度参加しました。そして三度目は教える立場になるときに講師の目線で学び直しました。
 しつこいようですが,この本だけでなく,必ず『ロールシャッハ・テスト―包括システムの基礎と解釈の原理』を傍らに置いて学んでいただけますようにお願い申し上げます。最新の文献や,研究が満載ですから,どのような実証的な研究が実際になされて解釈仮説が導き出されたのかを確認していただけると,さらに納得できることが多いはずです。

 最後に,ここにお名前を挙げられなかったかつてのEJAのメンバーも含め皆さんに感謝致します。今までの私たちの足跡をこのような形でまとめさせて頂いたことにお礼を申し上げたいと思います。
 皆様のロールシャッハ・ワールドがさらに豊かで力強いものになりますように,そしてその元気が的確なアセスメントとしてさまざまな臨床現場で生かされますように,心から願って,一旦筆を擱きます。

中村紀子 2010年6月