はじめに

 この小論は,筆者の医学博士学位論文として1997年に作成された大部の論文に修正を加えたものである。本質的なところには全く改訂を加えてはおらず,疾病の呼称変化,文献の間違いなどに対応してわずかに訂正したのみである。論文提出当初,基礎医学的研究が主流を占める医学界の常識から考えて,筆者の論文は「長すぎる,多方面の研究が列記されており,ライフワークに匹敵する分量である」ということで,簡潔な論文化を求められた。そこで,第T部第1章・第2章から,2編の論文をまとめ,学術誌に投稿し採用されたため,そのうちのひとつを基に「精神分裂病犯罪者の司法責任能力判定に寄与する要因の検討(博士論文)」として簡潔な学位論文が誕生した。
 このライフワークに匹敵するという論文から,これまでのところ,上記2論文を含めて,4編の学術論文が生まれた。その他に,5章の拡大版として,最近のロールシャッハ分析研究「統合失調症犯罪者の統計学的ロールシャッハ分析―認知と気分の視点から」(2009)を含めた,総合的な統合失調症犯罪研究として,ここに上梓できることを嬉しく思う。
 裁判員制度の実施に伴い,統合失調症犯罪を検討することは,司法精神医学者のみならず,他専門の精神医学者,司法関係者,一般市民にも要請される事態になってきている。裁判員の自由意思で犯罪者の量刑が判断されるこの時に,その一端を科学的客観的かつ事例に即して知ることができる本書は,多少難解な用語もあるが,一般の人々にも目を通して参考にしていただければ嬉しく思う。
 小論研究を始めた1994年当初は,まだ,統合失調症者の治療に,デイケアなどは盛んではなく,代替補完医療の導入もごく一部の医療機関に限られていた。気功の治療効果を探索し患者さんのQOLを改善する目的で始めた介入研究も当時としては奇抜な試みであったのかもしれないが,その後15年を経て,デイケアなどで気功やヨガ,工芸などが当たり前のように取り上げられる状況がみられるようになり,隔世の感がある。
 この状況をもたらした一つの重要な要因は,抑制作用の弱い非定型向精神薬の開発と普及によるところが大きいと思われるが,精神障害者の権利擁護の観点から,種々の治療法が開発導入されつつあるということもあり,いずれも筆者の喜びとするところである。
 また,1950年代以降,薬物療法に排他的に大きくシフトした精神科治療への反省から,今日では患者さんの「生活臨床」「生活療法」の視点の再評価がなされ始めている。有効な薬物治療が少なかった当時は,医師をはじめとする病院スタッフと患者さんがともに農業などの作業療法に汗を流し密に交流したという。そういう人間的触れ合いは,薬物を介してもできることであり,同じ人間として,病める者と労わる者としての医師患者関係の在り方を見直す契機を孕んでいると考える。本書がそのきっかけになれば幸いである。

村上千鶴子