あとがき


鑑定の公式化について

 1999年の学位論文提出以来,2005年7月からの「医療観察法」(略称)の施行,本年2009年5月からの「裁判員制度」実施と司法界も大きな動きをみせてきている。統合失調症者の治療においても,近年の疾病の軽症化に合わせて,その処遇の多様化が推進され,精神障害者がいくらかでも過ごしやすい社会情勢になってきたといえよう。しかし一方で,統合失調症犯罪に対する社会の目は,犯罪報道がなされるたびに厳しいものになってきている。疾病への理解を促進するとともに,疾病による行動の責任範囲を明確化する必要が今ほど求められる時はないのではないだろうか。その一助として,責任能力の数式化が客観的指標として広く受け入れられることは意義のあることといえよう。
 精神鑑定の公式化は,われわれの優秀な先達も試みてきたが,司法精神医学界ではなじまないということで進展をみせることもなく経過している。しかし,裁判員制度の導入により,責任能力の決定過程を一般市民にも理解しやすい形で提示する必要が生じてきている。その一つの方策は,専門用語ではなく,一般市民の言葉で,所与の社会における歴史や文化を配慮して責任能力を捉え直すことであり,もう一つは,公式化によって,責任能力を構成する要件を明確に提示することであろう。公式の詳細な検討により,評価者の間で齟齬の大きい要因は何なのか,それはいかにしてもたらされたかといった細部の相違を検討することも可能になる。
 公式化からみえてくるものを参照することは,より客観的な評価に近づけるであろうし,また所与の歴史や文化要因を変数に組み入れたより概括的な公式を作成する道も開かれていると考える。公式化の弊害は,それが一旦できると金科玉条とする性癖が人間にはあるということであろう。ある種の偶像崇拝にも似たその性癖は,公式の罪ではなく,それを運用する人間の怠惰のなせる業である。その意味でも,公式は常に検証改良される必要があることは言を俟たない。さまざまな手法を用いて,責任能力論を活発化することには大いに意義があり,公式もそのひとつとして存在することは許容されて然るべきであろう。
 公式の存在に頼りすぎる懸念を払拭するためには,公式に「補完的公式」と名称をつけ,またそれが,所与の疾病の評価や社会の許容度に合わせて改善しなければならないものであるという視点から,「補完的暫定公式」と銘打って使用すればよい。あるいは,3年ごと,5年ごとに見直しを取り決めるというのもよい方法かもしれない。それによって,平明性,公平性や客観性が担保されるのであれば多少の手間は甘受すべきであろう。
 また,裁判員制度の導入によって,専門家ではない裁判員にもわかりやすい簡便化された鑑定書の書式が求められている。他の公式書類と同様に標準化された書式の作成が検討されている。あるいは,一つの事件に複数の鑑定が出る場合,裁判員がそれを検討するのは能力を超えるという見解もある。そのためには鑑定の一本化が望ましいとされているが,早計にそれを勧めることは難しい。むしろ異なった立場から異なった意見を出し,それを議論することにも意味があるのではないだろうか。異なる鑑定書を評価する際にも公式に準拠すれば,詳細な相違が明確に議論できる。
 さらに,責任能力判定には,事例モデルから鑑定の標準化を図るよりも,経験主義を重んじる法曹界にあっては,レトロスペクティブな視点から帰納的に個々の事例を検討集積して責任能力判定をするのがふさわしいという意見が優勢であろう。そのような場合には,全体を俯瞰する目安として,帰納的に導き出された鑑定公式を作成することは有意義であろう。
 公式の存在によって,漠然とした考えではなく,個々の要素に注目した議論が可能になること,また,母集団を,鑑定に手慣れた優れた鑑定者の結果を用いて構成することで,より適切な指標として機能させることができよう。専門的に鑑定の訓練を受けた精神科医の数は限られており,医師であれば鑑定者になれる現状では,その鑑定結果には,信頼性,妥当性,合理性,客観性,論理性に疑義があるものも含まれている可能性がある。裁判員制度が導入されて,精神疾患に関する専門知識のあまりない一般市民が精神障害犯罪者の処遇を決定する事態にあっては,簡潔でありながら,より客観的で細部まで明確な情報提示が望まれる。
 犯罪者処罰のあり方と障害者の保護治療のはざまで,障害犯罪者にとっても一般市民にとってもよりよい処遇の道が熱心に模索されなければならない。筆者のように,司法精神鑑定になじみ,精神科治療に携わる者は,精神障害者,とりわけ統合失調症者の幻覚・妄想にとらわれた異常行動が,多分に自我異和的で,本人の意思判断からは乖離した行動であることが理解される。また,疾病により思考の枠組みが変化したために生起する問題行動が自我親和的でありながら,なお疾病過程のためであれば,自由意思でなされた行為とは判じ難いことが理解される。しかし,これらは,一般の人々には,自分の自由意思でなされた犯罪行為と映ることもあるだろう。
 一般に統合失調症患者の病前性格は,素直でおとなしいといわれており,統合失調症者全体の犯罪生起率は,一般人口の犯罪生起率よりもずっと低い。むしろ病者の治療・保護・管理に問題がある場合が少なくないのではないだろうか。入院中は病院が責任を持って保護・治療するが,退院後,適切な保護者が存在しない場合には,服薬遵守が行われず,病勢が増悪し,行動化が生起する場合もある。現在は,通院継続のため,仲間との居場所作りのために,広範なデイケア・プログラムも提供されるようになってきた。それでも,通院治療から遠のく場合には,精神保健福祉士(PSW)が家庭訪問し,状況の把握と通院の必要を納得してもらう努力をしている医療機関もある。また,患者のイライラや焦燥といった精神症状に対して,医療機関が十分に対応できないまま,暴行,傷害といった行動化が生起する場合もある。
 それが症状に起因して生起したのであれば,まず何よりも治療が優先されるべきであろうし,その時の事理弁識能力,抑制能力の程度によって,処罰の決定がなされるのは妥当であり,その評価には,精神医学者の専門的意見,社会通念の考慮が重要なのは言を俟たない。その意味で,統合失調症者の病的体験,定常的論理構造変化に起因する犯罪行為に関しては,病者本人よりも,行政,医療機関,保護義務者の側により大きな責任が存する場合が少なからずあると考える。

質的論理構造変化について

 小論の諸研究から,統合失調症犯罪を生起させる要因として,幻覚妄想などの病的体験,衝動攻撃性の亢進の他に,認知障害の一種である質的論理構造変化の要因の重要性が指摘された。当初は,太古的思考,自閉思考を指していたこの概念も,研究が進むにつれ洗練されて,思考内容の障害が定常的に存在する状態として概念化されるに至った。疾病の増悪期にはみられた幻覚妄想に基づく異常行動は,病勢の消退や薬物投与によって収まる場合が多いが,その論理の質的変化が定常的に継続する場合がある。それには,幻聴などの精神症状が薬物によって十分コントロールできずに継続する場合,ある程度の鎮静化はなされていても,その状況に適合するべく論理構造の枠組みに変化がもたらされることがあると考えられる。
 そのような状況では,日常的に幻聴と論理構造変化により規定される統合失調症者の行動が粗暴になることはある程度予測できると考える。実際,病院臨床場面で暴力性が問題になる患者の場合,この定常的かつ質的論理構造変化をきたしている場合が少なくない。それも直近の発症ではなく,慢性化した症例の場合によく該当する。つまり,Zubinらも述べているように,長い疾病経過のうちに,症状の増悪が何度か繰り返され,そのうちに消失しない幻覚に合わせて自己の妄想的論理世界を再構築することになるのではないだろうか。
 そうであれば,妄想のもとになっている幻覚,特に幻聴を鎮めることによって,あるいは幻聴であることの自覚を促す教育によって,暴力性の惹起が緩和される可能性を示唆している。そのような視点を含めて統合失調症者の治療に当たる必要があるのではないだろうか。その他の暴力性との関連要因としては,反社会性人格障害との併存,衝動攻撃性が亢進した場合が当てはまる。患者の必要に応じて,認知行動療法,弁証法的行動療法などの心理療法も積極的に併用されることが望ましい。医師はもとより,コメディカルスタッフの丁寧で誠実なケアが患者のストレスを軽減し,治療に良い効果をもたらすことは容易に想像される。
 効果的に薬物を使用し,かつ薬物以前に国立施設などで実施していたともに作業する姿勢も取り入れることが望ましい。臺弘は,薬物治療,精神療法とならぶ,精神科治療の三本柱として,1960年ごろに唱えられた「生活臨床」「生活療法」の考え方を再評価して,心理社会的治療よりもさらに広い領域を指す概念として,生理から経済にわたる全体的な生き方を指すものととらえている。より広く多様な視点から,客観性をもって,精神症状の推移を見つめ,多元的に理解し,病者の生活の改善につなげていく姿勢が強調され始めている。
 本書は,さまざまな方々のご協力をなくしては刊行できませんでした。
 本書に掲載された,調査,実験に協力していただいた統合失調症患者の皆様にはとりわけ感謝したいと思います。手のかかる調査にも気持ちよく応じていただきました。また日常の臨床場面で接している患者さんからも多くのことを学ばせていただいています。ここに心からの感謝の意を表します。
 司法精神医学という筆者にはほとんど関係も関心もなかった分野に導いていただき,誠実で勤勉な医師・研究者の有り様を身をもって示された学位論文指導教官小田晋先生には,その博覧強記を生かした視野の広さから,多様な研究を許容していただき,また的確なご助言をいただきました。楽しい数々の思い出とともに親愛の念を持って心から感謝いたします。
 また,気功介入を実施した経緯には,日本の代替医療の魁,帯津良一先生の影響が大きい。存在するだけで癒しをもたらすような大肯定の在り方は,真似ができないほどスケールの大きい,しかし,謙虚な人柄に触れられたことは,幸運だったと思います。進取の気性に富んだ方で,学生時代から何かと便宜を図っていただきました。心からの感謝の意を表します。
 さらには,元茨城県精神病院協会会長で医療法人湯原病院院長,湯原昭先生にも心からの謝意を表します。研究の便宜を図っていただき,また日常臨床場面では80歳の現在でも日々新しい知識を貪欲に吸収され,臨床上も知的にも有意なご助言をいただきました。その無私の職務遂行態度には,「医は仁術」という言葉を身をもって実践される崇高さが感じられます。
本書の刊行で,皆さまへの恩返しの一端でもできるとしたら嬉しく思います。
・・・・・・後略

平成22年6月 自宅にて 村上千鶴子