まえがき

 あなたが「緩和」ということばをはじめて聞いたのはいつのことだろう? もともと、Palliativeといえば、外科の「姑息的」手術のことだった。しかし、その自嘲的な、あるいは蔑みさえ感じられないでもないことばが、がん医療で痛みのケアに関わる人々によって、「緩和」と訳し直されたのである。

palliative 形容詞
1 (病気・痛みなどを)一時的に軽くする、一時抑えの
2 弁解する、言い繕おうとする、一時しのぎの
3 (罪・過失を)軽減する、酌量する

これは小学館ランダムハウス英和大辞典第二版によるが、どの辞書も大同小異であろう。痛みを一時的に軽くすることと弁解することがなぜ同じことばで表現されるのかと首を傾げる向きもあろうが、弁解するのは、立腹している相手の怒りを少しでも軽くすることであるから、納得はいく。動詞のpalliateはというと、後期ラテン語から借入されたもので、「外套を着た、覆いを掛けた」という意味を持つ。ここからは、棺の中の遺体にマントをかけるところが想像されよう。ところが、「緩和」というニュートラルな訳語からは、そのような暗さや後ろめたさが完全に拭い去られている。
 精神腫瘍医と呼ばれるようになって数ヶ月後のことだった。「緩和」に「時間」をつないでみた―「緩和時間」(注1)。ことばあそび。ところが驚くことに、ぐっと厚みが増した。哲学的でさえある。
 がんは、時間を抜きにして語れない。もしもあなたが職場の検診でがんを疑われたとしよう。かかりつけ医であれ近くの比較的大きな総合病院であれ、ためらいがちに出かければ、必要な検査が組まれ、最終的には生検が行われる。「組織診断の結果は、2週間後です」 がんと診断されれば、ステージ毎の5年生存率まで提示される。化学療法も、二週間続けて一週休み、それが1クールで計5クールですなどと、あらかじめきっちりと予定される。それが終了すると、5年間再発がなければ完治ですと励まされる。万が一そのあいだに再発すれば、治療はその後ずっと継続されることになる。さらには、終末期を迎えたことが申し渡される。いわゆる余命半年という時間の区切りだ。がん治療には、タイムコースが付いて回る。
 患者と呼ばれる人々の心理は、その時間がらみのデータによって大きく揺れ動く。年間おおよそ60万の人々ががんになり、30万の人々がそれで命を失う以上、人々は、自らのがん種、ステージ、治療反応性などによっていかに有利な立場にあろうとも、自分はがんで死ぬのだと「残り時間」に苦しむ。あたかもそれに呼応するかのように、緩和ケア領域で見られる主たる精神疾患はどれも人々の時間感覚において際立っている。適応障害で否応なく未来へ目を向けさせられるかと思えば、うつ病では過去の後悔を余儀なくされ、せん妄で時間は崩壊する。人々は、自らの時間感覚によっても翻弄されるわけだ。
 一方、がん患者と関わる医療従事者は、人々のそのような時間感覚に絶えず触れているのに、それを意識化することも言語化することもなかった。たとえば、死を怖れる人に向かって家族が「人間誰しも一度は死ぬのだから」と結果的に当人の時間感覚をないがしろにする状況は、心理学が時間を研究対象にしてこなかったからかもしれない。それでは、街灯の下で財布を探す男の笑い話(ここで落としたのですか? いいえ、ここは明るいから)で笑えない。精神腫瘍学でも事情は同じだ。「時間」は研究対象にはされない。そもそも精神腫瘍学のオリジナリティはどこにあるのだろう。学問のこのような名付けは、精神腎臓学と精神循環器学にしかないが、もしも、がんについての知識をいくらか有するだけの精神科医を精神腫瘍医と呼ぶのであれば、一般の精神科医が鼻白むのも無理はない。もはや内科ではない小児科医たちが「子どもは小さな大人ではない」と自らの専門領域を主張できたのは、「発達」という臨床概念があったからだ。時間を川の流れのようにごく当たり前のことと考えたり、不安や死の恐怖へと早々に還元してしまうのではなく、がんを抱える人々との会話において時間を俎上に乗せることで、ケア自体を洗練できないものだろうか。これが、この本のテーマだ。“Use your client's word”は、MRIの教え。
 本書は、緩和ケアに従事するいろいろな職種の人に向けて書いた、とサラリと記したいところだが、書きことばには妙な構えが混じる。日頃、話しことばでやりとりする同僚に「こんなもの書いたから読んでみてよ」と気軽に手渡せる本になればとまとめたものの、その実現ははなはだ怪しい。もちろん、精神腫瘍学に多少なりとも興味をもつ医療従事者ばかりか、患者さんやそのご家族にもお読み頂ければ、著者冥利に尽きよう。第一部においては、がん患者さんが直面しかねない難題を時系列上にたどりながら、人々とのさまざまな時間感覚の共有過程を論じ、第二部では、過去・現在・未来という主観的時間感覚を共有する空間について考えた。
 たとえ仕事とはいえ、患者さんからの感謝だけを頼りに医療従事者は自らの献身性をいつまで維持できるだろう。バーンアウトにつながりかねない好奇心の枯渇を予防するものとして「時間」を考えたっていい。ここで提示するのは、確かなエビデンスではなく、新しいナラティウ゛だ。「時間」にセンシティヴなケアが日々の実践を多少なりとも豊かにするはずだという思いが共有されることを願う。
 最後に、本書をまとめながら、主治医とのやりとりがそっくり抜けていることに気づいた。これは、私たち医師同士の「紳士協定」のせいかもしれない。もう一冊、もしかしたらフィクションが必要か。


注1 緩和時間(Palliative Time): 本用語をグーグル検索してみると、物理学において同じ用語がある。Relaxation time の訳語である。そこには「弾性」などというresilienceを彷彿とさせる興味深い概念もあるが、ひとまず、関連のないものであることを付記しておく。Palliativeの語源をたどれば、何かを隠すのにもっとも手っ取り早いマント(pallium)であるが、そこから派生したpalliare, palliatには外套を着せる(to cloak)の意味があり、後期ラテン語の鐘(clocca)からはマント(cloak)だけでなく、時計(clock)も英語に借入られたのだった!