まえがき

 本書は筆者がこの五年間あまりに書き留めてきた「発達障碍」に関する論考を中心に編んだものである。筆者はこれまで「関係発達臨床」と自らの臨床実践を位置づけ、発達障碍とりわけ自閉症を中心にささやかな経験を積み重ねてきた。「関係」から臨床を捉えることによって、それまで経験してきた臨床風景とは異なったものが次第に浮かび上がってくるのを実感するようになった。そのような経験を少しずつ論考として纏めてきたものが本書の内容ということになろうか。
 筆者は当初、自閉症にみられる対人関係障碍に対する疑問から「関係」に着目するようになったが、そのことを明確に意識し始めたのは十五年あまり前のことである。九州から関東に移ることになり、臨床への新たな取り組みを余儀なくされた。そこで始めたのが母子ユニット(MIU)であった。ここではもっぱら乳幼児期早期の子どもたちとその養育者に対して、「関係」に着目した臨床に従事してきたが、今思い返してみると、「関係」を強調してきた数年前と比較すると、その思いは今では随分様変わりしてきたようにも感じている。
当初は「関係」を通した発達障碍の新たな理解の枠組みの獲得を目指していた。そのような思いが数年前までの論考には強く反映しているが、次第に当初の意気込みは薄れていった。MIUの試み自体は、たしかに初めての経験であったが、それまで筆者が培ってきた臨床の視点を再確認するようになった。「関係をみる」ということは、外部の他者同士の関係を客観的に捉えて分析するといった操作的なものではなく、自らの存在を通して他者と関わり、そこで間主観的に体感することを大切にしながら、臨床に従事するという、ある意味では至極当然の臨床的営みであることを改めて強く思うようになったからである。つまり、「関係」を通した臨床とは、己と他者(患者)とのあいだで立ち上がるさまざまな思いを大切にすることに他ならない。それは他者のこころの動きを自らの身体を通して感じ取ることでもあるが、そこでもっとも重要な鍵概念となるのが原初的知覚である。
 原初的知覚についても本書で再三にわたって述べているが、その原体験となったのは「相貌的知覚」を通して自閉症理解を試みたいくつかの論考で、最初の小書『自閉症の発達精神病理と治療』(岩崎学術出版社)で論じた内容である。原初的知覚とはどのような性質をもつものなのか、そのことが実感として掴めるようになると、「関係発達臨床」は腑に落ちるものになるが、肝心要のこの原初的知覚を読者に理解してもらうことがなかなか容易なことではないとつねづね感じてきた。本書ではこの点にかなり紙幅を割いて論じている。
筆者はMIUで、乳幼児期の子どもと養育者とあいだで起こる関わり合いの機微を多数の事例を通して観察することができたが、そこで筆者がみてきたことを一言で表すとしたら、〈子―養育者〉関係に生まれる「アンビヴァレンス」ということになる。子どもが本能的に持っている「関係欲求」つまりは「甘え」というこころの動きが、養育者との関係の中でいかに繊細に変化していくかを目の当たりにしてきたが、そのような思いを強くしつつあったとき、土居健郎氏の最後の著書となった『臨床精神医学の方法』(岩崎学術出版社)を手にした。この本で土居氏は「甘え」の問題は「アンビヴァレンス」の問題であり、それが患者理解においてもっとも重要な鍵概念であることを一貫して述べている。そして患者の「甘え」を理解するためには、自らの「甘え」をわからなければならないが、そのことがもっとも困難なことであると力を込めて述べている。MIUでみてきたこと、それは子どもあるいは養育者の「アンビヴァレンス」の多様な表れであるが、筆者はそれに自らの身体を重ね合わせるようにして体感してきた。このことの重要性を土居氏はこの本で強調していたのである。筆者が勇気づけられたことはいうまでもない。発達障碍においては、土台が育ってその上に上部が組み立てられるという一般の発達の動きが阻害されているが、その土台となるものはなにかをMIUの実践は筆者に教えてくれた。それが「アンビヴァレンス」とそれにまつわる問題であった。
そんな矢先に筆者は新たな臨床の場で、ひさびさに多くの児童思春期、さらには成人期の患者と接するようになった。そこで「関係発達臨床」で得たものがなにか、改めて実感することができた。こころの臨床すべてにおいて人間理解の基本は変わらないということである。そんな思いを抱きながら纏めたのが最後の章「『関係』からみた発達障碍」である。貴重な機会を与えていただいた上村神一郎先生(くじらホスピタル院長)と上村順子先生(同理事長)にこころより感謝申し上げたい。
 最後に、お断りしておかなければならないことをいくつか述べておきたい。第一に、いつも筆者は事例を取り上げながら論考を纏めてきたが、本書では二三例もの事例を取り上げている。事例の匿名性を保つために細部を改変しているが、理解する上で支障のないように配慮した。第二に、二〇〇五年以後の論考では「障碍」を用いているが、それ以前は「障害」を用いてきたため、二つの用語が本書では混在している。第三に、筆者はこれまで、医療、教育、福祉、心理と職場を移ってきた。いつも臨床を基盤にしてきたが、領域が変わるたびに、自らの臨床実践を、「治療」、「支援」、「援助」などとさまざまな呼称で述べてきた。筆者にはいまだどれもしっくりこないというのが正直な気持ちだが、読者には無用な混乱を与えることになった。読者の寛容を乞う次第である。

平成二二年五月 新緑の青葉を眺めながら