あとがきにかえて

 子どもは全存在を通して自分の気持ちを表に現している
 ・・・MIUでは初回時に関係評価のための枠組みとして,アタッチメント・パターン評価を目的として世界中で実施されている新奇場面法(SSP)を用いてきた。母子の分離と再会の場面を人工的に作り,そこで認められる子どものアタッチメント行動によってアタッチメント・パターンを評価するのだが,評価そのものよりも,そこで母子双方が示す関係のありようの機微に筆者は毎回驚かされるとともに,新発見の興奮を味わってきた。開発者のエインズワース(Ainsworth)もおそらくそのような体験をしたことがSSPの開発につながったのではないかと思う。
 ある2歳4カ月の高度難聴の男児が,母親からの積極的なかかわりにはあからさまに回避的態度をとっていたにもかかわらず,母親が退室してひとりぼっちになってしばらくすると,手に持っていた水鉄砲の銃口を回りに向けて,警戒的に身構え,恐る恐るゆっくりと歩を進めていた。まるで刑事ものの映画でも見ているようで,彼の警戒心の強さは尋常なものではないことが彼の全身の動きを通してひしひしと感じ取られた。
 1歳になったばかりの男児は,母親に抱かれるとすぐむずかり降りようとする。母親の働きかけには半身の受身的な構えを見せながら応じ,回避的な態度が目に付いていた。しかし,いざ母親が退室してストレンジャーと二人きりになると,最初はストレンジャーに向かって社交的な笑顔を浮かべながら手まで差し出し,なにやら自分から交流を持とうとでもするかのようであった。しかし,いざストレンジャーがそれに応えて近づき,至近距離になると,急に表情は強張り,ついにそれまでの緊張の糸が切れたようにして泣き始めた。初めて会った人に対して気遣う態度に,日頃母親に向けているこの子の心模様を想像すると,心痛むものがあった。
 切羽詰ったときに示す言動もさることながら,よくよく見ていくと,子どもたちは自分という存在すべてを用いて自分の気持ちを表に現していることに今さらながら気付かされる。

・・・(中略)・・・

 わが国では「子どものこころの診療医」を育成しようと厚生労働省が音頭をとって動き始めている。その発端のひとつとなったのは発達障碍とされる子どもの激増であった。発達障碍なる診断は実に安易に多用されているが,そこで子どものこころのありようがまったくといっていいほど浮かび上がってこないのはなぜか。脳機能障碍を裏付けると考えられている障碍や症状は見ても,彼らのこころの動きにはいたく鈍感な人の姿ばかりが目に付くようになった。
 先年,縁あって新たな職場を得た。そこで将来臨床心理士になる学生の教育に従事することになった。講義やゼミで学生にSSPの場面を見せながら,子どもたちがいかに繊細なこころの動きをしているか,繰り返し語るように心がけている。難しいことは一切考えなくていいから,素朴に感じるままに報告するように,と再三にわたって伝えている。一学期間試みてきたが,彼らの多くが子どものこころの動きを的確にとらえていることを確認できて喜んでいる。
 学生時代に筆者が体験したこと,それは学問以前に子どもたちのこころに触れ合うことができたことであった。そのことが今思い返してみると決定的に重要なものだったと思う。今の学生にも同じような体験をしてもらいたい。発達障碍とみなされている子どもたちもこころを持ち,全存在を通して自分を表に現していることを知ってもらいたい。学問以前の素朴な気持ちで,きちんと彼らと向き合うことがなにより大切であることを。