終章

これからの不眠医療における心理療法

はじめに
近年,睡眠障害が国民の健康な生活を妨げる要因となっていることが多くの研究から明らかにされてきた。しかし,長年にわたり不眠はありふれたものと考えられ,その重要性が認知されていなかった。これは睡眠障害が多岐にわたることにより,医学のなかで睡眠障害の位置づけが明確でないことが主な原因と考えられる。第4章で不眠症の診断,治療について紹介されており,2005年に発表された睡眠障害の国際診断分類(ICSD-2)のなかでは「適切な睡眠環境下において睡眠の質や持続に関する訴えがあり,これに基づいて日中に心身機能障害が認められる」と定義された。改訂前は主として不眠の症状が取り上げられ,不眠の結果として生じる倦怠感,集中力・記憶力の低下,気分の障害,日中の眠気,さまざまな身体症などはあまり重視されていなかったが,新しい診断分類では,治療成果について日常生活機能の回復が検討されることになった。
近年,睡眠障害が注目されるようになった背景には,(1)系統的な疫学研究により,国民の4〜5人に1人が睡眠の問題で悩まされているというように,きわめて高い割合で睡眠障害を発症していることがわかってきたこと,かつ,これが社会生活に及ぼす影響が大きいこと,(2)精神的な問題,特にうつ病や不安障害と不眠との因果関係が高いこと,(3)睡眠時無呼吸症候群のように心身の両面に影響を及ぼす疾患の存在が重視され,睡眠障害の専門医療を行う機関が増えたことなどがあげられる。さらに睡眠時無呼吸症候群に関連して,この近接領域として生活習慣病と睡眠の関係が明らかにされてきた。現代の24時間社会における睡眠不足や夜更かし傾向などを含む生活スタイルが生活習慣病の誘因や増悪因子となっていると報告されている。
生活習慣病は近年,急激な増加傾向がみられ,その対策として平成12(2000)年に内閣府から「健康21」が提唱され,厚生労働省は国と地方自治体をあげて,栄養・食生活,運動,ストレス,アルコール,たばこなどの生活習慣病につながる危険因子を除くような運動を展開してきた。このキャンペーンの開始からすでに10年が経過しているが,十分な成果は上がっていない。なぜだろうか。24時間社会,グローバル経済社会のなかで,社会と経済を支える日本人の多くが昼夜を問わず生活し,そのとき犠牲にされてきたのが“睡眠”である。このような社会では激烈な競争が起こり,そのストレスがまた多くの人々の眠りを妨げる。さらに,睡眠を犠牲にすることの反動が生活習慣病やストレス,不眠と関係して,うつ病の増加という形で私たちの健康な生活へ跳ね返ってきているのである。
このようなことからも医療のなかで不眠の治療は非常に大きなウェイトを持つことがわかる。本書では不眠に対する認知行動療法を中心とした心理援助として,さまざまな方法について解説されている。この章では不眠治療導入と不眠治療のなかでの非薬物療法,薬物療法(Pharmacotherapy : PCT)の効果を紹介し,これからの不眠医療における心理療法への期待としてまとめる。
不眠症治療の比較
不眠症は非常に多くみられる疾患である。また原因が多彩で難治例も多く,慢性不眠として長期にわたり薬物療法が続けられている場合もある。このような場合,適切な治療が選択されていない可能性もある。不眠症治療について薬物療法,非薬物療法として多くの治療法が紹介され,またその治療ストラテジーが示されている。ここではそれぞれの治療法の効果をみると共に,不眠治療を最も効果的に実施する方法について,それぞれ単独の治療法ではなく,いくつかを組み合わせた併用治療(com-bination therapy)の効果も検討してみた。

(1)睡眠衛生指導:睡眠に対する正しい知識を与え,質の良い睡眠をとることができるように生活指導することは,あらゆる睡眠障害に共通して必須のことである。多くの治療成果が報告されており,特に認知症をもつ高齢者には改善率が高い。このような指導は患者本人のみならず,周囲の人々や介護者などにも指導することで高い効果が得られる(McCurry et al., 2003)。
(2)行動療法:弛緩療法(Relaxation Therapy),睡眠制限療法(Sleep Restriction Therapy : SRT),刺激制御療法(Stimulus Control Therapy : SCT),認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy : CBT)

睡眠制御療法は,特に不眠を訴える高齢者に対して効果が高いことが報告されている(図1)(Riedel & Lichstein, 2001)。CBTはさまざまな非薬物療法を組み合わせたものである。本書でも詳細に紹介されているように行動療法の中核をなすものであり,わが国でもその重要性が少しずつ知られるようになってきた。図2には弛緩療法と比較してCBTが睡眠効率,中途覚醒,自覚的睡眠評価に顕著な効果がみられたことが示されている(Edinger et al., 2001)。また,CBTは薬物療法との組み合わせにより,さらに効果が上がることが近年報告されている。図3はCBT,薬物療法,CBTと薬物療法の併用,無治療の4つの群について,睡眠日誌と睡眠ポリグラフの結果からWASO(睡眠中の覚醒時間)を比較したものである。薬物療法と並んでCBT単独でも有意な改善がみられるが,CBTと薬物療法を併用すると最大の改善効果が出ている。さらに2年間の長期観察期間中にCBTを受けた人では効果が持続していたが,薬物療法のみ受けた人では治療前のレベルに戻っていたことが判明した(Morin et al., 1999)。また,CBTと薬物療法併用群のなかには薬物治療の効果が早期に現れ,CBTの効果の持続期間も延長している患者もみられたことは注目すべきである。これは患者の不眠に対処する態度が変わったことによるとも考えられる。さらにCBTと薬物療法の効果についてメタアナリシス法により比較検討すると,入眠潜時や睡眠の質についてはCBTが薬物療法よりも優れていた(図4)。薬物療法は中途覚醒や睡眠時間を延長させる効果についてはCBTよりも優位であった(Morin, 2006)。これらは薬物療法のみでは患者の満足が得られないことにも関連し,結果的には長期に薬物を服用することになる。
また,薬物療法では多くの副作用が問題となっている。これまで多くの睡眠薬についての副作用報告があり,患者は主作用の発現を期待すると共に,多かれ少なかれ副作用についての心配をしながら不眠治療を受けていることになる。すなわち,患者は不眠症状についてのみならず,薬の副作用についても不安症状をもつことになり,このことがさらにストレスとなって,不眠を悪化させる。不眠治療におけるCBTではこのような不眠についての不安症状を軽減する役割をもつことになる。しかし,CBTなどの心理療法について副作用に関する検討は十分になされておらず,今後の課題である。
不眠症に対する薬物療法の効果についてはこれまでに多くの検討がなされているが,現在も満足する状況ではない。薬物療法についてのメタアナリシスでは効果はあるが,副作用の問題が大きいことが明らかにされている。特に高齢者では睡眠薬の服用が増加すると共に,副作用の発現も多くみられ,睡眠薬の主作用よりも副作用が大きく,睡眠薬服用による利点,危険性が検討されている(Glass et al., 2005)。60歳以上の精神疾患のない高齢不眠症者で治療効果は確かであるが,その改善度はあまり大きくなく,むしろ副作用の方が大きいことが報告されている。たとえば薬物による日中の眠気や倦怠感,頭痛,悪夢,吐き気やその他の消化器症状,ふらつき,転倒など心身機能に関する障害や記憶・認知に関する障害が大きいことがあげられる。
上記のような不眠に対するさまざまな治療成績は対象者,年齢,性別,不眠の持続期間や合併症としての不眠症,あるいは特異的な睡眠障害によっても異なり,今後不眠治療のため,さらに検討されるべき課題である。
おわりに
現代社会で不眠症治療はますますその必要性が大きくなっている。不眠を理解し,よりよい治療に結びつけるために医師のみならず多くのコメディカルスタッフの協力が必要とされる。本書の心理的援助は不眠症治療には不可欠である。わが国の現状でPrimary careを担当する医師や各科の専門医は不眠治療について多くの時間をかけるのが困難であるとすれば,コメディカルスタッフの協力を得て心理療法を行うことは可能であろう。さらに社会生活においては学校,職場,家庭などでも不眠症の理解を高め,予防や治療について本書の心理援助が可能である。
多くの方々が不眠の心理援助に関与することにより,不眠,ストレス,うつ病,生活習慣病などが軽減され,健康な社会の実現につながることが期待される。