あとがき

 本書は犯罪病理学,犯罪・司法精神医学関係の著者の論文,著作集で,拙著『犯罪精神医学研究―「犯罪精神病理学」の構築をめざして』(金剛出版,2000)の続巻的位置を占めるものである。本書末尾の初出一覧にあるように,著作の年代は1989年から2009年までであるが,2000年以降のものが大半で,初出の論著に若干の加筆訂正を加えたものである。これら2冊に,主として「こころの科学」の収録論文集である『エゴパシー;自己の病理の時代』(日本評論社,1997)を加えると,欧文論文や精神医学史,精神保健関係の論著を除き,著者の現在までの犯罪学,司法精神医学関係の専門的論著のほとんどすべてがこれら3冊に網羅されたことになる。これに研究書,『暗殺学』(世界書院,1984),『アルコール犯罪研究』(金剛出版,1992)を加えたものが,著者の犯罪学関係の現在時点での全著書となる。本書はこれらの既刊書と以下述べるように,密接に関連し,これまでの個々のテーマが通底音となり,新たに展開してきているものである。
 まず本書序論では,犯罪精神病理学,犯罪・司法精神医学の現代的課題を論じている。現在混迷を極めるように思える我が国の司法精神医学,司法精神医療,医療観察法の批判的分析,検討を通じ,著者の従来の主張,卑見を披瀝し,将来的展望について言及し,いくつかの重要と思われる提言を行った。なかでも重要なのは精神障害者を犯罪者とせず,国民をその被害者としない,初犯防止の推進である。現行制度の再犯防止では不十分で,司法精神医療の蓄積を精神医療の現場に還元し,初犯防止に力点を置くこと,患者に精神障害と犯罪者という二重の不幸を背負わせないこと,現行司法精神医療とは異なり,犯罪精神病理学的,犯罪精神医学的臨床の主眼がそこにあることに言及した。また犯罪成因モデルを提示し,これは犯罪防止のみならず責任能力論の経験科学的基盤となりうることを指摘した。また責任能力論の経験科学的根拠としての「自由性の病理学」としての精神医学の重要性を指摘し,その理論的根拠が精神病,精神障害の構造論,構造力動論であり,これそが犯罪精神病理学の重要な課題であることを論じている。
 第2章では序論を受けて「司法精神医学の基本問題」を論じ,フランス司法精神医学・医療を分析し,フランスとは異なり,処遇困難者問題を回避している我が国の精神医療の問題を指摘した。またフランスについては性犯罪者の治療と処遇についても本書末尾で触れておいた。さらに鑑定例を通じて「反応性精神病」の精神病理と刑事責任能力論について論究し,責任能力論,治療,処遇論で論争となっている「パーソナリティ障害」の司法精神医学的問題についても論述した。そこではまた本書序論でも論じている,責任能力,予後判定に関する経験科学的限界と社会的,法的要請の狭間にある司法精神医学の全体的見地と対応について論述し,著者の立場を明らかにした。さらに米国大統領暗殺未遂事件について事例的紹介を行った。これは著者の暗殺学研究の系譜,暗殺者の精神病理学的研究に連なるもので,本書末章では「大統領ストーカー」の問題とこの類型分類にも触れておいた。
 第3章「酩酊犯罪」では拙著『アルコール犯罪研究』以降の文献を補充し,その後の研究の進展に言及した。
 「エゴパシー」収録論文の一部がNHKブックスの「空虚な自己の時代」(1999),「超のび太症候群」(河出書房新社,2000)となり,その後「自己を失った少年たち」,「誰でもよかった」(2009,ごま書房新社)などの一連の啓蒙書となった。そこでは「自己確認型」犯罪や「無差別大量殺人」を通じて,著者は現代文明論,社会論,若者論,誠意心医学的,犯罪学的人間論について論じてきた。第4章「現代の社会病理」はこれに関係した問題と同時に現代型犯罪についての著者の最近の研究成果について言及している。このことを論じた項を設け,著者のこの分野の論述の概要を知ることができるようにした。現代社会における嫉妬の変質と「タテ社会の崩壊」を指摘し,新しい若者理解とその像を描いてみた。また本書の「大量殺人」の項でも現代の無差別大量殺人の分類を試み,「自己確認型」の亜型を設け,最近の「無差別殺人」についての犯罪精神病理学的理解を深め,防止策の一助とした。またハラスメントを現代型犯罪として位置づけ,セクハラ,パラハラの布置的構造と一元的理解からの防止策,支援について言及した。さらには現代日本における子殺しと虐待死の我々の最新の研究成果を紹介し,その成果に基づいた各都道府県ごとに異なった防止策が重要であるなどの,具体的提言を行っている。また虐待の相談件数の急増(30倍)は発生率の増大もさることながら,暗数の認知化が大きく影響している事態であり,発生率はここ10年ほどで3倍程度である可能性を資料に基づき指摘した。これは当時全国紙一面で報道され,各方面から反響が大きかったものである。
 第5章「海外の犯罪研究」では米国の大学銃乱射,大統領ストーカー問題等の最新の研究や知見について紹介している。前者は大量殺人と,後者は暗殺と関係したもので,筆者のこれまでの犯罪学の研究テーマと関係したものであり,米国のこの種の問題と研究状況についての知見である。
 犯罪精神病理学の構築を目指した前著以降10年を経た。これは40歳代の仕事であった。本書は50歳代の犯罪学関係の業績をまとめたものとなった。この間研究や執筆に専念できる状況とはほど遠かったとはいえ,牛歩の歩みと恥じる他ない。しかし本書によって現在まで為したこととその意義,今後なすべき課題,方向も著者なりに一層明確になった。今後は役職を極力整理し,自由な時間をなんとか確保し,精神医学を志した初心に立ち返り,ライフワークと思い定めたテーマに取り組めれば本望である。定年後は是非そうしたい。これから数年,定年まではその準備期間であると思い定めている。終章でも触れたが,「犯罪精神病理学:存在と生成-相互主体的構造力動論からのアプローチ」の構想下に執筆中であり,本書の続巻にできれば,と念じている。
 前書もそうであったが,本書が成るに当たって,お世話になった立石正信社長に感謝申し上げる。
 この間大学院担当も兼ねるようになり,院生や若い同僚たちとの共同研究がなされてきたのが,新鮮な刺激となった。さらには,あらためて思うのは母校での研究生活,時間が貴重であったことであり,恩師の方々の学恩であり,家族の献身的協力である。これらの方人々,また現在勤務している大学関係者の理解と支援にも感謝申し上げる。