序文

 もしイブ・リプチックが自分の教えた無数のセラピストの一人を覚えているなら,それは驚きだろう。しかし私は,はっきりと彼女との最初の出会いを思い出すことができる。それは,1983年5月のブリーフ・ファミリーセラピー・センター(Brief Family Therapy Center:以下BFTCとする)での集中トレーニング・プログラムに参加した時だった。トレーニングではスティーブ・ディ・シェイザー(Steve de Shazer),インスー・バーグ(Insoo Berg)らのチームによって,1週間にわたる集中講座が行われた。ある午後,イブのセラピーを見て話し合ったのが最も印象深かった。私は彼女の理論の把握力,教師としての技術,そして卓越した臨床の手腕にとても感動したので彼女の臨床に関心を持ち始めた。そして数年かけて,ブリーフ・ファミリーセラピーと解決志向に関する彼女の論文を読んだ。機会があるたびに彼女のセミナーやワークショップに参加し,彼女の奥深い思考と,非常に複雑な概念を実際的な臨床実践の中に生かす能力に,毎回刺激を受けた。
 本書では,解決志向セラピー(solution-focused therapy:以下SFTとする)の発展についての内部の者から見た歴史に始まり,理論,そしてその実践内容が明瞭に論説されている。SFTについての単純な理解に基づいた型どおりの解説を不快に感じたことから彼女の探求が始まり,やがて彼女独自のSFTが発展した。私はそれを情動中心の解決志向ブリーフセラピー(emotion-centered solution-focused brief therapy)と呼ぶことにする。
 本書の主要な貢献は,セラピーを実践する上での理論を導入したことである。特に対人関係志向心理療法から出てきた本質的な概念を,著者が再統合したことである。彼女は効果的で効率的,そして人間的なブリーフセラピーを行うため,最も基本となる原理を提示している。
 過去が無視され,また,難解な質問に対して,より単純で複雑でない解答を絶え間なく求めて,「新しい」ものとして提示されるものなら何でも過大評価しがちな時代において,イブはその流れとは全く逆のことを行った。つまり彼女は,すでにある知識の数々の要素を吟味しかつ再生する一方で,「新しい」ものを切り開き,取り入れている。ハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan),グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson),ドン・D・ジャクソン(Don D. Jackson),ミルトン・エリクソン(Milton Erickson),ジェイ・ヘイリー(Jay Haley),ジョン・ウィークランド(John Weakland),リチャード・フィッシュ(Richard Fisch),ポール・ワツラウィック(Paul Watzlawick)らの研究を基に,メンタル・リサーチ・インスティチュート(Mental Research Institute:以下MRIとする)のブリーフセラピー・モデルとSFTの両方の基礎となっている理論的な枠組みを概説し,それらに命を吹き込んだ。
 イブはこのような土台の上に,さらに生理学,言語学,サイバネティクス,構築主義(constructionism),人類学,社会構築主義(social constructivism)といった広い学問分野から,アイデアを組み込んでいる。特に価値があり,時宜にかなっていることは,マトゥラナ(Maturana, H.R.)とヴァレラ(Varela, F.J.)の洗練された功績について,彼女が明晰な解釈をしたことである。
 本書で用いられている例示は適切である。イブの努力により,マトゥラナとサリヴァンの愛の定義を並列させる中に,新鮮で新しいものと時代を経て証明されたものとが,素晴らしく有用に融合している。イブが引用しているマトゥラナの文献によると,愛は「自己との共存において,他者を受けいれることを認める」行動であり,「その他者を見たり聞いたりすることの可能性を拡げる」。サリヴァンはそれを次のように表現している。「相手の満足と安全とが自分にとって自分自身の満足感や安全と同じ重要性を持つようになった時,愛という状態が存在する」(1953a, p.42-43)。近年の心理療法の世界は,直線的な因果論や永続的なデカルトの心身二元論によって理解されがちであるが,メンタルヘルスを考える場合,特に愛のような厄介なものや,人間関係が演じる重要な役割については軽視してきた。さらに,人間の苦悩を理解するにあたって,基本的情動の関連や,心理療法の価値を認めない読者は,一様に耳に蓋をして居眠りをし続けているだろう。なぜなら,私たちは単純に同じ感じ方をしていないからだ注1)。
 イブ・リプチックが開拓したもうひとつの進歩は,クライエントに動揺を与えるような質問方法,あるいは,私なりの表現では,介入である。私の知るかぎり,これはセラピーの領域で起きた最も意義深い進歩のひとつである。私の知るかぎりでは,イブ・リプチック,ギアンフランコ・チェキン(Gianfranco Cecchin),リチャード・フィッシュだけが,個別に業績を積み上げながら研究や実践を行い,この目を見張るような前進にさらに磨きをかけている。
 本書の主要な貢献は,介入としての質問と,今日の先端的な考えと過去に発展した主要な仮説を関連付けていることである。しかし私が指摘したいのは,それが群を抜いて最高の意味をもっているということではない。イブのアプローチが広い領域を統合し,論理や微妙な意味合いの肉付けを行っており,彼女は臨床実践に画期的な貢献をした。つまりブリーフセラピーの実践に,人間の情動を再導入したことである(私が再導入と表現している理由は,サリヴァン,ジャクソン,そしてエリクソンのような初期の開拓者の研究では,情動は中核であったからである)。
サリヴァンが亡くなる年(1949年)より少し前に,彼はワシントン精神医学校での研修医むけの講義で,次のように予言をした。
精神医学の中で私以外の人の間違いやすいところは私にもやはり間違いやすいところであり,私も実によく外見に欺かれてしまう。しかし誰にしても,不安の起こした症状や不安を避けて通るために起こった症状を処理しにかかるよりも,まず第一に,対人関係の中で不安に対して本質的な脆弱さを露呈する箇所がどこにあるかを探るようにするほうが,ずっと実践的効率の高い精神療法が実施できると思われる。(1953b, p.11)
 巧みに執筆され,しかも実用的に書かれた本書において,イブ・リプチックは,苦痛を伴う情動は,対人関係の現象に対する独自な適応であり,それはまぎれもなく不安を喚起するものだとして,あえて取り組むことによって,サリヴァンの予言の実現に向かい,この分野をさらにもう一歩進めたのである。

注1)この鮮烈な表現を最初に用いたのはジャクソン(Jackson, 1963)であることをお断りするとともに彼に敬意を表する。

メンタル・リサーチ・インスティチュート(カリフォルニア州パロアルト)所長
ルイジアナ・モンロー大学家族療法教授
ウェンデル・A・レイ(Wendel. A. Ray, Ph.D.)