はじめに

 近年,子どもや若者の問題行動が新しい形を取り始めています。長期化する引きこもりと,そのような引きこもり傾向のある若者による突発的な暴力も見られるようになっています。このような子どもや若者の問題は,いずれも自己の感情のコントロールが未熟なために,対人場面や社会的関係に対処できず,ちょっとした刺激で攻撃的な行動に出てしまうことが原因と考えられます。このような問題を示す子どもや若者は,従来のカウンセリングや心理療法では対応が難しいといえます。その理由は,彼らがカウンセリングや心理療法で前提とされる人間関係を回避する傾向が強いからです。さらに,自己を見直すための自我能力や認知能力が育っていないということもあります。
 自己の感情や行動を制御する自我能力を育成し,自己の感情コントロールを育成するのに有効な介入が強く求められるようになっています。子どもや若者の自己の感情や行動を制御する自我能力を育成するのに有効性が示されているのが,認知行動療法です。認知行動療法は,認知,感情,行動を分化してとらえた上で,感情と行動をコントロールできる認知機能を育成し,改善するのに適しています。
 認知行動療法は,1990年代の後半には子どもと若者のさまざまな障害や問題に対して有効な介入法であることが効果研究によって実証的に示されるようになっています。例えば,効果研究のレヴューにおいても認知行動療法は,子どもの問題に対して効果的な介入法となっているとの結論が示されています。実際,英米圏の子どもと若者の心理的援助においては,認知行動療法が中心的な方法となっています。
 しかし,日本においては認知行動療法の導入が進んでおらず,子どもや若者に対して適用されることも少ないのが現状です。そこで,東京大学の臨床心理学コース下山研究室では,2005年より,子どもと若者のための認知行動療法の第一人者である英国のバース大学のスタラード教授の協力を得て,日本において子どもや若者に認知行動療法プログラムを開発する共同研究を続けてきました。下山研究室では,共同研究の一環として,2006年にストラード教授の著書『子どもと若者のための認知行動療法ワークブック』の翻訳出版を行い,教授を招聘しての第1回ワークショップを開催しました。また,それに基づき,強迫性障害を中心にした不安障害の子どもや若者に対する認知行動療法の実践プログラムや,小学校,中学校,高校のクラスを対象にして実施する認知行動理論に基づく心理教育プログラムを開発してきました。
 このようなプログラム開発研究の成果として,2008年には,スタラード教授の,もうひとつの著書『子どもと若者の認知行動療法ガイドブック』を翻訳出版し,研究成果を確認するために,スタラード教授を招聘して第2回のセミナーを開催しました。本書は,そのセミナーに基づき,さらに共同研究の成果を取り入れて作成した子どもと若者のための認知行動療法を実践するための手引書です。
 本書の作成にあたっては,下山研究室とスタラード教授との共同研究にコーディネイト・スタッフとして参加している松丸がリーダーシップをとって進めました。松丸は,英国のレディング大学を卒業した後に日本の大学院で臨床心理学を修め,現在は都のスクールカウンセラーを勤めております。このような経験を生かし,松丸が日英の心理職の臨床活動の実態を踏まえ,下山とスタラード教授と連絡を取りながら3名が協力して本書をまとめました。
 構成としては,日本の読者が読みやすいように第1部レクチャーでは,まず下山が子どもと若者のための認知行動療法の概説をします。次に第2部ワークショップでは,子どもと若者の認知行動療法を実際にどのように適用するのかを,具体例を交えてわかりやすく解説します。これは,下山研究室の主催で2008年に東京で実施したスタラード教授のワークショップの記録を,松丸が再構成したものです。そして,第3部ケース・カンファレンスでは,認知行動療法を日本の子どもや若者に適用した事例の検討を行います。ここでは,英国で開発された子どもと若者の認知行動療法を日本の事例に適用する際の工夫が示されます。この部分は,ストラード教授も参加して行った下山研究室の事例検討会の記録に加えて,松丸のスクールカウンセリングの体験を加えて3事例を検討します。事例については,実際例を基づきながらも,プライバシーを保護するための書き換えを施してあります。最後の第4部では,学校の授業などで行う認知行動療法を用いた心理教育プログラムを示しました。これも,下山研究室とスタラード教授との共同研究として開発したプログラムです。
 このように本書は,英国で開発された子どもと若者のための認知行動療法の活用方法を解説するとともに,それを日本に適用する際の方法も併せて説明するものとなっています。本書が日本の子どもや若者のメンタルヘルスの向上に少しでも貢献できることを祈っております。

2010年5月5日 子どもの日に 著者を代表して 松丸未来,下山晴彦