あとがき


時は流れない,それは積み重なる。
野家啓一:物語の哲学?岩波現代文庫,2005


 すでに何度か触れたように,本書は富山大学における発達障害大学生支援プロジェクトにおける実践の中から生まれてきた。同時に本書は,いくつかの個人的なストーリーの融合の成果であるということもできる。著者の一人(斎藤)にとって,このプロジェクトの企画・実践にあたって,それまでの専門性がまったく異なるスタッフとの文字通りの協働(コラボレーション)は,じつにスリリングな体験でもあった。
 自閉症児教育に自身のアイデンティティをおいていた著者の一人(西村)は,長年,知的障害をともなう自閉症児教育に携わってきた。言葉でのコミュニケーションができない自閉症児とどのように「つながる」か,そして彼らの素晴らしい興味の志向性をいかに知的活動に活かすかをつねに考え続けていた。「長所を活かすこと」と,「学びの原動力は好奇心」であることをかつての教え子たちから学んだ記憶は今でも新しい。1995年より学生相談の場に身を転じ,臨床心理学に自らのアイデンティティを模索し,今,発達障害大学生支援に携わって,かつての記憶が鮮明によみがえるとともに,「つながること」,「長所を活かすこと」,「学びの原動力は好奇心」という共通した視点を改めてここで見つめ直すことになった。ますます,自閉症の内的体験世界にひき込まれていく感がある。
 西村は高等教育機関における発達障害学生支援を始めるにあたって,漠然とした感覚ではあるが,知的障害のある自閉症の教育や小・中学校までの義務教育とは異なった支援スタイルが必要であると感じていた。大きな違いは18歳という年齢の重みである。学生はこれまでの人生の中でさまざまな体験を積み,自分なりに最大限の努力をしてきている。たとえ診断がある場合でも,特性に対応した適切な支援を受けてきたという事例はほとんどない,というのが現状である。多くの学生は,自らの力でここまでやってきたのである。「ボクの努力不足です」と言う学生,「私には(良いところが)何もない」と言う学生,「自分のことが一番わからない」と言う学生。このような学生を前にして,「あなたを支援します」という言葉はどのように受け止められ,またどのような意味をもつのであろうか。実際に何をどのように支援する必要があるのだろうか。
 このような問題意識をもって臨んだ「発達障害大学生支援」であったが,著者の一人(斎藤)が提唱するナラティブ・アプローチは,かつて西村が知的障害のある自閉症児と向き合った時の感性的コミュニケーションを彷彿とさせた。コミュニケーションの前提であり,またコミュニケーションの目的でもある,彼らの「基盤としてのナラティブ」に向き合うこと,そして,彼らと支援者との新しい物語を創造することが支援の重要なポイントであることを西村は再認識した。
 発達障害学生の基盤としてのナラティブを支援者同士が共有すること,そしてそれぞれの経験と知識,専門性を支援に活かしていくための「場」という感覚は,これまでの障害児教育という枠組みにおいては,ほとんど意識されていなかったように思う。向き合うべきは「支援される人」と「支援する人」という二者であり,個と個との関係性が従来の中心的な関心事であった。しかし,「知識創造に結びつく場」の概念の重要性を説き,それにもとづく実践を目の前で展開してくれたのが著者の一人(吉永)であった。個と個の支援が編み目のように張りめぐらされることによって,大きな支援の場が大学というコミュニティの中に生みだされ,支援の拡がりが確実なものになるのではないだろうか。
 大学生から一貫して経営学を専攻していた著者の一人(吉永)にとって,発達障害大学生支援は,まさに未知の体験であった。異分野を横断した新たな実践研究の機会を求めて,2008年4月に富山大学の発達障害大学生支援プロジェクトに加わるまでは,発達障害はおろか,学生支援のこともまったくわからなかった。当初は門外漢がどのような貢献ができるだろうかと不安に感じていたが,共著者(斎藤・西村)による手厚いスーパーバイズの下で,目の前にいる学生に向き合うことに全力を尽くすことができた。まずは現場に飛び込み,現実を肌で感じ,悩みながらも少しずつ打つべき手を考えていく,そのような活動が許されたことは幸いであった。本プロジェクトにナレッジ・マネジメント理論を導入することよって,「全学的な発達障害学生支援体制を構築した」ことではなく,「発達障害学生支援の取り組みが全学的になる」ことを実現しつつあることをスタッフの1人として吉永は誇りに思う。動きやすい環境を整えてからではなく,まずは一歩踏み出して支援を開始したことに当理論導入の意義があったのではないだろうか。
 本プロジェクトでは,発達障害大学生一人ひとりを教師として,社会が取り組むべき問題について学んだ。一方で,発達障害大学生の抱える困難さに向き合いつつも,彼女/彼らの持つ豊かな個性に惹かれた。本書では随所において,好奇心を持って彼女/彼らと接することの重要性が示されてきたと思う。個人的には,大学院に進学して以来関心を抱いていたナラティブ・アプローチと,専門のナレッジ・マネジメント理論との融合を実践・理論両面で共著者(斎藤・西村)との協働により試みる作業は,吉永にとってつねに刺激的であった。
 吉永のこれまでの経験や関心を,期せずして発達障害大学生支援に活かすことができたことをうれしく思っている。本プロジェクトほど,大学においてトレーニングを積んだ戦略思考が役に立ったことはなかった。また,吉永が大学卒業後勤務した銀行での営業経験で磨いた交渉術を,コーディネーションに活かすことができた。さらに,博士論文のテーマでは,研究開発現場での「異能の人を活かすためのマネジメントのあり方」を追求していたが,そのことが,当プロジェクトが描く発達障害者の能力が大学や社会の財産となる将来像を違和感なく受け入れる素地になったと思う。本書を通じて,「発達障害の専門家ではなくても,専門家からの支援を受けて,自らの経験や関心を総動員すれば発達障害者の支援が担えるようになる」ことを,声を大にして読者に伝えたい。
 本著は,発達障害学生への支援に関して,特別支援教育の枠を拡げ,臨床心理学,知識経営学などの多様な専門性が融合した新しいアプローチの在り方を提言するものである。本書が,他の大学での発達障害大学生支援の一助になること,そして,本プロジェクトが追求している社会像に近づくための推進力になることを期待している。
(「あとがき」より一部抜粋)