あとがき

 筆者が児童精神科臨床の研修を受けようと決意したのは,精神科医になって4年目の夏,一人の不登校の少女とそのお母さんとの出会いがきっかけであった。それまで筆者は,大学病院での初期研修,東北地方の一地方都市の総合病院精神科を経て,民間の精神科病院で女子閉鎖病棟の病棟医として勤務しており,いっぱしのgeneral psychiatrist(一通りの精神疾患は診れる精神科医,の意)のつもりでいた。今にして思えば,小学校5年生のその少女は,過剰適応的な心性が優勢で,何事にも頑張って学校生活に適応してきたのだろう。しかし,前思春期になり,学業や友人関係で次第に行き詰まり,腹痛を訴えて不登校となり,不登校後は軽度の退行と分離不安を呈していた,と理解するのが妥当と思われる。だが,当時の筆者にはうまく見立てができず,成人の精神科臨床の知識からは治療や支援の方法がまったく思い浮かばず,戸惑うばかりであった。筆者が勤務していた病院は,いわゆる老舗の有名な精神科病院であり,不登校の子どもが受診するような病院ではなかったので,それにもかかわらず子どもを受診させたお母さんに「どうしてお子さんをこの病院に受診させようと思ったのですか?」と聞いてみた。すると,お母さんは即座に「この子が学校に行けないのは,精神的な問題だと思いました。精神的な問題ならこの病院が一番有名なので,診てもらおうと考えました」と答えられたのである。その言葉に,子どもも診れずにgeneral psychiatrist気取りでいた自らの不明を恥じ,その夜,近い将来に児童精神科の臨床研修を受けようと決意したのであった。そして翌年4月から,国立精神・神経センター(現国立国際医療センター)国府台病院児童精神科にレジデントとして勤務することとなり,児童精神科医としての研修がスタートした。まさに24時間365日児童精神科の臨床に明け暮れる生活の始まりであった。当初は,国府台病院で2〜3年間研修し,その後は「子どもも少しは診れる精神科医」として生きていこうと思っていたのだが,翌年からは常勤医として計8年余り国府台病院に勤務することになった。そしてその後,静岡県立こころの医療センターでの児童精神科病棟の立ち上げ,さらには県立病院の再編に伴う静岡県立こども病院「こどもと家族のこころの診療センター」の開設と,二十余年にわたって子どもの入院治療に携わり続けることになろうとは,研修を始めた当時はまったく想像していないことであった。
 筆者は,児童精神科に携わる臨床家として,自分が学んできたこと,経験してきたこと,考えてきたことをまとめ,入院治療の実践に少しでも役立つ本をいつか執筆してみたいと思っていた。この度,金剛出版からお話があり,児童精神科の入院治療を約20年続けてきたひとつの区切りとして執筆させていただくことにした。本書が,医療に限らず,子どもに寄り添う仕事に従事されている方々にとって,子どもや家族を支える上で少しでもお役に立つことができれば,筆者としては望外の喜びである。

2010年7月 山崎 透