訳者あとがき

 本書は,“Beginnigs−The Art and Science of Planning Psychotherapy”(The Analytic Press, 2002)の全訳である。(著者名は,原著では“Mary Jo Peebles-Kleiger”と記されているが,翻訳に際して訳者が著者と連絡をとったとき,著者から,現在は“Mary Jo Peebles”と名前を改めているので翻訳書が出る折には現在使っている氏名の方を使ってほしいとの要望があったので,その要望を受け入れ本翻訳書では現在の氏名を用いている)。
 本書は,原題を直訳すれば『始まり――心理療法のプランニングのコツと科学』とすることができ,つまり心理療法のための初回面接の仕方についてのテキストである。臨床心理学を学ぶ大学院生や,心理療法面接の実践を学んでいる過程にある臨床心理士,精神科医,心療内科医,カウンセラーなどを対象としたものである。また,臨床過程についての臨床心理学的研究の参考書としても活用できるはずである。
 著者メアリー・ジョー・ピーブルズは,臨床心理学者で,精神分析的治療機関として著名だったメニンガー・クリニックで約20年,臨床や臨床指導にたずさわった後,現在は,メリーランド州ベセスダで開業している。著者は,精神分析のトレーニングを積んでいるのはもちろんのこと,それだけではなくバイオーフィードバックやEMDRといった生理学的な臨床アプローチのトレーニングも受けており,催眠療法などの資格も得ている。精神分析を基礎としながら,幅広い理論的アプローチの臨床経験を有した臨床家である。
 このような豊かで幅広い臨床経験を背景として,著者は,本書で,心理療法の初回面接をどのようにおこない,どのように理解することが,その後の心理療法面接にとってより有意義であるのかについて,臨床の実際に即して,しかも理論的根拠に基づいて,きめ細やかに説明している。しかも,ここで説明されている方法は,ある特定の学派にのみ通用するものでなく,幅広い臨床アプローチで生かせる方法である。どのような学派のセラピストであれ,本書のアプローチの視点を学ぶことで,クライエントと臨床的介入のミスマッチが起きることを防ぎやすくなり,個々のクライエントに合った臨床アプローチが可能となって,その結果,それぞれの学派の持つ強みや持ち味をよりいっそう生かせるようになると思う。また,本書には,数多くの事例エピソードが含まれており,具体的なやりとりも豊富で,体験に近づけて理解しやすいものとなっている。さらに,本書は,不安やうつにまつわる事例はもちろんのこと,発達障害や心的外傷,あるいはパーソナリティ障害,重い精神病的障害なども臨床対象として想定しており,きわめて幅広い臨床場面やクライエントを射程に入れている。そして何より本書は,単なる初回面接や心理アセスメントのテキストであるにとどまらず,心理療法過程のどの時期でも通用する,きめ細やかな視点の持ち方や介入例を,具体的にわかりやすく説明した貴重な心理療法のテキストとなっていると思う。訳者にとって,本書を翻訳することは,有意義な体験で,すぐに日々の臨床実践に役立つ実感があった。
 本書の翻訳は,名古屋心理療法研究会のメンバーを中心に分担しておこなった。なお訳者のひとり神谷の分担部分の大半の下訳をしてくれたのは作業当時,中京大学大学院に在籍していた船橋亜希さんである。本書全体の,用語や文体の統一には神谷があたっている。
 著者は,訳者からの問い合わせや要望にていねいかつ親切に応じてくれた。また金剛出版編集部中村奈々さんは編集作業を着実に進めてくれた。心より感謝を申しあげたい。
 本書が臨床家に役立ち,ひいてはクライエントの生の充実につながることを願っている。

2010年9月 訳者を代表して   神谷栄治