訳者あとがき

 私が本書に出会って、翻訳を思い立ったのはおよそ六年前である。約一〇〇ページという薄い本の翻訳にここまで時間がかかってしまったのにはそれなりに理由がある。翻訳作業が何度か頓挫したことが主たる訳なのだが、そのまた訳というのは結構複雑である。メルツァーの文章には英語としてもかなりの癖があり、翻訳に手間取るというのはあるにしても、それは翻訳に六年もかかるということの理由にはならない。それは私自身の精神分析体験に起因しているというのが本当のところである。
 私は精神分析過程のまっただ中にいてこの本を翻訳しようとしていた。これはかなり無謀な所作であった。メルツァーが述べている、「自ら患者として直に分析過程を経験していない人が本書に意味を見出すことは想像しがたい」と。これはまさに彼の言うとおりだった。私が何とか翻訳を完成することができたのは、ロンドンでのおよそ三年半にわたる分析を終えて日本に帰国してからさらに一年がたった頃であった。それまではもうやめようと思っていた。なぜか自分の精神分析プロセスと、この翻訳作業が分かちがたくリンクしてしまい、自分の分析体験に対する態度と本書の翻訳に対する態度とが重なってしまったのである。要するに私は自分の分析過程の中で、何度も何度も「精神分析がいやでいやでたまらない」という状況になっていた。それに合わせてこの翻訳作業が何度も危機に瀕したのである。
 そもそも、本書に出会っていなければ、私は家族を連れてまでロンドンに渡り、タヴィストックのアドレッセント部門でトレーニングを受け、精神分析を受けようなどと思ったかどうか、はなはだあやしい。私はロンドンでクライン派の精神分析家から、週五回の精神分析を三年半あまり約八〇〇セッションにわたり受けた。その三年半での帰国というのは、ちょうど精神分析プロセスの中盤にさしかかったところで中断して帰ってきたような様子ではあるが、海外からの留学であったことや、必要最小限の英語力しか持ち合わせていなかったことも手伝って、心的防衛が解除されるのが早く、連想や感情表出も言葉で濁せないぶんダイレクトだった。これが幸いしてか、三年半という短期間ではあったがそれなりに紆余曲折のある生々しい精神分析プロセスを体験したと自分では思っている。短かったけれどもかなり強烈でインテンスな転移状況だった。その中で私は、夢と現実を本気で取り違えるような混乱を何度か体験した。たとえば私が渡英しているときに、英国の歴史的帆船カティーサークが炎上したという事件があったが、私はそのニュースを知るに及んで、自分が眠っている間に放火したのではないかと少しだけ、しかし本気で疑った。
 その頃私はよく帆船/カウチを炎上させる夢を見ていたのだった。分析に通うのが苦痛でならなかった時期である。これは文章に書くほど冷静な体験ではなかった。ほとんど転移精神病である。他者/思考にじかに触れるという体験だったと言えるのかもしれない。
 これらの経験に関しては詳細を語れるような代物ではないのだが、それでも、この切実で生々しい分析体験なしに精神分析など始まらないという思いだけは確かなものとして得たと思っている。精神分析自体を徹底的に疑わずして、自らの精神分析過程にじかに触れることはできないという当たり前のことを知ったに過ぎないのかもしれない。しかしながら、いやでいやでたまらなかった精神分析に対して持っていた疑念と迫害感は、その後の、分析家との墨汁をなめるような苦しく苦い共同作業によって、新しい何かが芽を出してくるという希望が生まれる転移的体験へと変わっていった。その芽は転移的対象に無残にも摘み取られたり、自分自身で踏みにじったりするなど、さまざまな情緒的反応がその新生物(希望・成長)に対して起こってきた。しかしながら、そこには、ある種の仮死状態にあった自己と対象とに、確実に命が吹き込まれているとの実感が伴っていた。分析の後半の二年では、強い痛みと嫌悪という情動に触れつつもより深い好奇心を維持することができるようになり、分析家への理想化ではない信頼へと開かれていったという実感を持っている。ここでやっと考え学ぶことの萌芽的機能を転移的対象の機能として内在化することが少しずつ可能になった。これは私にとってある種の宝物になったと思う。
 あの苦い体験が、今振り返ると美しくありがたい体験だったと思えるという事実は、いまだに不思議なことである。おそらくこれが、クラインのいう「良い内的対象」であり、今風に言えば「精神分析的対象(analytic object)」なのだと思う。その内在化過程は、精神分析を徹底的に疑うことに精神分析家がつきあってくれることから始まった。分析家はさまざまな形での私の攻撃にも全くぶれることはなかった。
さて、このような自分自身のどろどろした分析体験から考えると、メルツァーの描く精神分析プロセスは、いわば絵に描いた餅のように思えるところはある。そんなに上手く運べば世話はないと思えるのである。しかしながら、それでも彼の描くプロセスは、それが転移過程のある種のイデアなのだろうと感じられる危険な説得力に満ちている。メルツァー自身断っているように、これらの概念は主に精神分析の同僚同士の対話や、セラピストがプロセスを振り返る際にとくに有用なのであり、セッション中に参照すべきものではない。音楽の理論を参照しながら演奏する音楽家はいないだろう。しかし、本書はただ理論を紹介するような代物ではないことは、一読すればすぐに了解できることである。あまりの明晰さと、精神分析の本質に迫る力とに圧倒されてしまう。これはビオンの著作とも通じる性質である。これらを拒否したり理想化したりしないためには、自分が分析を受けるしかないと私は確信している。分析を受けることによってメルツァーやビオンとの対話が少しは可能になるだろう。つまり生きた疑問が生まれる余地ができるのである。
 読者諸氏が本書に触れられ、「何かよく分からないけれど、ここには何かがある」と感じたり、「訳もなく反発や疑念を感じるが、読むのをやめられない」(これはビオンの一連の著作により顕著だが)と感じるならば、次にあなたを待っているのは分析体験だと私は思う。それを終えられて、もう一度お読みになることを勧めたい。したがって、この本が分析を受けたことのない人には意味をなしえないだろう、というメルツァーの一刀両断はある種のレトリックだと思う。真に受けてはいけない。本書に触れて分析を受けたいと思う人がいるならば、それで良いと思う。
 さてこのあとがきを終えるにあたって、お世話になった方々に感謝の意を表したい。私が本書に触れるきっかけとなったのは松木邦裕先生のスーパーヴィジョンである。私がロンドンに渡ってからも松木先生は私の遅々として進まない翻訳作業を粘り強く待って下さった。さらに、監訳に際して的確なご指摘やご意見をいただいた。冷や汗の出るような誤訳をいくつか指摘していただいた。松木先生のサポートなしに本書の翻訳は完成しえなかった。あらためて深く御礼申し上げたい。さらに、本書の翻訳は金剛出版の藤井氏の暖かく粘り強いサポートなしにはなしえなかった。御礼申し上げたい。
 日常英語もおぼつかなかった私の困難な精神分析を引き受け、時に敵意に満ちた私の転移的態度にしっかりと向き合って下さったDr. Michael Feldmanには感謝の念で一杯である。それをどう言葉にしたらいいのか分からない。あなたの解釈は、まるで豊かな泉のようであり、よく切れるカミソリのようだった。それは希望と羨望の泉である。そのどちらに傾くのかは、私の今後の精神分析における活動と人生における活動とにかかっているのだと思っている。精神分析的心理療法をなすことにおいて、私が私自身として機能できている部分があるとすれば、その多くが有形無形にDr. Feldmanとの精神分析体験に根ざしている。精神分析的態度のオリジンは精神分析的な「良い対象」であると思う。
一介の留学生をスーパーヴィジョンにおいて暖かく指導して下さり、私の臨床的あるいは日常的な疑問にとことんまでつきあって下さったDr. Robin Anderson、Dr. Jill Vitesに深くお礼を申し上げたい。
 名前は挙げられないが、私のかかわったクライエントたちに感謝申し上げたい。私の拙い英語に我慢してくれたロンドンのアドレッセントたち、さらに日本における臨床の場で出会ったクライエントたち、彼らが私に精神分析プロセスに触れることを許してくれなければ、私は精神分析を学ぶことはできなかった。深謝申し上げたい。
 最後に、私の精神分析過程に日常から巻き込まれていた妻の飛谷千矢に感謝とともに謝罪を申し上げたい。そして三人の子どもたち、龍一郎、麟、莉凰のロンドンにおけるそれぞれの適応への奮闘は、私にとってもこの上なく重要な支えだった。私のロンドンへの好奇心を刺激してくれた今は亡き父、さまざまな形で留学を支えてくれた母に感謝したい。妻と子どもたち、そして両親と完訳の喜びを分かち合いたい。


二〇一〇年夏、大阪にて 飛谷 渉