監訳者あとがき

 訳者の方々と中村伸一先生とともに,ミニューチン先生の最新書の日本語訳出版に関わらせていただいた。私にとって大変名誉なことである。訳出に予想以上の時間がかかったが,今秋,東京大学安田講堂で開催される第2回アジア家族研究・家族療法協会シンポジウムと同時期に出版の運びとなった。力を貸して下さった皆さまに,まずはこの場を借りて心からの感謝を捧げたい。
 わが国の家族療法の黎明期にミニューチン先生の来日があったことがよく知られている。が,残念ながら私は,当時の状況をよくは知らない。四半世紀前,家族療法への関心はまだ私の中に存在せず,離れたところにいた。しばらく時間が経って書籍を紐解いた時も,常日頃携わる臨床との違いのほうが強烈に感じられ,一歩踏み込んで理解しようという余裕を持つことができなかった。構造派は若干遠いアプローチとなり,世代間境界を敷くなど頭では理解しても,取り組むのは先延ばしの課題となった。
 こんな思いこみがほぐれたきっかけは,90 年代に米国留学した時の経験だった。家族療法を学ぶといっても,これまでやってきたことの延長線上にいていいとわかり,ほっと安堵した頃だった。私に安堵をもたらしてくれた当の数名が,笑みを浮かべうれしそうにミニューチン先生の話をしている。ああ,この人たちはミニューチン先生が本当に好きなんだと伝わってきて,そんな文脈のなか,先生のビデオを数本鑑賞する機会を得た。最後まで通してしっかり観たのは,それが初めてだったと思う。奇想天外な発言が出てくるわけでなく,言葉にしたいことの半歩先,一歩先を見事に引き出している。家族が共有する物語に寄り添いながら,個人の悲しみへの理解を外さず,しかも軽妙さを失わない。支えられているかと思うとチャレンジされ,チャレンジされていたはずが,支えられているなど,家族の体験はテンポよく動くが,大事なところは必ず立ち止まる。―ああ,だからわずか一回のセッションでこれほど動くのだ,自由闊達に振る舞いながら嫌われないセラピストなんだ―と謎が解け,構造派は私にとって,手に入れたいものをたくさん孕んだアプローチへと変わった。
 今回の翻訳作業を通して,上述の印象に,さらに数段の磨きがかかったことがよくわかった。1996年に著された“Mastering Family Therapy”(亀口憲二監訳『ミニューチンの家族療法セミナー:心理療法家の成長とそのスーパーヴィジョン』金剛出版,2000 年)では,セラピストが自分自身を使うことを説くミニューチン先生の声が強く伝わってきていた。約10年後の著作である本書で,何かと戦う姿勢はぐっと鷹揚なものとなり,比喩的表現や歴史的視点など,多様な要素を含み込んで,これぞ統合という言葉がふさわしい実践と感じ入った。家族がゴールに到達する道のりを探求するために役立つ地図の必要性を認めながら,個々のセラピストが「自分」を使う余地をたっぷり残した4 ステップモデルが提唱されていること,歴史的視点を取り入れながら,なお構造の探究という軸から外れないことから,太くてがっしりし,なおみずみずしい構造派の根源に脈々と繋がっていると実感させられる。広く複数人に目を向け,多次元的・包括的な関心を同時に動かしながら,介入のポイントは関係の様態を僅かに変えることにあり,4ステップモデルを頼りにその道のりがおのずと導き出せるだろうという希望が湧いてくる。ミニューチン先生,初期からの力強さ・楽観性が脈々と健在である。
 もう一言,ぜひ触れておきたいのが本書の見事な構成である。取り上げられた事例の現代性とまとめ方の見事さに感心した。三角関係に巻き込まれた子どもが症状を抱えてゆく家族の事例,再婚家庭における関係再編の課題,うつや強迫といった症状を呈した妻がIP として扱われる家族の事例,対人的葛藤が潜伏する家族の子どもの心身症という問題,家族ごとの変化をこそ探究したい福祉領域の家族の問題と盛りだくさんである。家族ベースのセラピーの意義を説く言葉はいささかの迷いもなく全編を貫いて流れ,力強さのいくらかを分けて頂いた気持ちになる。関係援助の領域で働くセラピストたちが学びたいと欲し,たくさんの刺激を受ける事例の選定であることは間違いない。

中釜洋子(東京大学)