監訳者はしがきと著者紹介

 これまでは,統合失調症は脳の疾患であるといった生物学的な側面が強調されてきたが,最近では,生物・心理・社会の統合モデルが重視されるようになっている。統合失調症の症状は複雑であり,生物学レベル・心理学レベル・社会学レベルにわたる広汎な障害を示すため,いろいろなレベルの治療介入を組み合わせる必要がある。このため,各レベルの専門家(医師・看護師・臨床心理士・ソーシャルワーカーなど)の分業と協同が不可欠である。 アメリカ精神医学会の治療ガイドラインを見ると,統合失調症に対する治療介入としては,生物・心理・社会モデルに合わせて,@生物学的治療,A心理社会的介入,B社会的・地域的介入があげられている。A心理社会的介入としては,個人療法,家族介入,集団療法,早期介入プログラムがあげられており,B社会的・地域的介入としては,ケースマネジメント,コミュニティ療法,生活技能訓練,職業リハビリテーション,認知療法などがあげられている。
 こうした背景もあり,統合失調症の心理的介入,とくに認知行動療法が近年さかんに開発されるようになった。その中心となっているのはイギリスであり,以下の4つのグループが競い合っていろいろな技法を開発している。

@ロンドン大学精神医学研究所のグループ
Aマンチェスター大学のグループ
Bバーミンガム大学のグループ
Cニューカッスル大学のグループ

 @ロンドン大学精神医学研究所の心理学分野には,ヘムズレイ率いる精神病研究グループがある。本書の著者であるファウラー,ガレティ,カイパースたちは,ヘムズレイのもとで研究を行なってきた。このグループでは,他にも,ワイクスや若手のピーターズ,フリーマンといった研究者が活躍している。
 Aマンチェスター大学のグループも活躍している。マンチェスターは,以前から統合失調症の精神病理学がさかんな地であり,「マンチェスター学派」という名称で知られている。こうした風土に対応して臨床心理学・異常心理学もさかんである。それを引き継いでいるのがタリアのグループである。タリアは,統合失調症の家族介入や認知行動療法で著名である。邦訳された著書としては,「統合失調症に対する症状対処ストラテジー」がある(丹野義彦・坂野雄二編『ワークショップから学ぶ認知行動療法の最前線―PTSD・強迫性障害・統合失調症・妄想への対応』金子書房[2008]所収)。タリアを中心に,バロウクロウ,ベンタル(現在ウェールズ大学バンゴウ校),モリソンといった研究者が活躍している。
 Bバーミンガム大学のグループは,バーチウッド,ジャクソン,チャドウィック(現在ロンドン大学精神医学研究所)といった研究者がいる。彼らの仕事については,丹野義彦編『認知行動療法の臨床ワークショップ―サルコフスキスとバーチウッドの面接技法』(金子書房[2002])や,バーチウッド・ジャクソン著[丹野義彦・石垣琢麿訳]『統合失調症―基礎から臨床への架け橋』(東京大学出版会[2006])に詳しく紹介されている。
 Cニューカッスル大学のグループは,キングドンとターキングトンが中心である。彼らが作成した認知行動療法のマニュアル(原田誠一訳『統合失調症の認知行動療法』日本評論社[2002])は世界的に大きな影響を与えた。

 本書はロンドン大学精神医学研究所のグループによって作られた認知行動療法のマニュアルである。統合失調症の症状は個人差が大きいため,従来のようなパッケージ型の認知行動療法は難しい。そこで,本書は,より個別性の強い「フォーミュレーション駆動型」のアプローチを提案している。1995年に発表された本書であるが,この分野ではすでに古典としての評価を受けている。ロンドン大学精神医学研究所やモーズレイ病院,ベスレム王立病院などでは,このマニュアルをもとにして認知行動療法を行なっている。イタリア語など多くの言語に翻訳されている。監訳者たちはこの本から大きな影響を受けており,以前から本書の邦訳を紹介したいと考えてきたが,今回,出版が実現したことはたいへんうれしい。金剛出版の藤井裕二さんには大変お世話になった。この場を借りてお礼を述べたい。



以下,3人の著者について紹介しよう。

 デイビッド・ファウラー(David Fowler)は,現在,西アングリア大学医学部の臨床教授と心理学部の准教授(リーダー)をつとめている。
ファウラーは,リーズ大学で心理学を学び,修士号を取得した。1986年から3年間,ロンドン大学精神医学研究所で仕事をし,この間に,本書の著者3名がヘムズレイのもとで机を並べた。この時期は,うつ病や不安障害の認知行動療法が大きく発展し,統合失調症の治療に応用しようとする気運が高まっていた。こうして時と場所と人が整い,統合失調症の認知行動療法という新しい領域が生まれたのである。
 ファウラーは,1989年にケンブリッジのフルボーン病院に移り,統合失調症の治療に専念した。この活動には,ケンブリッジ大学からの資金援助があった。そして1994年には,西アングリア大学に移り,臨床心理学の講師となり,2003年から准教授(リーダー)となった。西アングリア大学は,イギリス東部の都市ノーリッジにある。ロンドンから電車で1時間半の場所であり,ロンドンとノーリッジの間にケンブリッジがある。こうした地理的環境もあり,西アングリア大学は,ロンドン大学やケンブリッジ大学との関係が深い。ファウラーは,2004年から,西アングリア大学医学部の社会精神医学の臨床教授として活躍している。
 ファウラーは,一貫して精神病の認知障害のメカニズムと介入の研究を行なってきた。とくに,精神病の症状の早期介入と認知行動療法についての研究で世界的に知られている。2000年には,バーチウッドとジャクソンとともに『精神病への早期介入』(Early Intervention in Psychosis : A Guide to Concepts, Evidence and Interventions, Wiley)を編集した。2000年には,慶應義塾大学生命科学・医学国際シンポジウム「統合失調症の包括的治療―神経行動学知見を心理社会的アプローチにつなげる」に招待されて来日した。この時の記録はSpringer社から2002年に出版された。ファウラーは,アメリカの国立精神衛生研究所(NIMH)の「精神病の心理社会的介入訓練」部門の国際委員をはじめとして,精神病の治療にかかわる多くの研究プロジェクトに参加している。また,セラピストの教育についても熱心で,イギリス国内はもとより,多くの国際学会においてワークショップを行なっている。

 フィリッパ・ガレティ(Philippa Garety)は,現在,ロンドン大学精神医学研究所の教授をつとめている。
 ガレティは,ケンブリッジ大学で心理学を学び,1981年にロンドン大学の精神医学研究所の講師となった。1990年に前述のヘムズレイの指導で博士号を取得した。1994年から1996年までは,オクスフォード大学の臨床心理士の訓練コースを指導した。1997年にロンドン大学に戻り,精神医学研究所の教授となった。
 ガレティは,統合失調症の陽性症状,とくに妄想の研究で世界的に知られている。1994年には,ヘムズレイとともに『妄想はどのようにして立ち上がるか』という著書を出版した。この本はきわめて大きい影響力を持ち,この本に惹かれて多くの若手心理学者が妄想の研究をはじめた。監訳者の丹野も同様であり,この本の翻訳をおこなう機会があった(丹野義彦監訳,ミネルヴァ書房[2006])。ガレティの仕事については,この本の訳者解説「ヘムズレイとガレティはどのような臨床研究をしているか」に詳しくまとめたのでご参照いただきたい。
 ガレティは,統合失調症の陽性症状についての心理学的モデルを作り,認知行動療法を強力に開発した。また,統合失調症の認知行動療法の効果を調べる大規模研究も行なっている。ガレティのもとで多くの研究スタッフが働き,多くの若手研究者が育っている。2003年に,ガレティは,東京大学で開かれた日本心理学会に招待され,講演とワークショップを行なった。その記録は翻訳・出版されている(丹野義彦・坂野雄二・長谷川寿一・熊野宏昭・久保木富房編『認知行動療法の臨床ワークショップ2―アーサー&クリスティン・ネズとガレティの面接技法』金子書房[2004])。
 現在の彼女の研究グループは,主に,@感情が妄想に与える影響の基礎研究とその臨床的対処,A妄想に特有の認知バイアスを修正するためのリハビリテーション法の開発,の2点について精力的な研究を行なっている。
 2002年にガレティは,英国心理学会よりシャピロ賞を受けた。この賞は,精神医学研究所で活躍した心理学者モンテ・シャピロの業績を讃えて,ベテランの臨床心理学者に与えられる賞である。監訳者の丹野がガレティの本の翻訳に関わるのは,『妄想はどのようにして立ち上がるか』と『認知行動療法の臨床ワークショップ2』に続いて3冊目になる。

 エリザベス・カイパース(Elizabeth Kuipers)は,現在,ロンドン大学精神医学研究所の教授をつとめている。
 カイパースは,ブリストル大学で心理学を学び,バーミンガム大学で修士号を取得した。1977年にロンドン大学精神医学研究所に移り,そこで博士号を取得した。以後,ずっとこの研究所で仕事をしている。
 彼女も一貫して精神病の心理学的介入についての研究を続けている。はじめは,家族介入法の研究を行なった。家族の感情表出(EE)が統合失調症の再発を高めるという研究結果は,ブラウンらの1972年の研究にはじまり,1985年のレフとボーンによって確立された(三野善央・牛島定信訳『分裂病と家族の感情表出』金剛出版[1991])。こうした実証研究にもとづいて,家族の感情表出を緩和するための家族介入法が開発され,大きな効果をあげている。1992年に,カイパースは,レフとラムとともに,家族介入法のマニュアルである『分裂病のファミリー・ワーク』(三野善央・井上新平訳,星和書店[1995])を発表した。
 このように感情表出研究と家族介入法の土壌から,統合失調症への認知行動療法が育ってきたといえる。カイパースとガレティが中心となって1997年に行なわれた「ロンドン−東アングリアRCT」研究は,精神病に対する認知行動療法の効果をはじめて確かめた大規模研究として有名である。この研究は,ロンドンのモーズレイ病院,ケンブリッジ大学のアデンブルック病院,ファウラーのいるノーリッジのノーフォーク病院の共同により,統合失調症の患者を対象として,無作為割付対照試験(RCT)を行なったものである。精神医学的症状を調べると,9カ月後の治療の終了時には,認知行動療法群で症状の改善がみられた。この症状改善の効果は,治療をやめた9カ月後にも続いていた。このように,認知行動療法は,精神医学的症状を改善する効果があることが確かめられた。また,治療効果だけでなく,費用の点からも効率的であることが確かめられた。この研究における治療マニュアルとなったのが本書である。
 カイパースは,精神医学研究所心理学科の認知行動療法の訓練の責任者として活躍している。精神医学研究所の心理学科は,イギリスの臨床心理士の指定校になっていて,30名ほどの博士課程の学生がいるが,そのコースの教育の中心にいるのがカイパースである。2006年からは,精神医学研究所心理学科の主任をつとめている。また,NICEガイドラインにおいて,統合失調症に関する改訂の座長をつとめている。2010年には,英国心理学会から前述のシャピロ賞を受賞した。
 家族介入法と認知行動療法の成功はイギリスの臨床心理学や精神医学に大きな自信をもたらした。これにより,イギリスのメンタルヘルスの専門家の臨床能力は格段に進歩したといわれる。そうした動きの中心にいるのがカイパースである。


丹野義彦・石垣琢麿