編者序


専門家といえども生身の人間である

カイラ・ミリヤム・ワイナー

 スーザンが自殺したという電話連絡を受けたが、私はとても信じられなかった。彼女が寝室で首をくくり、警察が駆けつけ、検死官がすでに遺体を搬送したと聞いた後も、私は「スーザンは本当に死んでしまったの?」と言ったほどだ。自殺の事実を受け入れると、次に私を襲った感情はパニックと恐怖感であり、さらに混乱、恥、疑問、悲しみ、安堵感などさまざまな感情が次々に湧きあがってきた。
受話器を置いても、私はそれから何をしなければならないかまったくわからなかった。これまでに自殺予防や自殺の危険評価を取り上げた多くのワークショップに参加してきた。しかし、このおぞましい出来事が実際に起きたときに何をすべきか誰も私に教えてはくれなかったのだ。これこそが本書をまとめようとした理由である。単に自殺について取り上げるばかりではなく、私が経験した苦痛、混乱、ストレス、そして、遺族、患者の診療録、自分自身の臨床、人生、そして私自身を、他者の手に委ねてはならない。患者の自殺という話題を率直に議論することによって、セラピストはこのきわめて困難な時にサポートを得ることができる。
 私は非常に多くのセラピストが患者の自殺を経験していると知ったのだが、これまでに患者の自殺を経験したことがあるセラピストのただのひとりとも個人的に話をしたことがないと気づいて、驚いた。アトランタにある疾病対策センターは米国では年間約三万人の自殺が生じていると推計している(CDC, 1998)。さらに、自殺の直前、あるいはそれ以前の三〇日以内に自殺者の半数は精神保健の専門家による治療を受けていたとも推定されている。すなわち、米国では毎年少なくとも約一万五千人の臨床家が患者の自殺というトラウマに向き合わなければならないことになる。医療機関の他のスタッフを含めると、トラウマを被る人の数は計り知れない。全国でこれほどまでに多くの人々に深刻な影響を直接及ぼす出来事を想像するのは難しい。そこで、教育機関や精神保健関連機関でこの問題について率直に議論し、患者の自殺を経験したセラピストに適切な援助を差し伸べるための適切な訓練と手順を本書は用意しようとしている。
 本書の目標は次の三点である。@他者を非難したり、恥ずかしい思いをしたりしないで、この問題を議論できるようにする。Aセラピストが自分の感情や経験を他者と共有する場を提供し、このトラウマを経験しているのが自分だけではないと理解できるようにする。B患者の自殺に対処するための援助源を与える。さらに、患者の自殺が生じた後に、臨床家が取るべき法的・治療的行為についても取り上げる。
 本書の筆者の国籍は四カ国に及び、個人で開業している者もいれば、公立の医療機関で働いている者もいて、ほとんどの精神保健の領域にわたり、さまざまな年齢の男性も女性もいる。筆者らのほとんどが患者の自殺を経験している。各章では詩的な内容から、教育的なもの、そしてスピリチュアルなものまで取り上げられている。患者の自殺それ自体はもとより、セラピストの癒し、専門家としての能力の回復過程について述べなければ、セラピストが患者の自殺をどのように受け止めていくことができるかという点について語ったり、記述したりすることは不可能だろう。患者の自殺は専門家として経験する出来事ではあるのだが、どの筆者も個人的な経験という側面を切り離すことはできないと認識している。どの筆者も各章を書いたことが患者の自殺というトラウマから立ち直る過程の一部になったと述べている。出版を目的として記述するという行為(あるいはこの件について教育すること)は、他者にとってこの世界をよりよくしようという試みの一部にもなっている。本書は患者の自殺を経験したセラピストが必要としている次の三点について取り上げる。@自分の感情や回復について検証する時間、Aさまざまな複雑な感情を一緒に議論する相手、B教育機関においてこの種の問題に対して今まで以上によいシステムを準備をすること、についてなどである。
 患者の自殺というトラウマから回復するということは実に複雑である。一般的に基本的な悲嘆の過程はある段階を進んでいくものだが、患者の自殺に対処していくということにはある特定の問題が生じてくる。第一に、自殺が生じた直後から責任の問題に対処しなければならない。第二に、患者の自殺と自分自身について生じるセラピストの広範囲な感情に対処しなければならない。同時に、セラピストは専門家としての能力への自信喪失とともに、その後の自信回復についても対処しなければならない。訴訟を起こされるかもしれないという恐れも常に存在する。

自殺の動機
 自殺にはさまざまな動機がある。一般的には、自殺は絶望感に対する反応と考えられている。諦めの行為、一種の解放、あるいは一種の救済と考える人もいる。人生の問題に対処する手段として、自殺した家族の中の誰かの行為(あるいは家族の秘密)を模倣したものととらえる人もいるだろう。「私がどれほど惨めな気持ちなのかあなたにわかってほしい」という理解を求める必死の叫びとして自殺を選択する人もいるだろう。尊厳死運動を支持する人は自らの命を終える正当な動機が存在すると確信している。末期の病気にかかっているとか、それに耐えられないとか、極度の痛みを伴う場合や、とくに病人が心理的・身体的なサポートが得られなかったり、十分な財産がなかったりする場合には、自分の命を絶つことを選択するのは妥当なことだと彼らは考える。自殺の動機が何であれ、遺された人はその死と喪失感に向き合わなければならない。これは患者の自殺を経験したセラピストにもあてはまる。

セラピストの感情
 患者の自殺が生じると、セラピストの最初の反応はそれぞれ大きく異なることを本書の各章が示している。(患者がもともと自殺の危険が高かったとしても、実際に自殺が生じると)ショック、否認(あるいは否認の要求)、(訴訟を起こされるかもしれないという)恐怖などの感情について述べられている。多くの感情が一挙に襲ってくることをほとんどの筆者が述べている。初期の反応が収まると、広範囲な感情がそれに続く。文献によれば、自殺に対処する一環として、ほとんどのセラピストは臨床家としての自分の能力に疑問を抱き、しばしばひどく自信を失う(Jones, 1987; Jobes et al., 1995)。
 患者の自殺を知った当初の感情やその直後、そしてその後の自分自身の感情について、本書の筆者らは議論し、自分自身の経験に基づく過程をきわめて詳しく述べている。それはすべて、意味のない行為と思われるようなことに対して何とか意味を見出そうとする行為を記載しようとするものである。各章はそれぞれに個人的で独特なものであるのだが、多くの共通点があり、意義深くて、興味深いものである。
感情を複雑にする可能性のある関連の問題
 患者の自殺を知らされるのによい方法などないことは当然である。患者の自殺を知ったときのセラピストの感情が人によって大きく異なることについて、本書でもシュルツ(Schultz)が取り上げている。アンダーソン(Anderson)はクリニックのスタッフがかつての自分が担当していた患者が自殺したと話しているのを偶然耳にしたことを第2章で述べている。ワイナー(Weiner)は家族から電話がかかってきて、自殺を知らされた。たとえ自殺の危険の高い患者であることをこれまでも認識していたとしても、突然、自殺の報を受けると、それぞれのセラピストに反応が生じる。セラピストが人生で経験した誰かの死や自殺に関する以前の感情が呼び起こされるのだろう。
 患者の自殺が生じた直後に、他の専門家の、あるいは、所属機関のサポートのあるなしが、セラピストを助けてくれたり、助けてくれなかったりすることを本書のすべての筆者が述べている。周囲からのサポートや自殺について語る場があると、臨床家のトラウマは和らげられるだろう(Hendin et al., 2000)。シュルツそしてスピーゲルマン(Spiegelman)とワース(Werth)による章では、教育機関やスーパービジョンの機関において、セラピストをよりよく助力するための多くの提案について述べられている。
 患者の自殺に対するセラピストの反応や、故人をどのように考えるかという点に衝撃を及ぼす患者のさまざまな特徴がある。自殺がどのように実行されたかということに対して、私(Weiner)の自殺に対する個人的な経験はさまざまな反応を引き起こした。ある女性は自分の子どもだけが見つけるような場所で縊死したのだが、私にはあまり同情の感情を引き起こさず、むしろ患者が子どもに対して行ったことに対して怒りが湧きあがった。また、恋人の自宅で頭に銃弾を撃ちこんで自殺した女性に対しても私はほとんど何の感情も覚えなかった。すべての法的問題や財産の件について手配を済ませ、家族のひとりひとりや友人に手紙を書いて、自分の決定はすべて自分だけに責任があって自殺したのだと記し、親しい人が遺体を目にしないで済むように配慮した女性には、私は多くの同情を覚えた。私の患者であったスーザンは、財産についてまったく考慮せず、長年にわたるパートナーにはほとんど何も残さなかった。彼女のことを愛してくれたパートナーがそのためにさまざまな問題を抱えたのを目にすると、スーザンの自殺に対する私の感情は怒りに満ちたものとなった。
 セラピストの人生経験は、患者の自殺に対する個々のセラピストの反応に影響を及ぼすだろう。本書では、アンダーソンが自分の人生経験が担当患者と自分自身を関連させていることを、ライクロフト(Rycroft)は自殺した若い女性患者が自分の娘と同年齢であったことを、グラート(Grad)とミシェル(Michel)は患者の自殺に対する反応が性別によって異なる可能性を議論している。私の悲嘆は、ほぼ同じ時期に起きた他の患者の死によってさらに複雑なものとなった。スーザンが自殺した頃に、キャロラインが医療過誤のために死亡した。スーザンは自殺の危険が高かったのだが、援助に抵抗した。キャロラインは人生を肯定し、生きることを望んでいた。どちらの患者の死も私にとっては大きな喪失であったのだが、私の悲嘆はそれぞれの患者によって実質的に異なるものとなった。

複雑な要因
 患者の自殺を経験したことがある本書の筆者全員が、自分の周囲の人々の態度や対応によって自殺に対処していくうえで大きな影響があったと述べている。すぐそばにいる同僚やスーパーバイザーの反応はしばしば精神保健領域の一般的な態度を反映している。一般的に言って、精神保健の専門家は患者の自殺がセラピストに及ぼすトラウマの影響について口を閉ざしてきた。もしもあるセラピストが患者の自殺を経験したのに、周囲の他の専門家がこの件について何も触れないならば、セラピストが自分はひとりではないと感じるのは難しい。周囲の専門家が口を開かないということは、そのセラピストが患者の自殺に何らかの責任があったという点を示唆しているのかもしれない。患者の自殺を経験したことがある本書の筆者全員が、他者の言葉の影響について議論している。言葉に出されて、あるいは無言のままで、セラピストが「もしも」何かをしていたならば、あるいは、何かをしていなかったならば、患者は自殺しなかったかもしれないといった雰囲気がしばしば生じる。批判したり、辱めたりするのではなく、スーパーバイザーや他の同僚たちはよりよく理解するために自殺の症例を再検討するようにセラピストを助力すべきである。

患者の自殺の危険因子
 器質性障害、気分障害、その他の精神病性障害の患者は、他の診断に該当する患者よりも、自殺する危険が高いとケムトブらは述べている(Chemtob et al., 1989)。これらの障害を抱えた患者の多くが精神保健領域や入院治療施設で治療されている。セラピストが患者の自殺を経験する可能性が高い環境として、ケムトブ(1989)は精神科病院、総合病院の精神科病棟、精神保健の外来治療機関などを挙げている。皮肉なことに、このような場所に、もっとも経験の乏しい臨床家がインターンシップや研修のために送りこまれている。
 スピーグルマンらは本書の中で、過去二十五年間を振り返って、患者の自殺を経験したセラピストが危機に対処するという課題について、学生のカリキュラムでほとんど取り上げられてこなかったと述べている。シュルツとともに、スピーグルマンらは医療機関におけるスーパーバイザーに対する訓練の欠陥についても焦点を当てている。患者の自殺に対して建設的に向き合う訓練を受けている者がほとんどいないために、もっとも深刻な影響を受ける可能性の高い臨床家や研修生が患者の自殺を経験した際に、自殺の結果に対処するうえで自分自身の限られた援助源に頼るしかなく、二重の危険に曝されているというのだ。

セラピストにとっての法的な防御
 フェルドマンら(Feldman et al.)は第7章で、臨床家にとっての法的問題について焦点を当てている。自殺の危険の高い患者の治療に伴って責任を問われる可能性を最小限にする方法を詳しく述べている。自殺をしないという契約について議論されているが、それは患者の診療録の一部として記載されるべきであり、セラピストが患者の自殺の危険に十分に注意を払っていた証拠を示すものである。入院治療の必要性を評価することの重要性や、法的問題から身を守ることに役立つ他の重要な方法についても議論されている。
第1章でジェームズ(James)は、新患をスクリーニングする方法をどのようにして身につけてきたのかを知的で情熱的に述べている。個人開業をしている者は、自分自身の能力の限界を知ることが重要であり、自分の技量や能力を検討するだけでなく、自殺の危険の高い人を治療していくうえで必要とされる時間やエネルギーについても考慮しなければならない。もしも患者の主たる問題が自殺に関連するものであるのならば、治療契約を結ぶ前に、その患者に関わることの結果についてもセラピストは十分に理解しておかなければならない。治療中に患者の自殺の危険が高まり、セラピストの能力以上のことが必要になったならば、患者に必要なことを与えられる他の臨床家や他の治療機関を探さなければならない。
 第7章でフェルドマンらは、定期的にコンサルテーションを受けて、記録しておくことがいかに重要であるかと指摘している。個人開業をしているセラピストにとっては、患者の自殺の危険が高い場合には、何人かの副セラピストによる治療を受けさせることや、並行して他の治療を受けるようにすることも賢明かもしれない。こうすることによって、セラピストは治療に関して参考意見を得られ、治療過程で他者からのサポートを得られる。また、患者の利益となるようなさまざまな試みを協働させることもできる。もしも同僚からの適切なコンサルテーションが得られなかったり、症例があまりにも複雑であったりする場合には、問題の領域に造詣が深くて経験豊富な専門家を探して、有償のスーパービジョンを受けるのも賢明な対策である。繰り返しになるが、これについても慎重に記録しておかなければならない。さらに、私は危機的状況にある患者を担当する場合には、患者に自殺しないという約束や危機に対する安全確保計画を自筆で書いてもらい、セッション毎に日付と署名をしてもらうことにしている。法的な問題が生じた時には、セラピストの行動は科学的根拠に基づかない占い師のようなものであってはならず、それは妥当かつ慎重なものでなければならないのである。

守秘義務
 私の患者が自殺した直後に、私にとってもっとも支持を与えてくれたかもしれない人たち、すなわち、私が常にコンサルテーションを求めている人たちに自殺について話さないようにと顧問弁護士から私は助言された。もしも訴訟が起こされて、そのグループの誰かを証人として出廷するように依頼する必要が出てきた場合に、自殺が起きた後に私が彼らに話した内容について報告する義務が生じるかもしれないことを、私の弁護士は心配していたのである。自殺が起きた直後の心がすり減ったような状態の時に、文脈から離れて自分に不利に引用される怖れのあるようなことをセラピストは言うかもしれない。そこで、患者の自殺直後の段階でその経験を受け止めていくための法的に唯一の安全策は、法的に確保された守秘義務の中に身を置くことであり、そのためには治療費を支払ったうえで自分も心理療法を受けるか、あるいは弁護士に費用を払うことである。第3章と第4章では、シュルツ、そしてスピーグルマンらが、患者の自殺が生じた際にセラピストを助力するための適切なスーパービジョンの指針を作るための素晴らしい助言について述べている。

治療的問題
 弔意を述べることは当然としても、自殺が起きた直後に患者の家族に詳しく話をするのはおそらく賢明ではないかもしれない。しかし、私の経験や、アンダーソンらの経験からは、しばらくしてから家族に連絡を取るのは関係者すべてにとって有意義なこととなり得る。私がある医療機関で患者の自殺の話題を取り上げたときに、その機関の保険の方針として、そこに所属するセラピストはいかなる葬儀に参列することも、遺族と接触することも禁じられていると臨床部長から助言されたことがある。これは家族およびセラピストの両者の癒しにとって不幸なことであると思われる。記念式典や葬儀に出席するということは、セラピストにとって心理的な助けになるばかりでなく、遺族に対して弔意を示すことにもなるだろう。遺族とその後連絡を持つということの目的は、故人にとっての秘密の情報を開示するということであってはならず、むしろ遺族がその喪失感を受け入れていくのを助力するためであるべきだ。
 多くの人々との議論や私が講演した際に収集した情報もとに、次のような件についてさらに検討する必要があると思われる。

・ある医療機関で一緒に治療に当たってきたスタッフも患者の自殺をともに振り返る機会が得られるように考慮するのは重要である。亡くなった患者と深い関わりがあったので、彼らの感情について検討する必要がある。
・セラピストは悲劇が起きた直後に休養が必要であるかもしれないし、あるいは、仕事を続ける必要があるかもしれない。直後のショックが和らぎ、患者の自殺の意味を探ることができるようになってから、数週間か数カ月間休みたいというセラピストもいるだろう。休養は個々のセラピストが必要と感じる時に取ることができるようにすべきであって、管理部門が必要だと判断する時にではない。
・自殺のもたらすさまざまな影響が一種の「労働災害」のように考えられるようになると、患者の自殺後に休養することが有休として扱われる州(とくに医療機関で勤務する者に対して)も出てくるかもしれない。こういった配慮を進めるように専門家の団体は要求したほうがよいだろう。
・最後に、セラピストや医療機関に対する訴訟だけではなく、セラピストが懲戒処分を受けたり、免許が剥奪される可能性に対して、医療機関はセラピストを守るための保険の方針を確認しておくべきである。専門家が認定機関と交渉する件に関して多くの医療過誤対策の保険会社が対応しているが、医療機関の方針にはこれはかならずしも当てはまらないかもしれない。繰り返しておくが、専門家の団体は、これを実現することを自らの使命の一環とすべきである。

 患者の自殺を経験したセラピストという問題に本書がいくらかでも光を当てて、この種のトラウマを経験するのは自分だけではないと他のセラピストに知ってもらうことを編者は希望する。セラピスト自身と自殺した患者の家族を助力するための、一般的、法律的、治療的情報が本書では提示されている。精神保健の領域の学生、教師、臨床家のすべてにとって本書が役立つことを編者として希望する。

文献
Center for Disease Control (1998). National Center for Health Statistics monthly vital statistics report {Online}, 48 (11). Available: http://www.cdc.govInchs/fastasl
Chemtob, C.M., Bauer, G.B., Hamad, R.S., Pelowski, S.R., & Muraoka, M.Y. (1989). Patient Suicide: Occupational hazard for psychologists and psychiatrists. Professional Psychology: Research and Practice, 20, 294-300.
Hendin, H., Lipschitz, A., Maltsberger, J.T., Hans, A.P., & Wynecoop, S. (2000). Therapists reactions to the suicide of a patient. American Journal of Psychiatly, 157 (2), 2022-2027.
Jobes, D.A. & Maltsberger, J.T. (1995). The hazards of treating suicidal patients. In M.B. Sussman (Ed.), A perilous calling: The hazards of psychotherapy practice (pp.200-216). NY: Wiley.
Jones, F.A. (1987). Therapists as survivors of client suicide. In E.J. Dunne, J.L. McIntosh, & K. Dunne-Maxim (Eds.), Suicide and its aftermath (pp.126-141). NY: Norton.