はじめに

 本書は,私の著作集の二作目にあたるものである。前著は,『青年期心性の臨床――精神病理学の視点から』(金剛出版,2000年)として出版された。それから10年たって,二冊目とはかなり遅いペースと言えるかもしれない。言い訳ではないが,筆者は民間の総合病院に勤務する一常勤医であり,平日は朝から夜まで日常臨床に追われているため,勉強と研究に割ける時間は,それが終わってからにならざるをえない。大学の研究職にポストを得ていない負け犬の遠吠えかもしれないが,しかし,もともと大学に積極的に残る積りはなかったのだから致し方ない。しかも私のように一度理学部で研究生活を経験したことのある身にとって,中井久夫先生も書いているように,医学部のほとんどが「ぼう大なBクラス研究者の集団」としか見えなかったことも事実である。もっとも大学に残ることそれ自体は,基礎医学研究は別として,私が医師になった頃から急速にその魅力が色あせていった。私たちの(と言っても私は遠回りをしているので,同じ年頃の医師に対して周回遅れであり,私より約10歳下の)年代が,いわゆる「大教授」を身近に体験した最後の世代なのかもしれない。それは,精神科固有の問題ではなくて,医学部一般の,それどころか学問全体において世界共通の現象のようだ。ある種のカリスマ性を有して存在すること自体に威厳があり,浩瀚な知識を持ち,慈父と厳父を兼ね備えたようなグレイトファザー的大教授は,もはやどこにもいなくなってしまった。いまはただ専門領域が狭く,専門外のことについてはほとんど見識を欠き,カリスマ性も乏しい小粒の教授しか眼にしなくなってしまった。このことは現役教授たちの責任というよりも,リオタールが言うところのいわゆる「大きな物語」が終焉した世界に,われわれは不可避的に生きざるをえなくなっていることに由来しているのであろう。
 経済的にも医学部教授の給料が,精神科病院に赴任したての新米精神科医の月収と大した違いがないどころか,むしろ少ないことさえあることが,アカデミカー(大学人)として現代において生きることの難しさを示している。もちろん年収の多寡など,ある意味において瑣末的なことであり,大問題ではない。だが,戦前の文系大学教授でさえも,自宅にお手伝いさんを雇って書生をおけるほどの高給を食んでいた時代を思えば,学者に対する社会的位置づけはデフレの一途をたどっている。それ以上に,大学で臨床医学を研究するということ自体に,以前と比較すれば魅力が格段に失われてきている。それは教育制度,研究体制,文科省と厚労省の施政方針の相違,医療保険制度,市民意識,時代精神等々に関係しているであろうが,ここでは論じないことにする。
 私の専門領域は,書名の副題にあるように精神病理学という学問である。それがどのような学問かは,本書を読む同学の士には釈迦に説法であろう。ただ専門外の読者もおられるだろうから,私なりの理解を述べれば,精神病理学とは,異常も含めた(何を異常ととらえるかも含めて)精神現象を広い意味で心理学的,認識論的,人間学的,現象学的,存在論的に,さらに言うなら哲学的態度で臨床の場において患者との相互作用を通して理解しようとする営為である。つまり臨床哲学なのである。しかしこの専門領域自体がいまや大学の講座精神医学において絶滅危惧種となっている。そもそもその分野自体が,つまりその分野の研究者が最初から存在していない大学精神科の方が昔から多かったのである。以前からそうであった場合は仕方ないのであるが,以前にはその分野の研究者がいた大学精神科からでさえ潮が引くようにいなくなってしまった。そして今や最後の砦となったいくつかの大学にその命運が託されている。しかし,精神病理学のフィールドが臨床の現場であるかぎり,大学の灯が消えかかっているとしても,在野の精神病理学徒が絶えることはないであろう。
 もちろん過去の歴史において精神病理学が精神医学の主流であったことはないし,また主流たりえないのであるが,もし主流になったとしたらそれは多分に奇妙な学問的事態であろう。精神医学の主流は,あくまでも生物学的なものであるべきで,実際に過去においてもそうであったし,未来もそうであり続けるであろう。だから精神病理学の存在意義は,主流に対するアンチテーゼとして,マイノリティであることにこそあるのである。つねに控えめではあるが精神医学にとって伏流水のように流れていた精神病理学が,しかしいま涸れだしている。それは精神病理学の危機であるのみならず,科学のみに自らを解消して収斂することのできない精神医学にとっての危機でもある。その背景には,医学の自然科学主義化が隅々までに行き渡り,「サイエンスにあらざれば医学にあらず」という科学イデオロギーが文部行政,大学当局,医学部教授会において支配的となってしまった時代の趨勢がある。いまや業績至上主義が猖獗を極め,インパクトファクターによってウエイトをかけられた論文業績の積分値のみが一人歩きをしている肌寒い現実がある。他方,アメリカでは精神医学の振り子が,生物学の極一杯に振り切れたようにも見えるので,いよいよこれから徐々に精神病理・精神療法・精神分析へと振り子が戻るであろうと主張する人もいて,まもなく出るであろうDSM-Vにその傾向を見ようとする向きもあるが,いまだ先は読めない。そもそも「精神分析をせずして精神科主任教授になれず」であった過去のアメリカに立ち返ることは不可能であろうし,もともとアメリカは精神病理学が不毛であるどころか,不在の地であったことも忘れてはならない。
 精神病理学的精神は,そもそも生物学との直接的競争の土俵に乗らないし,乗るべきでもない。生物学的精神医学や計量的統計的精神医学と競い合おうとすること自体,一種のカテゴリーミステイクなのである。そうではなくて,Schneiderが述べているように,生物学的精神医学と精神病理学は,精神医学を支える二本の大きな柱なのであり,両者は不可欠の相補的関係にある。だから,どちらか一方が傾けば,他方も傾くことになるしかない。昨今の生物学的精神医学の行き詰まり(と私には見えるのだが)は,その証左の一つなのかもしれない。精神病理学がたとえレッドブックに収載されそうな学問領域に(もちろん私はそうは考えていないが)見えているとしても,そして精神症状学がいかにアメリカナイズされて浅薄化・平板化しているとしても,その記述の基礎は,精神病理学の言葉に依拠する以外にはないのである。およそ精神科医や精神医学者が学問的思考する際にターミノロジーは,精神病理学と(精神力動面も含めるなら)広義の精神分析に拠っているといっても過言ではないのだから。
 われわれは,別に大学での立身出世を求めて精神病理学徒たらんと欲しているのではない。俗に言えば,好きでやっているのであり,やらざるをえない性(さが;ルビ)をかかえているのである。嫌々ながら精神病理学を研究している人がいるとしたなら,それは学問的態度として形容矛盾である。いまも昔も精神病理学の最良のフィールドは日常臨床にあり,それは大学でも市中病院でも開業しても実践しうるのであるが,今や大学においてそのプラクシスが急速に困難となり,やせ細りつつあるように私には見える。そのような状況を背景として,私は結果的に大学を去って,市中病院に籍を置くことになったが,今もってそのことについて臨床的意味で悔いはない。
 私は,1992年末にドイツから帰国して以来,総合病院に勤め続けている。現在勤務している聖隷浜松病院(静岡県)は,外来のみの精神科を持つ総合病院である。1995年に赴任し精神科を開設して以来すでに15年が過ぎてしまった。もともと私は,一つ所に落ち着くタイプではなくて,それ以前に同じところにいたのは最大5年であった。異動して数年が経つと,職場に多少とも慣れて新鮮味が薄れ,何かお尻の辺りがむずむずして放浪癖がうごめきだしたものであった。ところが,現在所属している病院では,不思議とこの現象が起こらない。それが年齢のせいなのか,職場環境のせいなのか,多分に私は後者ではないかと感じている。
 私が勤務している静岡県には,昔は医学部がなかったために,県内の病院は県外に医師の供給を頼らざるを得なかった。最近では,かつて新設医科大学であった浜松医科大学もそれなりの歴史を刻み,県内最大の医師供給源となっている。しかし,それ以前の伝統が今でもかなり残っており,各病院は県外の複数の大学から医師の供給を仰いできた。さらに医局人事によらない独立系の医師も一定の割合を占めている。そのせいか,たとえば私の病院の場合,入院病床数760に対して医師数が240人もいるのだが,全国医学部の半数以上の約50大学の出身者が勤務している。当然のこととして,特に有力な学閥支配もなく,各診療科においてはできれば複数の大学医局との人事交流が望まれている。このような開かれた病院経営は,おのずからかなり風通しのよい診療環境をもたらしている。それまで私は,大阪と愛知でしか診療経験がなかったのであるが,私の知る限り,大きな病院ではたいてい院長ポストは△大学,副院長ポストは△か□大学と決まっていて,個人の資質よりも学閥が支配的であった。各診療科も大学医局の系列下にあり,人事の際の登用も勢力図に準じることが多いようであった。2004年から医師の2年間卒後初期研修が必修化されて以来,状況に多少の変化は生じたようであるが,病院の大学系列化に大きな変化はないと私は見ている。また国公立病院の事務方には優秀な人もまれにいるのではあるが,トータルで見ると公務員の機動力の乏しさや頭の固さ,前例踏襲主義には辟易することが多かった。また精神科病院にも勤務したことがあるが,それらは日本においてはほとんど私立病院で構成されているために,オーナー家(創業家)が理事長や院長として公然のあるいは隠然たる勢力を保持しており,いくら英明君主であろうとも,その体制の本質からしてある種の閉鎖的雰囲気が漂わざるをえず,いくぶん私の肌には合わないところがあった。
 その意味で,学閥もなく,オーナー家もない私の勤務先は,かなり自由闊達の空気にあふれているので,ついつい長居をすることになってしまったのであろう。働きやすい環境の背景には,病院の経営母体である聖隷福祉事業団が日本最大の社会福祉法人であるせいか,その最高意思決定機関である理事会や執行役員会の構成メンバーにおいて医師はその3分の1も占めていないことがある。つまり組織全体は医師主導ではなくて,むしろ病院業務のジェネラリストとしての経歴を積んだ薬剤師や放射線技師あるいは事務職のようなコウメディカルの人たちによって実質的に運営されているのである。これが,私は同事業団の最大の強みではないかと見ている。しょせん医師は病院経営の専門家でも,社会福祉の専門家でもないのだから。つまり私の病院における医師の位置づけは,一言でいえば職人さんである。「職人さんはどんどん好きなことをやってください。患者さんのためになるなら多少採算が取れなくても,先生がやりたいというなら,お金を工面しますから,存分におやりください。どうせお金は(いずれ保険制度に繰り込まれることで,そしてパイオニアの利益として)あとからついてきますから」と当事業団が日頃から言っており,それがスピリットでもあるようだ。それによって日本で最初に,ホスピスや,有料老人ホーム,介護福祉専門学校等ができたのである。
 話がかなりそれてしまったが,このような一民間総合病院で精神科臨床に従事しながらコツコツと書きためたものが本書である。収載しなかったものもいくつかあるが,それはまた別の機会を待ちたい。いずれにせよ市中病院に勤務しながらもこれくらいのことはできるのであり,むしろ臨床のフィールドは「現場」にこそあるのですよ,と読者に感じていただければ幸いである。
 なお本書の題名を『語り・妄想・スキゾフレニア』としたが,本文中にスキゾフレニアという言葉は出てこない。精神分裂病という名称が,統合失調症にかわったので,それを使うべきなのであろうが,さまざまな理由から,私はこの名称変更には消極的賛成であって,個人的にはスキゾフレニアが一番良かったのではないかと当時も今も考えているので,本書の題名には用いることにした。私が精神科医になった最大の理由は,この病気への興味関心からである。だからそれに伴って,患者の語りと妄想もまたつねに私の関心事であったし,これからもあり続けるであろう。なお本書では,日本精神神経学会の方針に従って,初出時点で分裂病と記されていたものも,一部を除いては統合失調症の表記に置き換えた。
 私は,若い頃は老けて見られ,中年を過ぎると逆に若く見られることが多くなった。精神的にはいまも30歳頃のままで足踏みをしている感じである。しかし,自分自身ではいくら若い積もりでいても,いつの間にか還暦を迎えてしまったのだが,全然その実感がわかない。私たち世代はいわゆる団塊世代に属し,その前の世代ほどの困難には見舞われなかったであろうが,大学闘争や高度成長,バブルの崩壊なども経験し,以後の世代より多少は波乱万丈の人生を送らざるをえなかった。大学に絶望して訣別していった友のことも,私の感傷的過去の一部である。しかしながら前述のように私は,同年齢の精神科医より経験において一周遅れているので,今後ともあと10年くらいはこのまま現役続行で,本書に続くものをさらにまとめたいと願っている。

2010年11月 浜松にて  生田 孝