あとがき

 経営的に厳しい状況に立たされている小さな私立大学において授業や学生の指導に追われながら,そして週に二日は開業心理療法オフィスにおいて夢分析を中心にした心理療法を実践しながら,この本の原稿を少しずつ書き下ろしてきました。
 この書を書くにあたって,私がもっとも心がけたのは,「もしかすると,理論や定説からしたら間違っていたり異なったりしているところはあるかもしれないが,また流行の技法からしたら時代遅れに思われるかもしれないが,しかし,私自身が,今,実際にクライエントに会い,手助けしているやり方,方法を,そのまま,ありのままに述べよう」としたことです。同時に,「私自身が実際にやっていないこと,やれないことは,決して書かないこと」も肝に銘じました。大学などで講義したり,若い臨床家の教育に携わることが多くなりますと,ついつい,自分もやっていないような,また自分ではとてもやれないような理想論や建前を述べたり,理論だけで心理療法を語ったりしがちになります。しかし,この本で書いたことのすべては,私が今現在,開業心理療法のオフィスでクライエントとの間で実践し,クライエントに語っている,そのままです(と言っても,こうやって文章にしてしまいますと,どうしても,きれいな形にまとまりすぎてはしまいます)。
 『病院における心理療法』の「あとがき」でも引用しましたが,ユングは次のように語っています。

 精神療法(心理療法)はまさしく技術であり,私は私のやり方でなすべきことをやっていますが,特に見せるようなしろものは何もなく,到ってお粗末にやっております。その瞬間瞬間,自分が絶対に間違っていないと信じているわけではありません。心理学的な事柄に関しては,絶対に正しい人は一人もいないのです。心理学では,心を判断したり観察したりする手段が心そのものであるということを決して忘れないでください。自分自身を打ち砕くハンマーの話を聞いたことがありますか? 心理学では,観察者が被観察者なのです。心はわれわれの科学の対象であるだけでなく,主体でもあります。ここからもわかるように,これは悪循環であり,われわれは謙虚でなければなりません。心理学で望みうる最上のことは,すべての者がテーブルの上に自分の持札を置いて,「私はこれこれしかじかの仕方で物事を取り扱っており,これが私のものの見方です」と認めることです。それで,おのおのの持つ特徴が比較できるのです。
(小川捷之訳『分析心理学』みすず書房)

 六十歳のユングがこれを語ったのは,一九三五年のロンドンのタヴィストック・クリニックでの講義ですが,それから七十五年を経て,認知行動科学や脳科学の発展に伴い心理学が大きく進歩した現代においても,しかし,一人一人のクライエントを実際に目の前にした臨床心理学にとっては,この言葉は今も正しいと,私は強く思います。
 『病院における心理療法』の「あとがき」で,「まさしくこの本は,私のささやかで粗末な持札を率直に開けて見せたことになります」と書きましたが,それからほぼ二十年経って,テーブルの上に広げた今の私の持ち札が,本書です。二十年前のカードに比べたら,少しはましにはなっていますが,それにしても,自分の持ち札はこれだけかと,つい自嘲的な気持ちにもなります。しかし,これが,今の私の手の内にあるカードであり,これ以上でも,これ以下でもありません。私は,このような方法・仕方で,クライエントを理解し,クライエントの手助けをしており,これが私の臨床心理学の方法です。

 第八章において,「自分の「技法」を選ぶ基準は,自分自身がクライエントであったらどのような心理療法を受けたいかにある。自分が受けたくない「技法」は,他人にすべきではない」と述べました。本書の「臨床心理学の方法」は,もしも私がクライエントであったなら私自身が受けたい「手助けの方法」でもあります。振り返ってみますと,四十五年も昔のことになってしまいましたが,治療的とはとても言えない地方の小さな精神科病院において,クレペリン・テスターとして心理臨床家の道を歩き始めた私自身,実際にクライエントの立場に身を置いたことはないものの,ずっと,「内なるクライエント」を抱えて生きてきたように思います。そのこと自体が,まったく偶然の成り行きで精神科病院に勤務することになるという,「私の中の/私を超える/私ならざるもの」の働きを促す要因であったように思いますが,この「内なるクライエント」に苦しめられ,振り回され,この「内なるクライエント」をなだめ,慰め,そしてまた,この「内なるクライエント」に逆に助けられ,救われながら,クライエントを手助けする心理臨床の仕事に携わってきました。実際のクライエントを手助けしながら「内なるクライエント」を助け,「内なるクライエント」を助けながら実際のクライエントを手助けして,私の臨床家人生を生きてきたように思います。よって,この書は,私自身に対する手助けの方法であり,結局,それは,私の「人生の方法」でもあったようです。

 七十歳を目前にして,本書を私の臨床の集大成の思いで書き下ろしましたが,何よりも感謝したいのは,重篤な精神病のクライエントの方から社会の第一線で活躍されている方に至るまでの,私が臨床家としてお会いした数多くのクライエントの方々に対してです。その方々への手助けの仕事をしながら,同時に,その方々に,育てられ,教えられ,鍛えられて,私は臨床家として成長してこられたように思います。改めて, これまでに私が出会ったすべてのクライエントの方にこころよりお礼申しあげます。
 そのクライエントを代表する形で,黒川紀代子さん(仮名)には,第十二章で,私の原稿に対する率直なコメントを寄せていただきました。前著『夢が語るこころの深み』(岩波書店)でも試みましたが,真の意味の「エビデンス」として,当事者であるクライエントの(形骸的な調査ではない)率直な生の声を,しかも決して一義的ではない多義的な生きた声を,臨床心理学はもっと聞かなくてはならないと思いますが,黒川さんに協力していただいて,今回も貴重なコメントをいただくことができました。この作業が,黒川さんの手助けのためにきっと役に立つものと堅く信じてはおりますが,しかし,黒川さんには大変なご負担とご迷惑をおかけしてしまいました。この場を借りてお詫びするとともに,厚くお礼申しあげます。本当にありがとうございました。

 本書は四百頁に及ぶ大部なものになってしまい,非常に厳しい出版状況の下,出版社のご支援なくしてはとても刊行は叶わなかったのですが,大変ありがたいことに,金剛出版のご支援をいただき,無事にこの世に送り出すことができました。ご配慮を賜りました金剛出版社長・立石正信さん,そして編集の労にあたっていただきこころのこもった誠実な仕事をしてくださいました池田直美さんに,厚くお礼申しあげます。

二〇一〇年八月六日 四十五年前のこの日初めて精神科病院に出勤した,広島の原爆忌に 渡辺雄三