おわりに

 この本の企画をたててから校正があがるまで、二年が経過している。この二年の間にもほっとステーションは変化し続けてきた。
 まず、新しいプログラムとして、発達障害を抱える人たちのためのプログラムがスタートしている。このプログラムは、前半はフリートーク、後半はトレーニング「メモをとる練習、耳からの情報を図示する練習、表情をよむゲームなど」で構成されている。
 このほか、「ピアサポーター養成講座」「禁煙プログラム」も始まっている。
 そのときのデイケア内外の状況やメンバーの要望などで毎月臨時のプログラムが組み込まれる。たとえば「セクハラについて考える」「選挙へ行こう」立候補者や政党について参加者が調べ、発表し、最後に模擬投票を行う「今年の一〇大ニュース」「温泉へ行こう」などなどである。
デイケアの内も外も日々変化している。デイケア内でいえば、卒業するメンバー、新規メンバーがおり、抱えている課題も目標も変わってくる。年齢構成も、対人関係のベクトルも常に動いている。デイケア外では、新しい作業所などの社会資源、商業施設などの町並みの変化、連携している医療機関や行政などの担当者の異動、政策、医療制度の改訂もめまぐるしい。
 デイケア内のニーズやデイケア外の動きに合わせて、デイケアのシステムも流動的でなければならない。変化へのとまどいを好奇心に変え、知恵と工夫で乗り切って行こうという姿勢で行きたいものである。
 デイケアの機能のなかの「居場所」としての機能は、地域生活支援事業に就労支援、社会的スキルを身につけるためのトレーニングの場としての機能は、自立訓練(機能訓練、生活訓練)を実施する事業所へと取って代わられて行くべきであるという意見もある。医療の枠組みではない事業所が増え、当事者の選択肢が増えるのは喜ばしいことだ。しかし、デイケアの多職種チームにより、グループワーク、認知行動療法、就労支援が治療パッケージとして提供されることも続くべきである。
 そうなると、デイケアスタッフ一人ひとりにはより高度な専門性、技術が要求される。
 精神保健福祉士、看護師、臨床心理士、作業療法士、音楽療法士、生活指導員、ピアサポーター、医師などの多職種チームがプロの仕事人の集団として活躍していくことが期待される。
 しかしながら、関わりの意味をどこに見出すかということは、援助者によって異なる。
 私たちは、この仕事の現実や本当の意味の難しさを知らずにこの仕事を志願し、教育を受けた。この仕事を選んだ理由と続けている理由は違っていることも多いだろう。どう関わるべきなのか、自分はどうあるべきなのか、日々模索することが続いているはずである。
一時は入院を検討するくらいの幻覚妄想状態を呈していた人が、幸いにも薬物療法が功を奏して、入院を回避でき、デイケアに通い、統合失調症の集団認知行動療法プログラムやSSTに参加し、担当精神保健福祉士とも面談を重ね、院内就労支援プログラムを経て、外部就労につながったとする。多職種が関わり、デイケアを利用することで、目に見える順調な経過をたどって、目標を達成できた。家族や当事者である本人からもとても感謝された。このようなケースは、関わったスタッフにとって成果がわかりやすく、達成感が得られる。学会発表などの支援がうまくいったモデルケースである。
 しかし、このようなうまく行くケースがある一方で、本人のやる気が続かずにひきこもりに戻ってしまうケース、デイケア内の他メンバーやスタッフに敵意を向けるケース、わがままでスタッフをふりまわすケース、行動の変化を促すさまざまなアプローチをしたにも関わらず、突然連絡がとれなくなり、しばらくして警察から逮捕の連絡が入るケースなど「骨折り損のくたびれもうけ」といわれかねないような、スタッフを疲弊させるケースも山ほどあるのが現実である。
 それでも私たちは、この仕事を選んだのだから、その人と、周りにいる影響を受ける人たちや地域社会のために、よりよい支援をすることを続けなければならないだろう。
 環境に適応した種が存続するというダーウィンの受動的進化説を超えて、アドラーは、私たちは、外界への積極的適応、そして共同体感覚を発展させる方向へと進化して行くのが真理であると述べている(Adler,2007)。そうだとしたら、私たちは、モチベーションについて迷わずに仕事に取りかかれるかもしれない。
 ケント・M・キースの有名な逆説の十カ条のなかにも次のような一節がある。

 「人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい」
 「人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい」(Keith,2002)

 そのときの決定打にならなくても、役に立たなくても、認められなくても、否定されても、とりあえず手を差し伸べて、関わり、待つことが大事であると信じる。
 自分のそれまでの人生を振り返ってみれば、後で意味がわかること、意味づけが変わったこと、現在の判断の材料になってくれること、あとで大きな意味が加わる出会いがあったはずである。
 そのときの関わり自体が、その人の人生のなかでいつか意味を持つことを願って、日々関わっていきたい。

◆文献
Alfred Adler(岸見一郎訳)(二〇〇七)『生きる意味を求めて』、アルテ.
Kent M. Keith(大内博訳)(二〇〇二)『それでもなお、人を愛しなさい― 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条』、早川書房

長谷川直実