おわりに

 私たちは、自分がどのように他人とは異なるかによって自分自身を定義する世界に生きている。しかし私にとって、ここ二五年近く続けてきた緩和ケアの仕事、そしてより最近のディグニティセラピーでの仕事は、人々がきわめて共通しているその在り方を浮かび上がらせる。もちろん、私たちひとり一人が他人にはまねのできないユニークな自分自身のストーリーを持っていて、私たちの誰もが自分もそうだと断言するのは、間違いない。しかしながら、私たちが人間として直面する難題の多くは、地理的条件、人種、宗教,社会階級、そして経済状態に左右されるものではない。
 私たちが死すべき運命にあることは、何にも増して人を同等にするものであり、例外なく、私たちに共通している。ディグニティセラピーの開発以来、私は世界中を旅し、ディグニティセラピーを教育する特権と大きな楽しみを享受してきた。カナダであれ米国であれ、南アメリカないしヨーロッパの国々であれ、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、中国、台湾、シンガポール、そしてもちろん日本であれ、緩和ケアを学ぶ人々と出会うとき、彼らの仕事に関連して人々が問題にする事柄や、終末期の患者が直面する難題は、とてもよく似通っている。たまたま教育を任された所はどこであれ、患者は苦しみを怖れていると聞かされたのである。人生の終わりを迎えた人々、つまりすべての終末期患者が遭遇するとても重要な心理的、実存的、そして霊的な問題というものも、いくつかある。ほとんどすべての人が直面するのが、その不確かさであり、自らが人生から知り得たすべてのものを断念しなければならないという葛藤である。死を間近にした人々はしばしば、自らの人生という旅を振り返るものだが、多くの場合それは、そこに意味を見出し、別れのときがいつであれ人生の目的が自分にはまだあるのだと感じ続けることを発見する文脈においてである。私が客員教授として訪れた国において出会った人々は、そのような文脈の最後にとうとう、自分たちを憶えておいてもらえるのであれば、どのように憶えておいてほしいのか、そして遺していく人々は自分たちなしでどのように生きていくのか、自分なりの考え方を語る。
 なぜディグニティセラピーが世界各国においてかくも熱狂的に、かつ温かく迎えられるのかを説明するものは、死を前に私たちが共有する事柄ではないだろうか。思い出すのは、オーストラリアで、死にゆくある若い女性が、娘に自分のことを憶えておいてもらいたくて特別な思い出を残そうと願っていたことだ。ニュージーランドのある紳士は既に時間が無いことを知りつつも、人生の記憶を思い出す方法として、そしてもうじき自分がその一部ではなくなる世界において自分の家族が幸福を求めるよう励ます手段として、ディグニティセラピーを利用した。実際、私は、思い出を残し、もうすぐ遺していくことになる愛する人々を導こうとする人々のストーリーをたくさん耳にした。愛情の表現や、理解や赦しを請うのにディグニティセラピーが利用されるとも聞いたし、おそらく究極的には、死を超越する何かを残す努力なのだという。
 この特別な本が形となるには、愛知県がんセンター中央病院緩和ケア部の小森康永医師に負うところが大である。彼の努力と取り組みのおかげで、ディグニティセラピーに参加した何人かの日本人患者のストーリーがようやく日本の読者の下にも届くこととなった。言うまでもなく、これらのストーリーがあなたがたの心を動かし、あなたがたを刺激し、そして願わくばディグニティセラピーについて、そして終末期患者にとっての意味と目的を生み出す方法についてもっと学びたいとあなたがたの気持ちを鼓舞してくれれば、と私は希望する。
 繰り返すようだが、ディグニティセラピーの成功によって私は、このアプローチのどの要素が治療的なのか、そこを理解したい気持ちに引き戻される。ディグニティセラピーがおそらく人々の歴史、中核的価値観、願望、夢、愛する人への希望といった死をも超越する自らの本質を残す方法を提供することは、既に私も気づいている。しかし、それ以上の何かがあると思う。しばしば、私が目撃したり耳にしたのは、患者がディグニティセラピーを、その最中に、やすらぎの源として、つまり幸福感をもたらし自分らしさを回復するものとして感じるということだ。重い病いにも拘らずベッド上で座位を保持するエネルギーを見つけ、自らのストーリーを分かち合い、そして心を開く人々を目の当たりにした。そのような特別な反応を引き起こすディグニティセラピーの治療的要素にラベルを貼らねばならないのであれば、私はそれを「肯定」と名付けたい。
 「肯定」という用語は、ヘルスケアの文脈において一般的に使われるものではないし、緩和ケアでもそれに変わりはない。一方、生命を脅かし人生の長さをも規定する病いによってもたらされる難題のひとつが喪失であることは分かっているし、喪失が機能性のみならず自己の中核を台無しにすることも知っている。死にゆく患者に直面する実存的葛藤の本質は、自分らしさを維持しながらもいかにして喪失を受け入れるかということにある。ディグニティセラピーが私に思い起こさせるのは、この難題に対して患者を援助する方法が多くあるということだ。そして、その鍵が肯定にある、と私は信じている。ディグニティセラピーは、もしも適切に行われたならば、肯定の真髄となる。ディグニティセラピーを行っている患者が受けとっているに違いないメッセージは、「あなたが大切なんですよ」、「あなたのストーリーが重要なのです」、「あなたの言い分は傾聴に値します」、さらに「わたしはあなたと、あなたが私に話して下さることに関心を抱いています」などである。
 この仕事におけるもう一つのエピファニーは、誰もがストーリーを持っているということだ。ストーリーの威厳からもディグニティセラピーの潜在的力は予測できると思われるだろうが、威厳の有無は問題ではない。人々の話に耳を傾けると、人々はさまざまな人生行路を歩んできており、多様な経験を生き延びてきたことが、実感される。深い喜びもあれば、屈辱的な悲しみもある。繁栄の中での裕福な暮らしもあれば、生きるのに精一杯ということもある。ディグニティセラピーが偉大な功績を讃えたり公的に認めるのに使われると聞く一方、「私的」で「普通の」人生と思われるものを共有することに使われてもいるようだ。もしもディグニティセラピーが私に何がしかのものを教えたとすれば、それは、普通の人生などない、ということである。生きていくことの特質は驚くべきことであり、誰かのストーリー、特に存在時間が限られることにより完全にユニークなものとなった個人的な人生という旅の話を聞くことは、いつでも深遠で、心を動かす、貴重なものである。
 転移性前立腺がんで死を間近にした年老いた元農夫を思い出す。彼は、原家族が二十世紀のはじめにカナダに開拓者としてやってきたときの荒れ地での苦難について情熱的に語った。死がすぐ傍に近づいた老女も、二人の娘を育て上げたことと、ふたりが後ろ指を指されることのない道徳的な大人となったのを見届けたことの誇りについて語った。ある男性が私の読み上げる彼のディグニティセラピー文書を聞いていかに涙したか、忘れることはないだろう。彼は、自分の言葉が文書にされた以上、子どもたちはいつも父親を思い出すだろうと感じたのだ。すべてのストーリーが美しくまとめられるわけではない。時間切れ間近と判断してディグニティセラピーをする気になった年老いたアルコール依存症患者がいた。彼は、自分が選んだ人生よりも賢明な道を選ぶよう子どもたちに伝えたかったのである。おそらく、距離を置けば、いかなる人生も普通の、ないし一般的な概観を呈するというのは、真実であろう。しかしながら、近くで見れば、すべての生きられた人生は、それを生きた人同様、ユニークなものである。いずれにせよ、これくらいにしておこう。すべての患者がディグニティセラピーを望むわけでもないし、必要とするわけでもない。もしもディグニティセラピーの鍵要素が肯定と、憶えておいてもらうための手段であるならば、両者を達成する方法は他にもたくさんある。たとえば、ひとりの死にゆくパイロットは自分の遺していく家族ひとりひとりに木彫りのオブジェを作った。また、「もうすぐ」おばあちゃん「になる」女性は、まだ生まれてきていない孫宛の手紙を何通か書き綴った。私たちひとり一人が、一期一会の人々の心に自らの記憶が細々と生き永らえることを確実にするユニークな方法を見つけることができるだろう。死にゆく人に、あなたが大切に思っていることを知ってもらおうではないか。彼らが愛されていることを。彼らの意見は今でも相変わらず重要であることを。言葉が信頼の置けるものである限り、肯定のメッセージは伝わるだろう。「尊厳と、見る人の眼」と題した拙論(本書第一章)に記したように、患者というものは、メッセージを伝える人の眼に映るものを見るのだ。栄誉と尊敬、そして価値というものが引き続き感じられていることを肯定的に確認したいが為に。
 日本の友人たち、同僚、そして本書の読者の多幸を祈る。本書のストーリーを読むことで皆さんが「尊厳を守る」緩和ケアの提供をより洗練していこうとを鼓舞されることを心より願う。
 幸運と平和の内に進んでください。

ハーベイ・マックス・チョチノフ
ウィニペグ市、カナダ
二〇一〇年十二月