序にかえて

 気がつけば,齢60を重ねている。今までうろうろろとしてきた時の流れの半分あまりを,ひとが日々の暮らしでしていることを治療や援助の手だてとする作業療法を生業としてきたことになる。作業を用いて病いや生活機能に支障がある人の治療や生活の援助・支援にかかわる作業療法という生業,時と経験を重ねれば重ねるほど,壁を越えれば越えるほど,新たな?(はてな)が現れてくる。それがまた,平凡で豊かな作業療法という仕事の奥深い魅力である。
 少し寄り道(今で思えば大切な寄り道であった)をしていたため,作業療法士の資格を得るため職を辞し,養成校に入学したのが,30歳になる年の春。もうすぐ2歳になる男の子が(長男)がいた。そして,朝は子供を保育所に送り,夕方迎えに行って,夜は塾の講師で学費を稼ぐという生活が始まった。そんな自分の照れを「遅れてきた青年」と揶揄するように言いながら,作業療法士の資格を得ると,精神系総合病院に入職した.33歳,そこが終の働きの場と思い,病む人と共にある生活に身をおきながら,共にある場が自分の思いとは違う,自分の努力では変えることができない社会的構造の中にあることの限界を感じるようになった。
 そのような時に,大学への誘いがあり,「(そこの大学付属病院の精神科が)わが国の精神科作業療法の誤解(生活療法で形骸化した作業療法)を招いた元凶の場なので,10年は逃げない心づもりを」と,恩師冨岡詔子先生(元信州大学教授,佛教大学客員教授)に言われて意を決した。そして,「地域支援をフィールドにする」と,後戻りできない見得を掲げることで精神科病院における臨床の未練をすてることにした。教育・研究・臨床という何足ものわらじを履きながら,大学病院での臨床と地域生活支援の場をフィールドに,急性期の病状安定から生活支援まで,一貫した治療・援助のあり方を模索するという生活が始まった。作業療法士になって7年,不惑の年であった。
 精神科作業療法への理解と自分や学生の臨床の場の構築のため,自由診療という形で大学の医学部付属病院に作業療法の場を設けて14年,やっと機を得て認可を得,精神科作業療法を開設して7年が経つ。自分に問い,人に問われて,ひとと作業やひとの集まりのことを考えながらの時の経過であった。そんな折,金剛出版の中村奈々さんより作業療法を伝える書籍刊行のお誘いがあった.2010年の春,期限は特に問わない,これまでの著作をまとめる形でよいとうことだった。それをきっかけに,自分にとって書くとは何だったのか,何を書いてきたのか振り返ってみて気がついた。これは確からしいという経験を初めて言葉にできたのは,作業療法の道に入って7年あまり立ってからのことであった。しかも,文字に表すという習性がなく,その折々に関心があることや請われて書いているため,系統だてて文字にしたものはわずかしかなかった。作業とは何か? ひとが作業するとは? 作業を目的や手段として病いや生活機能に支障がある人に何ができるのか? どのような効果があるのか? つきない問いかけの答えを求める日々の営み,その時々の思いが風合いの異なる紡ぎの切れ端のように残っているだけであった。自分にとっては言葉にするまでの課程がもっとも大切で,言葉にした瞬間,もうその整いをすることなく,興味・関心は次のできごとに移っているためであった。

 「われわれは,語ることができるより多くのことを,知ることができる」
 Michael Polanyi(1892-1976),『暗黙知の次元 - 言語から非言語へ』より

 とポランニーが言うように,体験し確かめたことをすべてを語ることはできない,しかし,この身が知り得たことはいくつもある。不十分ではあるが言語化を試みたものがある。そうした切れ切れのものを集めることで,何とか1冊分整った。
 今回,お誘いをいただいたことをきっかけに,雑多な文を整理してみた。そしてなんとなく,ひとが何か作業をする,作業活動ということをどのように考え,使っているかといった「作業療法の知」に関連があるもの,そうした作業療法のプロセスにおける治療・援助関係をどのように作るのかといった「作業療法の技」に関連がありそうなもの,そして作業療法という治療・援助構造やそれが展開されるひとの集まりや場など,作業療法のスピリットというか「作業療法の理」に関連するようなものが幾つかあった。計画することなく,意図することなく,求められるものを行い,おかしいなと思うことはしない。そういういつもの流れに沿うことで,この1冊が整った。
 書籍としての体裁のために表現等を統一すること以外には,その時々に言語化した,発表当時のままとした。統合失調症のように用語変更があったものも,あえて発表当時のままにした。読み物的なものは文字の視覚イメージとの関係であえて平仮名表示にしているものもある。それぞれを書き人の思いをくみ取りながら読んでいただけるとうれしい。そうした構成でもあるため,なぜそれを言語にしたのか,どのような意味を持っていたのかといった,自分の過去の言語化に対する思いを解題として加えてみた。すでに記憶の中で美化され加工されているであろうことを,その当時のまま見直す作業は,自己にとっての新たな回想法とでもいえるものであった。