あとがきにかえて

 還暦を過ぎても年中師走状態が続いている近年,持ち帰り仕事の多さは仕方がないが,何年かぶりに,年末から年明けにかけてゆっくりと過ごす時間があった。強い寒波の影響で,京都の町もめずらしく雪化粧。しんしんと降り積む雪が,すべての騒音を吸収し,すべての塵芥を覆い隠し,キリッと引き締まった大気に包まれた静かな年明けであった。
 この本に収める著作の最後の1稿を金剛出版に送った足で,通りや辻に古(いにしえ)の名が残る墨染,藤森の旧道をぶらぶら。伏見稲荷の千本鳥居から京都一周トレイル,伏見稲荷コースの雪が残る尾根道を東福寺に抜けて,気がつけば京都駅まで歩々。途中の泉涌寺悲田院の境内からは,京都タワーの西向こうあたりから愛宕山,雪衣を着た比叡まで京都の市街地が一望される。目的があって歩くわけではなく,ときどき,気の向くまま,足の向くまま歩く。何も考えずに歩くことに身を委ね,思考をエポケーの状態にした,いそぐ必要のないぼんやりを楽しみ歩く。忙中の閑を歩く。
 この小さな書籍に収めた22編は,こうしたぶらぶら歩きにも似て,どこに行き着くかは読み手にお任せする。「なんでやろ? いってみよ」に身を任せた,作業を療法の手だて
 とする生業(なりわい)の枝道,寄り道で,出会い,気がづいてこぼれでた「ことば」からから選んだものである。そのときどきにこぼれでた「ことば」の寄せ集めであるが,偶然の重なりが生んだ必然の結果とも,系統立てない中に生まれた系統とも言える,緩やかなつながりがある一冊になったように思う。
 わがままな生き方をした人間の言い訳にすぎないが,その存在を信じて甘え,私自身のことを語ることが少なかった子どもたちの寛容に手を合わせて感謝する。そして生まれたばかりの孫,自分と同じ道を歩いている若い仲間たちに,作業療法という十分に開かれていない道を,何を思って歩き,何に気がついたのか,一人の作業療法士の歩みの痕跡を贈りたい。

2011年1月 春まだ遠い 寒紅梅の香…… 山根 寛