和田秀樹
国際医療福祉大学大学院臨床心理学専攻

MMPIは私のもっとも好きな心理テストの一つである。
私がなぜ本書の序文を書くという大役を任じられたのかはよくわからないが,私自身がこの役を引き受けたのは,この理由が大きい。
そこでまず,なぜ私がこのMMPIに興味をもつようになったか,その背景を書かせていただきたい。
私自身は,アメリカのカール・メニンガー精神医学校に留学するなど,学問的背景は基本的に精神分析である。しかしながら,逆に留学によって,精神分析に対する基本的な考え方が変わったことが,このMMPIに関心をもつきっかけになったと言ってよい。
おそらく,伝統的な精神分析学ともっとも親和性の高い心理テストは,ロールシャッハ・テストであろう。
一つには,ロールシャッハ・テストが「意識されていない自分」を把握するための投影法によるテストであり,また技法的にも自由連想を用い,さらに何より,創始者であるHermann Rorschachがスイス精神分析協会の副会長であったように,理論的背景に精神分析学があったということが大きいだろう。
実際に本邦においても,ロールシャッハ・テストの大家の多くは,精神分析学的な学問的背景を有している。私事になるが,私が留学中に精神分析を受けたMartin Leichtman先生の主著は“The Rorschach : A Developmental Perspective”というものである。
ところが,実は,このLeichtman先生が講義でFreud以降の精神分析の歴史を教えてくれたのだが,その中で,1970年代以降,あるのかないのかがわからない無意識の力を想定することについて激しい批判がなされたことを知る。George KleinやMerton Gillらによる批判は当時の私には大変刺激的だったが,それ以上に,Leichtman先生の実際の臨床と,これらの理論によって,私の精神分析に対する肩肘を張った構えが,非常に楽なものになったのは確かなことである。
その後は,当地へRobert Stolorow先生が講演に来ていたのをきっかけにして,帰国後のスーパーヴィジョンを受けることになるなど,Heinz Kohutの自己心理学に傾注していくことになるのだが,このKohut理論にもっとも親和性をもつのがMMPIだと私は考えている。
当初,自己愛性パーソナリティ障害の精神分析治療の理論を確立したことで高い評価を受けたため,わが国では,このKohutが精神分析的な枠組みの中での,自己愛理論の大家のように思われがちであるが,Kohut理論のもっとも革命的なところは,主観的な体験世界である「自己Self」の把握に重きをおいた精神分析理論(Kohut自身も,旧来型の精神分析の枠組みと相容れないことがわかっていたので,精神分析から独立した「自己の心理学」と名づけたほどである)を確立したことであろう。
クライアントの分析家に対する心理的依存の許容や,分析家の愛情の大切さは,すでに英国対象関係学派の理論家が幅広く論じているところだが,無意識より意識レベルの体験の大切さということを論じるのは,精神分析理論の根幹にかかわるところなので,これを明言するのは大英断と言ってよい。
1975年1月31日に行われたシカゴ精神分析インスティテュートで行われたセミナーでKohutは,こう明言している。

「我々が意識していないことについては,我々は何も知ることができません」
(Kohut (1996) The Chicago Institute Lectures. Routledge, p.228)

当時のKohutは,古典的な精神分析の枠組みの中に自らの理論をあてはめることをやめ,自らの「自己の心理学」を確立しようと苦闘していた。Kohutの遺作となった『自己の修復』(1977年)の中で彼はこう記している。

「1971年(注:『自己の分析』のこと)には結局,私はまだ新しいワインを古いボトルに注ごうとしていた。しかし,1977年(注:『自己の修復』のこと)には,私は古い理論を決定的に再定式化しなければならないと決意した」
(本城秀次・笠原嘉(監訳),162-163頁)

このように古典的な欲動理論からの訣別にいたったのだ。
そして,中心概念を主観的な体験世界全般に言及する自己におくことで,その理論は自己心理学と呼ばれるようになる。
この自己の概念こそが,MMPIで把握される「意識している自分」に相当すると私は考えている。
Kohutが行った中で,私がもっとも好きな自己の定義は,下記のものだ。
「時間においては変わりなく連続しており,空間においてはまとまっているものを私たちは私と呼び,そのような形態が他者からは自己と認知されるのです」
(ミリアム・エルソン(編)ハインツ・コフート(著)伊藤洸(監訳)(1989)
『コフート自己心理学セミナー1』,金剛出版,25頁)

要するに,自分が私(英語圏の“I”)として体験しているものが,他者からみえる「自己(Self)」なのだという考え方だ。精神分析家からみたクライアントの体験世界などがその例である。
現代精神分析においては,この自己というものは非常に多面的なものと考えられている。そして,MMPIは550もの項目を問うという点で,自己を多面的に把握するには適している。古典的精神分析にロールシャッハ・テストが親和的であるとしたら,MMPIは,現代の自己心理学に親和性の高いテストと言っていいだろう。
また,本書の第1章でも説明されるように,このMMPIは大規模な組織的プロジェクトを背景に作成されたのに,最終的には経験的手法で,長い年月をかけて試行錯誤を繰り返して尺度構成が整理されている。理論に偏らない経験論の重視の姿勢もKohutに通じるところがある。
以上のような理由で,私がMMPIに魅力を感じるのであるが,本書は,そのMMPIの有用性や魅力を十分に活用できるように腐心された構成になっている。
まずMMPIの理論的背景が説明されるが,パーソナリティの多面性だけでなく,さまざまな追加尺度の意義や背景が的確に説明されている。
第3章「臨床的解釈の基礎」では,妥当性尺度の使い方も含めて,基礎尺度をどう解説するか,プロフィールパターンの捉え方など,質問項目が簡単な割に設問が多いため,解釈が意外に難しいMMPIの解釈の基本パターンを丁寧に説明した上で,次の章ではその解釈をどう進めていくかについて実例とともに解釈がなされている。
本書について,私がもっとも評価している点は,基本的な解釈とその進め方を理解した上で,豊富な症例呈示に入る点である。
ここでは,症例のプロフィールやその解釈の進め方が紹介されるだけでなく,それをどのようにクライアントにフィードバックするかが呈示される。
実はこれが,MMPIが臨床的に優れたものであると私が評価する点である。
精神分析の世界では,長年,無意識の意味について解釈することが,治療上有用であるかについての議論が戦わされてきた。
その中で,精神分析の治療の大きな動因は,無意識を理解することなどでは決してなく,治療者との対象関係なのだという主張が高まっている。
私の師にあたるStolorowは,解釈か対象関係かという二者択一論は無意味であると断じているが,解釈は,「わかってもらえた」という形で,治療者−患者間の絆を強める有効なツールであるとしている。
私自身は,Kohut学派の影響を大きく受けている以上に,自らの臨床体験から,無意識レベルの解釈より,意識レベルに対する共感のほうが,治療的な影響力も大きく,また治療者−患者関係にも好ましい作用を及ぼすと信じている。
ただ,ここで誤解されがちなことは,意識レベルの共感であっても,治療者に指摘されるまで,クライアントは自らの主観的体験の意味に気づいていないことが多いことである。治療者の共感によって,クライアントは初めて,自分が何を体験しているかを認識する一方で,「わかってもらえた」体験をするのである。うすうす気づいていながら言語化できないことで苦しんでいることもある。
そういう点では意識レベルの共感でも自分の気づかない主観的体験に洞察を与えることは可能であるし,それに基づいたアドバイスは治療的に有効と言えるだろう。
MMPIのフィードバックによって与えられるメッセージは,まさにこれに当たるものである。
実際,本書で提示されたフィードバックは基本的にクライアントが納得し,その後の経過も順調であることが示されている。
このようにMMPIが単なる人間理解,パーソナリティの理解に留まらず,それを用いて直接に治療的アプローチが可能であることは,まだまだ十分に気づかれていない特質であるが,本書を通じてそれを理解することは,多くの読者にとって僥倖と言ってよい。
さらにロールシャッハ・テストを否定することなく,その併用の症例を提示するなど,一方的にMMPIを賛美するのでなく,その限界を考察したり,有効性を高めるための思慮もめぐらされており,非常に好感がもて,信頼のおける構成となっている。
最終章で,MMPIのコンピュータ処理の可能性についても言及されている。これもMMPIの大きな魅力と将来性の要因と言えるものだが,比較的,低コストで,また迅速に自分を知ったり,治療の方向性を見いだせるとすれば,時間に追われ,十分な時間をクライアントに割くことが困難な,我々精神科医にとってもとてもありがたい話であることは言うまでもない。
以上,私は,Kohut学派に転じて以来,もっとも好感をもっているテストバッテリーであるMMPIの臨床的有用性を高める素晴らしいテキストブックとして,本心から本書を推薦したいし,読書の皆様にも,真剣に,また幾度となく読み返していただきたい。