まえがき

 この度、金剛出版から“わかりやすいMMPI活用ハンドブック 施行から臨床応用まで”を刊行することができたのは望外の喜びである。
 札幌学院大学教授井手正吾先生および門下生を含めた私たちのグループは、数年前からMMPIを精神科臨床の場で積極的に活用し、小さな研究会や情報交換誌などに発表してきた。それらの一部を2008年12月に開催された国際トラウマ解離研究学会日本支部解離研究会において発表させていただいた。これは同研究会代表である奥田ちえ先生をはじめとする諸先生方のご高配によるものであった。翌2009年には、同研究会相談役であり国際医療福祉大学大学院臨床心理学専攻教授である岡野憲一郎先生から『解離性障害 専門医のための精神科臨床リュミエール 20(中山書店)』において「解離性障害と心理テスト」の章について分担執筆するよう依頼された。当初は、私たちの実力や経験などは到底、同書の執筆に相ふさわしくないと考え固辞するつもりであった。しかし、MMPIを少しでも我が国の書籍の中で論ずることが出来れば、内容の拙劣さはご容赦いただくとして一定の価値はあるものと無謀にも判断し執筆させていただき、2009年12月に同書が出版された。
 私は、2010年3月の第9回JSTSS・日本トラウマティック・ストレス学会大会(神戸)において『解離性障害における心理テストの意義』というシンポジウムを井手正吾先生とともに企画、開催した。私が講演者の人選で一番重視したことは、心理テストの知識のみならず豊富な臨床経験であった。青木佐奈枝先生(筑波大学)、福井義一先生(甲南大学)に講演を依頼したところ幸い、お二人とも快諾いただいた。シンポジウムは盛会で終了直後に岩井圭司先生(兵庫教育大学)からも貴重なご意見をいただいた。本書刊行を、このシンポジウムの参加者がほとんど全てと言って良いくらい待ち望んでいると実感した。本書の執筆者の中核は、まさに、シンポジウムに参加された先生方、つまり、心理テストの知識のみならず豊富な臨床経験を有する先生方が自然と集結したものとなった。シンポジウム開催から約1年という期間で本書刊行に至ったのはこれらの経緯による。
 本書を刊行した目的は以下の三つである。まずは、MMPIという心理検査に関する本格的なテキストが我が国では少ないことである。我が国において過去10年間に刊行されたMMPIに関する書籍を調査した結果、MMPIを単独で解説したテキストは数冊しかなく、ほとんどは諸々の心理テストを解説したテキストの一部にMMPIの解説が部分的になされているものであった。潜在的に、MMPIに興味がある、あるいは、実際に施行しているがどう評価したらよいか?と誰にも相談できずに悩んでいる心理臨床家も多いことであろう。二つめは、パーソナリティ検査としてMMPIが置かれている立場をある程度明確にする時期にきていると思われたからである。パーソナリティ検査としてロールシャッハ・テストなどは多数の専門書籍の他、専門学会もあり臨床家にとってロールシャッハ・テストを学習し研鑽する場は数多いと思われる。本書がMMPIとロールシャッハ・テストのバッテリーおよびその意義について言及したことは、ロールシャッハ・テストに関して充実した系統教育を受け、さらに臨床での研鑽を積んできた多くの心理臨床家に対して、いろいろな観点からインパクトを与え、心理テスト全般を再考する機会になるであろう。三つめは、本書は臨床に重きを置いたことにある。我が国では、MMPIをいかに臨床、すなわち臨床心理あるいは臨床精神医学の中で活用していくか、本格的に論じる機会そのものが少なかったのはまぎれもない事実である。まずは、最低限の基礎知識を得た上で、MMPIを施行していただきたい。本書をお読みになっても、今一つどのようにして解釈したらよいのか、どのようにして患者やクライエントにフィードバックしたらよいのか、わからない点も多々あろう。しかし、心配ご無用である。2010年5月に、私が代表として発足した日本臨床MMPI研究会(http://mmpi.jp)が、本書の至らぬ点をバックアップする体制となっている。
 本書の読者層は以下の三者を想定した。まずは、現在、臨床の第一線で活躍されている心理臨床家である。学部あるいは大学院における教育だけでは補えない臨床上のヒントが本書には隠されているはずである。供覧した症例は数多く多彩である。また、現在のMMPI研究の一端やコンピュータ利用についても提示した。本書から刺激を受けて臨床報告や基礎研究発表が我が国において少しでも増えたら本書の意義はある、と考える。次に、現在、心理系大学に在籍されている学生に本書をぜひ読んでいただきたい。前述したが、ロールシャッハ・テストについては多くの講義や入門書が存在している。しかし、初学者がMMPIを既存の書物で学習することはなかなか困難を伴うこともあろう。大学の教官に質問しつつ本書を参考にご自分のあるいは友人のMMPIを試しに施行していただきたい。特に、本書の第3章と第4章はMMPIを全く知らない初学者でもわかるよう懇切丁寧に解説するよう著者にお願いした。初学者はまず、第3章を添付の樹形マップ『MMPI』と『重要語チェック』を手元に置いて読み始めていただき、理解が得られたら第4章へ進むとよいであろう。最後は、医師である。学部教育でも扱うことのないMMPIは、よほど関心がなければまず本格的に勉強することはないであろう。昨今、日本精神神経学会では精神科専門医制度に関する研修のなかでパーソナリティ障害の補助検査法、すなわち“心理検査の依頼と実施”を研修評価項目の一つとして規定している。もちろん、医師がMMPIを施行しなくても良いが、心理技術者が施行したMMPIの結果を理解し、自分の患者に結果をフィードバックすることは、患者の病態を理解し患者との良好な関係を築くうえで必要な医療技術となろう。一人の患者に対して様々な専門職種が関わる現代のチーム医療において、心理テストの結果をスタッフが議論し共有することは、患者やクライエントの治療の方向性を考える上で極めて有益で合理的な行為といえる。
 本書の執筆陣は、我が国において豊富な臨床経験と知識を有する臨床心理学あるいは臨床精神医学の専門家といっても過言ではない。本書から彼らの臨床に捧げるエネルギーの一端に触れていただけるだけでも本書刊行の意義はある、と考えている。
 日本語版のMMPIには、公刊されている新日本版、村上らによるMMPI-1に加えて、金沢大学版、同志社大学版などの研究版がある。本書は、基本的にはMMPIであればどの日本語版においても適用できるように解説している。なお、米国では現在、MMPIはMMPI-2に改訂されている。日本語版のMMPI-2については、研究版として北里大学版があり、かなり活用されていると思われる。MMPI-2は、MMPIと構成項目や追加尺度に多少の違いはあるが、基礎尺度や少なからぬ追加尺度については共通するところが大きい。したがって、本書におけるMMPIの施行や解釈についての解説は、かなりの部分で活用できると考える。
 最後に、私のわがままな要望に応えていただいた著者の先生方に深謝するとともに、本書刊行に理解を示してくれた金剛出版および同社編集担当の藤井裕二氏には改めて感謝申しあげる。本書刊行はゴールではなく、我が国における臨床でのMMPI活用の出発点と考える。一人でも多くの読者がMMPIに興味を持たれ、活用していただきたい。多分、本書はいろいろな角度から読者を刺激し、読者とともにさらなる充実した灯火となるであろう。