序言

 地域にはその土地特有の文化があり、そこに住む人々はその文化の影響を色濃く受けながら生活している。地域で精神科臨床を行っていると精神と文化の絡み合いがより鮮明に見えてくる。
 わたしはオホーツク圏という畑作地帯と国立公園に囲まれた自然豊かな地域で一五年間一三〇床あまりの閉鎖病棟のある総合病院精神科で臨床を行い、その後、道央圏の南空知という旧産炭地と稲作地帯に囲まれた地域で一一年間無床診療所での診療を行ってきた。それらの地域で精神と文化の関連を意識しながら臨床を行うことにより生まれてきた論文から本書は成り立っている。本書の概略と背景について述べてみたい。
 医局での研修が終わり、オホーツク圏の総合病院精神科へ赴任しまもなくのころ、診察中突然若い女性が男の子の声で「僕はね……」と語りだし、驚くとともに当惑し、ただ見守るしかないという体験をした。そこから憑依状態に強い興味を持ち調べるうちに、彼女が手かざしで病気治療を行う新興宗教教団と関係があり、その教団内で手かざしにより悪霊を引き出し退散させ病気治療を行っていることを知った。さらに調べていくと、そのような病気治療は出口王仁三郎を中心とした新興宗教教団の流れの中にあり、古くは巫女と行者が対になって行う憑祈.(よりきとう)に起源を持つことを知った。もちろんさらに古く卑弥呼の時代のシャーマニズムにまで遡ることもできるであろう。このような時代の裏面史が眼前の不可解な精神症候の裏に広がっていることを知るとともに、教団という文化装置の中で治療されるものが手かざしの行法を受け治癒する時、今度は治療者となり治療を行っていくという、治療するもの治療されるものが相互に生成されつづける関係にあることを知り、文化装置というものが精神症候の裏で作動していることを知った。この体験から臨床場面でその裏面に文化装置と歴史があることを意識するようになった。
 当時のオホーツク圏での精神医療は社会資源が極めて乏しく、患者が家と病院を行き来するのみの状況であった。患者は激しい急性期症状を来たすと病院へ連れてこられ強制入院させられ、症状が落ち着くと家へ帰ることの繰り返しであった。わたしはそんな中で精神科医療に疲れ限界を感じていた。そんなとき一人の男性患者を受け持つことになった。彼は体が大きく病状が悪化すると大声で「バカヤロー」と吠えながら病院のまわりを歩き回り、足の悪い母親と二人暮らしのため病状悪化するたびに往診し連れに行かねばならず、そのたびに大変な思いをした。そんな彼がわたしのところへ通院している元教師の患者と友人関係にあることをふとした会話から知り、さらに家族否認妄想を持つ、悪化するたびに母親に暴力をふるう元ラグビー部員の若者とも知り合いであり、彼らは共に喫茶店などでたむろしていることを知った。診察中の語りの中で彼ら同士の事柄、例えば「彼は最近薬を飲んでいない」「この間互いに薬を交換して飲んだ」「詐欺にあって困った」といった事について話題にし、わたしもその喫茶店へ行ってみたりし、互いの意識の中に共有する微小文化のようなものが生まれてきた。このような互いに馴染み合える世界が濃密になるにつれ彼らの症状再燃は減っていった。そして共同作業所や共同住居が出来るようになり、それまで孤立化していた患者たちが互いに知り合い和めるようになり、それとともに精神症状も落ち着いていった。このことから地域における患者間の微小文化というようなものが精神の安寧に強い働きを及ぼすことを知った。そのような経験を経て、精神症候と文化とは切っても切り離せない関係にあると深く心に刻むこととなり、それ以降のわたしの臨床や研究を形づくることとなった。
 ある年、札幌医科大学神経精神科高畑直彦教授の主催する毎年夏に温泉で開かれる勉強会へ出席した。その年は小樽の朝里川温泉であったが、そこに招かれた講師が不思議な雰囲気を醸していた。若き日の江口重幸であった。そのときはクラインマンの臨床的現実についての話であった。終わってから広間で江口が近くに座っていたので話しかけてみると、彼も憑依や文化精神医学に強い興味を持っておりその日は夜遅くまで語り合った。それまで一人で行ってきた研究の孤独が融かされるような感じであった。彼から医療人類学を学びわたしの学んできた文化精神医学が大きく開ける契機となった。
そこから症例記述に民族誌的方法を用いることを工夫するようになった。患者の語り、語りの背景にある文化や歴史、対人相互関係、わたしがどう感じたのか、どう思ったのか、それらを記述することで精神症候を浮かび上がらせる。そうすることで治療に大きなふくらみを持たせることができる。
 患者の語りを聴くということはきわめて対話的なことである。どのような生活誌の背景を持ち、苦悩や外傷体験を誰に語るのかということで語りの内容はその時々で異なってくる。そのような対話的診療を行うためには治療者自身が地域の中に棲みこみ、地域の微小文化を知悉し、裏事情にまで精通することが求められる。対話を深化させるには共有する生活文化を広め深めていかなければならない。季節の変化、子どもの成長、その時どきの事件など話題が多様となり対話が深まるほど患者の精神が透見されるようになる。異常体験や外傷体験を根掘り葉掘り聞くのではなく生活誌の中に異常性が浮き出てくることをめざす。このような対話的診療を重ねるうちに若者たちの心にある緩徐な心的外傷体験のようなものが今の時代背景の中に浮き出てきた。それは規範の緩みからくる社会全体の歪みが若者の成長過程の心に及ぼす危うい現象である。これは文化精神医学的にみていかなければ決して現れてこない心と文化の連関である。
 また、わたしが医学部六年のとき高畑教授が講義室へカセットテープレコーダーを持ち込みアイヌのイムを紹介してくれた。そのとき聞いたコプロラリアや反響言語に面白みを感じ、その後も心の片隅にアイヌのイムについての関心をいだきつづけた。その過程でアイヌのイム研究の歴史についての論文を一篇したため、さらにアイヌ人言語学者知里真志保の「呪師とカワウソ」の論文に導かれラターパラドックスを解くことを試みた論文を一篇したためた。イムに対応する日本語はなく現代の日本人がイム的心性を欠いていることからどのような事が言えるのかということについても論じてみた。
 精神疾患はその病態生理がいまだまったくの暗闇の中にある。コールタールから分離し麻酔薬として開発したクロールプロマジンがたまたま統合失調症に効果があったということから向精神薬が開発され、クロールプロマジンから誘導された塩酸アミトリプチリンがたまたまうつ病に効果があったということで抗うつ剤が開発され、それらが効くのはなぜかということからドーパミン仮説やノルアドレナリン仮説やセロトニン仮説が言われているのであって、決して病因が明らかになったわけではない。このように病因や病態が不明であるところが他の身体医学とは大きく異なる点である。病因や病態が不明であるとき一つの疾患単位はどのようにして決められるのであろうか。クレペリン以来の症状と経過から一つの疾患単位を決めていくという方法しかない。そのため分類をする者により同じ疾患のことを言っているにもかかわらずその内容が異なるということが起きてくる。例えば統合失調症においてブロイラーは自閉に主眼を置き、シュナイダーは幻聴に重きを置いたことから、統合失調症と診断されるものの中身にズレが生じたことは良く知られている。このように研究者により類似した精神疾患の命名や内容が微妙にズレていることは精神医学史のよく明らかにするところである。このように統一整理されないまま来た精神疾患分類はDSM−Vにおいて一気に統一されるところとなった。統計的手法を駆使し、主要症状とされたものを列挙し、そのうちの一定程度のものが当てはまるならば、ある精神疾患であると診断しようというものである。このようにして診断されたものと疾患実質ともいうべきものには大きな隔たりがあるのは明らかである。例えば、DSM−Wで大うつ病と診断されたものの中にはメランコリー親和性うつ病、非定型うつ病、産後うつ病、神経衰弱などさまざまなものが入り込んでくる。このように病態生理が不明なままの疾患単位は動く。時代背景、医療者の受けた教育、医療政策、経済状況、販売戦略などがすべて絡み合い疾患単位の輪郭づけに影響を与える。疾患単位が諸力のせめぎあうなかでどのように形を与えられていくのかを理解しなければ精神疾患をしっかり捉えることはできない。そのような意味で『DSM−X研究行動計画』(みすず書房)の中で精神疾患の文化的位置づけがきわめて重要視されることとなったのであろう。
 以上述べたように精神症候も精神疾患も文化的視点を抜きにしては語りえない。二一世紀において文化精神医学はきわめて重要なものとなるであろう。
 最後に長年にわたり私の精神医学研究を支えてくださった札幌医科大学神経精神科前教授高畑直彦先生、共に文化精神医学、医療人類学の道を歩み、解題を快く引き受けてくださった江口重幸、私の論文をすべて読み出版社を紹介してくださった生田孝先生、人文学的精神医学の冬の時代に本書出版を決断してくださった金剛出版立石正信社長、本書出版に至るまでお世話してくださった編集部の藤井裕二さんに心より感謝いたします。
 なお本書に採録した症例は、人物が特定できないように内容の一部を改変してあることをお断りいたします。