序論

かつて子どもの双極性障害はきわめて稀であると考えられてきた
 これまで,子どもの双極性障害はきわめて稀であると考えられてきた。米国精神医学会の診断基準であるDSM-IV-TR(American Psychiatric Association,2000)では,大うつ病性障害の診断基準に児童・青年特有の症状項目が設けられ,テキストにも子どものうつ病性障害の臨床的特徴が詳しく記載されるようになった。一方,双極性障害においては,平均発症年齢が20 歳であるにもかかわらず,児童・青年特有の臨床像の記載はなく,成人の診断基準をそのまま使用することになっている。このことは,少なくとも2000 年頃までは,欧米においても子ども特有の双極性障害という考え方は正式に認められていなかったと考えることができる。2002 年に刊行された世界を代表する児童精神医学のテキストであるRutter & Taylor の“Child and Adolescent Psychiatry”の第4 版(Harrington et al., 2002)においても,子ども特有の双極性障害について触れられてはいるものの,子どもの躁状態の概念の妥当性に疑問が残るとして,わずかな記載にとどまっている。

ごく最近,子ども特有の双極性障害の存在が大きく取り上げられるようになった
 しかし,ここ数年にわたり,児童期発症の双極性障害が以前考えられてきたよりもずっと多く存在することを示す実証的研究が報告されるようになった(Blader et al., 2007 ; Moreno et al., 2007)。また,北米の一部の研究グループを中心に,児童期および前青年期の双極性障害に関する論文が数多く報告されるようになったのである(Biederman et al., 2003 ; Geller et al., 2005)。その数は膨大である。さらに,その臨床像はこれまで認識されていた成人における躁うつ病像,すなわち躁病相とうつ病相の明らかな対比,その明瞭な交代と月単位の周期,各病相に特徴的な臨床症状などの古典的な病像とは大きく異なり,子ども特有の臨床像を呈することが明らかになってきたのである。2008 年に刊行された“Rutter’s Child and Adolescent Psychiatry”の第5版では,気分障害の章から,新たに双極性障害の章が独立して設けられ,子ども特有の双極性障害について詳細に述べられている(Leibenluft et al., 2008)。すなわち,ようやく最近になって,ヨーロッパにおいても子ども特有の双極性障害の存在が認められるようになったのである。

子ども特有の双極性障害はどのような病像を呈するか
 近年の児童期・前青年期の双極性障害の臨床像は次のようにまとめることができる。@うつ症状と躁症状のきわめて急速な交代,Aうつ病相と躁病相が明瞭に区別しにくく,双方の症状が混在する多彩な病態,B他の精神障害,特に注意欠如・多動性障害(ADHD),反抗挑戦性障害,素行障害などと併存しやすい,という3点である。それぞれについて簡単に説明してみよう。
 子どもの双極性障害の第一の特徴は,うつ症状と躁症状のきわめて急速な交代である。Gellerら(1998a)によれば,平均8.1 歳で発症した,平均11.0歳の児童期・前青年期双極性障害児60 名のうち,50 名(83.3%)が急速交代型,超急速交代型,あるいは日内交代型であり,そのほとんど(45名)を占める日内交代型では,年間の病相回数は平均1,440回で,1日平均4回の病相がみられたという。DSM-IV-TR では,病相の持続期間は躁病エピソードで少なくとも1週間,軽躁病エピソードで少なくとも4日間は必要であることから,大人の双極性障害とはまったく異なる病態ということができる。
 第二の特徴は,特に躁病エピソードにおいて,うつ病相と躁病相が明瞭に区別しにくく,双方の症状が混在する多彩な病態を示すことである。しかし,DSM-IV-TRの混合性エピソードの診断基準は完全には満たさない場合が多い。具体的な躁病エピソードの症状としては,易刺激性irritability,気分変動,情緒不安定,攻撃性,衝動性などである(Findling et al.,2003)。このうち,特に易刺激性irritability が最も特徴的であり,大人の躁病で特徴的な高揚気分が子どもの躁病エピソードでは必ずしも特徴的ではないとするグループも存在する(Biederman et al., 1996)。典型的な躁症状である高揚気分と誇大性が必須であると主張するグループもいる(Geller et al., 1998a)。いずれにしろ,子どもの躁病エピソードの特徴の一つは,うつと躁が混在する多彩な病態である。
 第三の特徴は,他の精神障害,特にADHD,反抗挑戦性障害,素行障害などの破壊的行動障害を併存しやすいことである。その他の併存障害としては不安障害,物質関連障害が多い。報告はさまざまであるが,児童・青年期の双極性障害の少なくとも4分の3に明らかな併存障害が存在するといわれている。併存障害が存在する場合,例えばADHDが併存したとき,ADHDの症状が派手で,目立ち,多彩なため,周囲の目はADHDの症状に集中してしまう。そのため双極性障害を見逃してしまう可能性がある。その上,ADHDの症状と双極性障害の症状は重複するものが少なくないため,一層双極性障害は見落とされやすいと考えられるのである。

子どもの双極性障害の問題点
 子どもの双極性障害の問題点の第一は,DSM-IV-TRにおける双極I・II型障害の診断基準を満たさず,特定不能の双極性障害という診断名になってしまうことである。それが,診断の難しさ,曖昧さにつながっている。
 Gellerら(1998a ; 1998b)は,独自にPEA-BP(児童期・前青年期の双極性障害Prepubertal and Early Adolescent Bipolar Disorder Phenotype)という概念を提唱している。また,彼らはDSM-IV-TRとは異なる新しい診断のための構造化面接(WASH-U-KSADS)を作成し,さらに独自の急速交代のパターンの取り決め(cycleの交代を最低4時間続く気分の変動と定義)を作って診断を行っている。
 Biederman ら(1996)は双極性障害をもつ子どもは上機嫌よりも易刺激性を訴えると述べ,子どもの双極性障害における易刺激性の重要性を強調している。彼らは易刺激性を評価するとき,過剰な怒り,不機嫌,気むずかしさの存在を確認し,そのような易刺激性があれば,DSM-IV-TR の躁病エピソードの定義を満たすという独自の判断をしている。
 一方,Leibenluftら(2008)は子どもの双極性障害はDSM-IV-TRの成人の診断基準に従うべきと考えている。そして,Severe Mood Dysregulation(SMD)という病態を提唱し,双極性障害とは異なるものとした。これは高揚気分や誇大性・開放性がなく,重篤な易刺激性・易怒性を基本症状として慢性に経過するものであり,Biedermanらの躁状態の概念と近似する。
 すなわち,子どもの双極性障害は診断基準が研究者によってさまざまであり,それぞれの診断基準の妥当性も十分に検証されているわけではない。また,子どもの双極性障害の症状の内容,症状数,持続時間などもきちんと検討されてはいない。十分な議論がなされぬまま,児童期双極性障害という概念が一人歩きしているのが現状である。また,子どもの双極性障害の経過もまだ十分に検証されているわけではないので,子どもの双極性障害は大人の双極性障害と連続するものなのか,そうではないのか,まだ確実なことは明らかになっていないのである。

DSM-5ドラフトの発表
 2010年2月10日,DSM-5のドラフトが発表された。子どもの双極性障害にとっては大きな変化があった。「通常,幼児期,小児期,または青年期に初めて診断される障害」の章に,Temper Dysregulation Disorder with Dysphoria(不快気分を伴う機嫌調節不全障害:TDD)という病名が新たに作られ,双極性障害とは異なる疾患概念としたのである。これは後に,Disruptive Mood Dysregulation Disorder(破壊的気分調節不全障害:DMDD)という名称に変更になった。これは通常のストレッサーに対する重度で反復する不機嫌の爆発が特徴であり,その爆発の間欠期の気分状態も,イライラ,怒り,あるいは悲しみなどが続く状態である。そして,この障害は児童期双極性障害の濫用を防ぐために設けられたのだという。TDD は当初「通常,幼児期,小児期,または青年期に初めて診断される障害」の章に属していたが,後にその章自体がなくなることになり,DMDDは「うつ病性障害Depressive Disorders」の章に記載されている。なお,現時点(2011 年8 月1 日)では,「気分障害MoodDisorders」の名称は消え,「双極性および関連障害Bipolar and Related Disorders」と「うつ病性障害Depressive Disorders」に分離されている。
 すなわち,DSM-5では成人の双極性障害とは異なる児童期特有の双極性障害のタイプを新たに作ることはせず,児童であっても,双極性障害は原則として成人の診断基準に従うことになったのである。そして,「重度の非エピソード性の易刺激性severe, non-episodic irritability」のみでは双極性障害とはせず,診断するには典型的な双極性障害の症状であるエピソード性の高揚した,開放的な,あるいはイライラした気分が必須であり,かついくつかの関連症状が必要であるとしたのである。

子どもの双極性障害の意義
 しかし,それでもなお,上述したような,@うつ症状と躁症状のきわめて急速な交代,Aうつ病相と躁病相が明瞭に区別しにくく,双方の症状が混在する多彩な病態,B他の精神障害と併存しやすい,という3つの特徴を有する子どもは間違いなく存在し,彼らの多くをわれわれはこれまで見逃してきており,また,彼らはやはり双極性障害というカテゴリーに含まれ得るもので,かつ治療抵抗性で,臨床的にも基礎的にも研究の必要性が高い病態と考えられるのである。
 子どもの双極性障害はADHD,素行障害,反抗挑戦性障害および広汎性発達障害などの併存障害と密接にかつ複雑に関連した病態である。すなわち,子どもの双極性障害を研究していくということは,双極性障害と併存障害の内的関連性を解明していくことにつながっていく。それは,児童青年精神医学にとってきわめて重要な問題であると考えられる。今後,これらの病態をきちんと定義づけ,相互の関係を詳細に検討していくことは,病因の解明および治療に関する新たな知見につながっていくと考えられる。また,発達論的視点をもつ双極性概念の確立という意義がある。子どもの双極性障害の臨床像は,伝統的な大人の双極性障害概念とは大きく異なるものである。双極性概念が発達とともにどのように変遷していくのかを検討していくことはきわめて重要なことである。今後,「発達精神病理学developmental psychopathology」というパラダイムが,児童精神医学だけでなく,精神疾患全般を考える上で非常に重要な意味をもつと考えられる。

本書の構成
 本書の構成は5 部からなっている。第1部では,子どもの双極性障害とはどのような病気かについて述べる。その概念と歴史,疫学,一般的な診断基準,臨床的特徴を述べた上で,子どもの双極性障害の診断基準について解説したい。
 第2部では,さまざまなケースを取り上げて,子どもの双極性障害がどのような形で表れるのかを具体的に述べてみたい。なお,本書で提示する症例は,掲載することに関してその主旨を十分に説明し,本人および保護者の同意を得た。また,プライバシー保護のため,症例の記載に際し,匿名性が保たれるように十分に配慮した。
 第3部では,子どもの双極性障害の治療と対応について述べる。薬物療法はどのように行うか,どのような薬物が有効か,どんな精神療法が適切か,家族へはどのようにアプローチすべきかなどの治療戦略について解説したい。
 第4部では,子どもの双極性障害の本態は何かについて,まず生物学的病態研究の知見を述べる。次に,子どもの双極性障害は大人に移行していくのかについて,大学病院におけるカルテ調査の結果と最近の文献を概観しながら検討したい。
 第5部では,DSM-5のドラフトを検討しながら,子どもの双極性障害の診断基準について展望したい。最後に以上を踏まえた上で,子どもの双極性障害をどのように考え,実際にどう対応すべきかを論じたいと思う。
 巻末に,付録として,最新のDSM-5 ドラフトの翻訳と筆者による解説を付した。
 本書は以上の構成からなっている。子どもの双極性障害に関する研究は米国の一部のグループから始まり,現在欧米を中心に急速に発展してきているが,わが国における研究はまだ不十分と言わざるを得ない。本書は,欧米の研究を参考にしながら,できる限り日本の現状に即した子どもの双極性障害のハンドブックを目指した。


文献
American Psychiatric Association : Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders,4th Edition Text Revision(DSM-IV-TR). Washington, DC, American Psychiatric Association, 2000.

Biederman J, Faraone S, Mick E et al. : Attention-deficit hyperactivity disorder and juvenile mania: an overlooked comorbidity? Journal of American Academy of Child and Adolescent Psychiatry, 35 ; 997-1008, 1996.

Biederman J, Mick E, Faraone S et al. : Current concepts in the validity, diagnosis and treatment of pediatric bipolar disorder. International Journal of Neuropsychopharmacology,6 ; 293-300, 2003.

Blader JC & Carlson GA : Increased rates of bipolar disorder diagnoses amang U.S. child,
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London, Martin Dunitz, 2003.(十一元三,岡田俊監訳:児童青年期の双極性障害―臨床ハンドブック.東京書籍,2008)

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Leibenluft E & Dickstein DP : Bipolar disorder in children and adolescents. In: Rutter M,Bishop, D, Pine D et al.: Rutter’s Child and Adolescent Psychiatry, 5th edition, Chapter 38. pp.613-627, Oxford, Blackwell, Science, 2008.

Moreno C, Laje G, Blanco C et al. : National trends in the outpatient diagnosis and treatment of bipolar disorder in youth. Archives of General Psychiatry, 64 ; 1032-1039,2007.