はじめに

 19 世紀の英国の詩人クレイク(Dinah Maria Craik)(1859)は,かつて
こう書いた。

 ああ,安らぎよ,安心して人といることの,言いようのない安らぎよ。
 その人の前では熟考することも言葉を選ぶこともいらず,もみがらのように下らないことも価値あることも,すべてありのまま吐き出せる。
 その誠実な手で受け止め,ふるいにかけ,保つに値することは保ち,そうでないことは親切な一吹きで吹き飛ばしてくれることを信じて。
(p.169)


 クレイクは,ほどなくして遠いヨーロッパの一都市で生じてくる動きを,知らず知らずのうちに予期していたように思われる。フロイト(Freud)による自由連想の「発見」と,安全で受容的な分析的セッティングの中での分析家の注意深い傾聴が,ついにクレイクが無意識に望んでいた語り療法に,最適の環境を創り出したのである。
 この安全な雰囲気は現在解されているところによると,何よりもまず当事者二人が合意したある特定の「枠組み」に由来するのであり,この枠組みのもつ規範性が分析空間における円滑なやりとりを保障している。この空間では心理的には二つの主観が互いに浸透しあうことが起こるにも関わらず,身体的には時おりの握手以上の接触が起こることはほとんどない。ある特定の境界内で作業するというこの普通にはない取り決めの結果として,精神分析過程の鍛冶場から多くの自己発見が鍛え出されるのである。
 しかしながら近年,精神分析の専門家たちは,困った問題に気づくようになった。すべての分析が安全なわけでなく,すべての分析的境界が守られているわけではないのだ。問題の全容はとらえ切れていないが,ボストン圏とその周辺だけでも,分析家や治療者に性的に利用された患者のための支援団体に400人以上の女性が加入している。分析家と患者の性的関係をふくむ境界の侵犯がもっとも劣悪だが,それ以外のものも懸念の種である。
 分析的な境界侵犯は精神分析の専門職が誕生した時から存在するが,ようやく最近になって精神分析は組織としてこの問題に取り組むようになった。こうした流れの変化は,逆転移への見方が変わったことや,分析で生じているプロセスに分析家がどう関与しているかがより深く理解されるようになったことの影響である。この本は一つには,こうした精神分析の思潮の変化から自然と生じてきたものである。
 境界という精神分析の概念は,臨床実践における境界侵犯という考えとともに始まったわけではない。大洋感情についてのフロイトの初期の論文から近年のわれわれのこの主題についての関心にいたるまで,境界という概念はむしろ理論的なトピックであった。傑出した自我心理学者であるパウル・フェダーン(Paul Federn)は,内的および外的自我境界という概念と格闘した。前者は自我を無意識的なファンタジーや欲動から隔て,後者は一種の辺縁的な感覚器官であり現実検討を担うものと見なされている。ジェイコブソンのような対象関係論者は,境界を自己表象と対象表象の間の境として書いている。最近では,アーネスト・ハルトマン(Ernest Hartmann)のような現代の研究者たちが,研究ツールを使ったり精神分析的な手法と神経生理学的な手法とをともに用いたりして,精神内の内的および外的な境界を,パーソナリティのある特定の次元としてさらに詳細に論じている。
 したがって,境界についての概念的な問題と精神分析における境界侵犯という臨床的な側面は,別のようでありながらある程度関連ある二つの論点といえる。すなわち(1)精神内の境界がもつ性質についての理論的な見方と,それが自由連想や夢の想起といった分析過程における基本的事項とどう関わっているかということ,そして(2)内的境界および対人境界の横断や逸脱といった,分析における特定のエナクトメントに対する臨床的評価,この二つの論点である。
 この本では,これら両方の論点を詳しく検討していく。両者はある領域では重なるが他では重ならない。実際われわれがこの共同作業によって成しとげたいことの一つは,精神分析における境界概念の古典的な用いられ方と,臨床実践における対人境界やある種の分析的な境界侵犯についての現代的問題との,重要な共通部分を見定めることなのである。
 この本ではまず境界というものを吟味してから,境界侵犯について論じていく。第1章と第2章では,境界についての精神分析の文献を,構造とプロセスの両方の観点から要約する。第3章は,互いに関連しあう三つの構成概念,すなわち分析的な枠組み,分析的な境界,分析的な対象を概念化する試みである。第4章では境界における性差についての文献をまとめた。
 第5章から正式に境界侵犯について論じていくが,まず精神分析の専門家集団の中で生じたそのような行為の初期の歴史をたどってみる。第6章と第7章では,境界侵犯の性的なものと非性的なもの各々について,その精神分析的理解に焦点を当てる。第8章は終結後の境界という曖昧な領域について,特に転移の運命ということに力点を置きつつ論じる。第9章ではスーパービジョンにおける境界について見ていき,第10 章では境界侵犯に対する組織としての対応と,可能な予防手段とを示す。
 この計画を実行するにあたっては,臨床素材の提示に関して著しい問題が生じた。同業者について書くことにはいつも困難がつきまとうが,深刻な境界逸脱をおかした分析家についてのデータを提示することはもっとやっかいである。守秘義務と匿名性の厳守という問題にわれわれは二つのやり方で対処した。あるケースでは,われわれの論じたい主な心理学的テーマをとらえているような合成ケースを創りあげて,個人を同定されないようにした。また別のケースでは,ケース素材を偽装したものを当該の治療者や分析家に十分チェックしてもらってから書面での許可を得た。臨床データによって境界逸脱についての理解が広がることが,デリケートな素材の公表を正当化してくれるとわれわれは考えるが,この点は読者にも賛同いただけるものと信じている。
 この本を作り上げるにあたっては,たくさんの人たちの助力を得た。ジョイス・デビッドソン・ギャバード(Joyce Davidson Gabbard)とマーレイ・D・レスター(Murray D. Lester)には,きわめて多忙な執筆の数カ月を我慢強く支え続けてくれたことに感謝する。ベーシック・ブックス出版社のステファン・フランクール(Stephen Francoeur)とジョー・アン・ミラー(JoAnn Miller)は,われわれを助けこの計画を始めから終わりまで導いてくれた。ありがとう。ジョン・カー(John Kerr)とピーター・グルーエンバーグ(Peter Gruenberg)がこの本の各所に寄せてくれたコメントは役立ったし,特にオットー・カーンバーグには推薦文を書くことを慈悲深く承諾していただき,思慮深い批評をいただいた。最後にフェイ・ショーンフィールド(Faye Schoenfeld)には,細心をはらって原稿を活字にし編集をくわえ,参考文献を注意深くチェックしていただいたことを特に感謝したい。

グレン・ギャバード
エヴァ・レスター