訳者あとがき

 本書『精神分析における境界侵犯―臨床家が守るべき一線』は,米国の代表的な分析家の一人であるグレン O.ギャバードと,カナダの分析家エヴァ P.レスターの著作,“Boundaries and Boundary Violations in Psychoanalysis”の全訳である。原書は1995年にBasic Books 社から刊行され,その後ペーパーバック版としてアメリカ精神医学会の出版部門であるAmerican Psychiatric Publishing 社から2003年に再刊行された経緯をもつ本である。
 精神分析家に限らず,心理療法家や精神科医,その他の対人援助職に就いている人の中に,時に治療者,援助者としての役割から逸脱し,患者と専門的関係以外のつながりをもってしまう人がいる。この本来越えてはならない治療者としての一線を越えること,それが「境界侵犯」boundary violationである。本書はこの境界侵犯について,境界という概念にまでさかのぼりながら多面的,体系的に論じた著作であり,精神分析の領域においてだけでなく,精神医学や心理療法など対人援助全般の倫理の議論に広く影響を与えた重要な著作である。
 これまで精神分析では,道徳性や倫理性の心理的性質とその起源を解明することについては,多くの学問的,臨床的努力が積み重ねられてきた。エディプス・コンプレックス,超自我,マゾヒズム,死の本能,妄想分裂ポジションと抑うつポジション……。これらの精神分析における主要な概念は,すべて道徳性や倫理性と何らかのつながりがあるものである。しかしこの本で著者らが示しているように,精神分析家の多くは道徳性の学問的解明に向けたような積極的な関心を,精神分析家自身の倫理的問題に向けることはしてこなかった。つまり,精神分析家は「倫理の精神分析」には熱心に取り組んできたが,しかし「精神分析の倫理」については十分な関心を寄せてこなかったのだ。そしてこの自己矛盾,あるいは乖離とでもいうべき倫理への二面的な態度は,近年まで長らく維持されてきた。
 それでも最近は―少なくとも欧米圏では―こうした姿勢は大きく転換してきている。倫理的問題の重要性が認識され,それへの積極的な取り組みも行われるようになりつつあるのだ。そしてこの転換を推進した力の一つが,本書の刊行を含むギャバードの業績にあったことは間違いない。たとえば英国でも,精神分析協会の倫理委員長をつとめたA.サンドラーらが,マスード・カーンやウィニコットが過去におかした重大な境界侵犯についての報告(注1)をThe International Journal of Psychoanalysis誌上で2004年に行っているが,この報告の中でもギャバードの業績は繰り返し言及されており,その影響の大きさをうかがい知ることができる。そしてサンドラーらは,本書についても次のように言及している。境界侵犯に関する図書の中では,この本が「現時点でのスタンダード」だ……。
 ではここで,本書の内容を概観しておこう。
 まず本書の前半で著者らは,「境界」について論じている。第1章ではフェダーン,対象関係論,システム論の主張を取り上げ,「境界」という概念が精神分析の中でどうとらえられてきたか,その認識の変遷が説明される。第2章では分析過程の中で内的境界をこえていくことの意義と危険性が,自由連想や夢についての考察を通して語られる。そして第3章では外的境界が分析過程に果たす役割について,禁欲原則や中立性と絡めて論じられ,第4章では,境界とジェンダーの関連について論じられる。
 本書の後半では,「境界侵犯」が主題となる。まず第5章では,過去の著名な分析家によって引き起こされた境界侵犯の事例についての歴史的考察が行われる。治療者としての一線を越えていくユング,フェレンツィ,ジョーンズの姿と,彼らの性的境界侵犯にフロイトがどんな態度でのぞんだかが描かれ,そしてフロイト自身がおかした境界侵犯も明らかにされていく。さらにメラニー・クライン,マーラー,フロム−ライヒマン,ジルボーグといった著名な分析家の境界侵犯のエピソードも紹介される。第6章では性的境界侵犯がとりあげられる。著者らは性的境界侵犯をおかした分析家を四つのカテゴリー―精神病性障害,搾取的サイコパスと性倒錯,恋わずらい,マゾヒスティックな服従―に分類し,その背後で動いている精神力動を詳しく説明する。そして第7章では,非性的境界侵犯(性的な意味合いのない一般的な境界侵犯)がとりあげられる。ここで著者らは境界を越えることを二つ―有害な「境界侵犯」と基本的に無害な「境界横断」boundary crossing―に分け,事例を検討することを通して両者の違いを明確にしていく。第8章では,終結後の境界について論じられる。特に終結後であっても患者と性的関係をもつべきでない理由について詳述される。第9章ではスーパービジョンの境界について,主に訓練分析とスーパービジョンのあいだの境界をどう設定するのがよいのか,という点について検討される。そして第10章では,組織的な対応が論じられる。境界侵犯をおかした分析家に対して,組織はどう対処すればよいのか。その分析家に対する復権はどのように行えばよいのか。予防のためにできることはあるか。こうした点についての議論が行われて,巻が閉じられる。
 このうち本書の前半の内容,つまり「境界」についての論考も大変ユニークなものであるのは確かだが,しかし何と言ってもこの本の白眉は境界侵犯についての論述にある。中でも重要な要素を抽出するなら,以下の諸点があげられよう。まず境界侵犯と境界横断という概念を区別し,それぞれの性質について論じたこと。普段表に出ることのない境界侵犯の事例が,豊富に紹介されていること。境界侵犯をおかす治療者を類型化し,それぞれの精神力動を示したこと。そして境界侵犯が生じた際に組織がとるべき対応を,非常に具体的に論じていること。これらについての論述の包括性と具体性ゆえに,この本が「スタンダード」との評価を受けているのだと感じさせられる。
 日本ではこれまで,精神分析における実践的な倫理を主題にした本は出版されていなかったし,境界侵犯についてこれほど包括的に論じた本も出版されていなかった。こうした出版状況を転換するという点で,本書を刊行することの学問的,臨床的意義は決して小さくないはずだと確信している。多少理論的で難解な箇所もあり,特に前半の「境界」の論考は精神分析になじみのない方にとってはハードルが高いかもしれないが,それでもこの本が一人でも多くの読者に迎えられることを願ってやまない。そしてこの訳書の刊行がきっかけとなって,精神分析の領域における倫理への関心がさらに高まり,それとともに,心理療法や精神医療など対人援助全般における境界侵犯の発生が少しでも減ることにつながれば,訳者としてはこれに勝る喜びはない。
 最後に,翻訳について述べておく。まず訳者間の分担だが,出版企画は主に北村隆人が進め,訳は北村婦美が主導し,推敲過程で両者間で繰り返し議論しつつ細部まで詰めていった。次に術語や固有名詞の日本語表記については,原則として順に,精神分析事典(2002, 岩崎学術出版社),新版精神医学事典(1993, 弘文堂),固有名詞発音辞典(2001, 三省堂)に従った。邦題は,原題Boundaries and Boundary Violations in Psychoanalysis のうち,Boundaries and を省いたタイトルとした。そうしたのは,この部分も含めたタイトルにすると和書名としては長くなりすぎること,「境界侵犯」という言葉に「境界」のことも含意させうると見込んだこと,この二つの理由からである。ただ「境界侵犯」という言葉が一般化していない本邦の現状をふまえると,このタイトルだけでは何に関する本なのかが読者につたわらない恐れが高いと考え,「臨床家が守るべき一線」という副題を添えた。なおboundary violation という言葉に狩野(注2)は「境界違反」という訳語をあてているが,私たちは「境界侵犯」を選択した。boundary violation という英語には,治療者−患者間の境界を「侵す」というニュアンスが含まれており,このニュアンスが伝わる日本語としては「違反」よりも「侵犯」のほうがふさわしいと判断したためである。
 今回はご縁があって,はじめて金剛出版と仕事をする機会にめぐまれた。こうした機会を与えて頂いた代表取締役の立石正信さんに,まず深くお礼を申し上げたい。また初めての出産,育児の過程を歩まれながら,同時にこの翻訳書を生み出すお手伝いをいただいた編集者の中村奈々さんにも,そしてお子さんにも謝意を表したい。
 最後に,翻訳に取り組む私たちにいつも力を与えてくれる,二人の子どもたちにも感謝したい。ありがとう。

2011年9月23日
訳者を代表して
北村隆人


(注1)Sandler, A. & Godley, W.(2004)Institutional responses to boundary violations : The case of Masud Khan. Int. J. Psycho-Anal. 85, 27-42
(注2)狩野力八郎(2006)精神分析的に倫理を考える. 精神分析研究50, 191-203