はじめに

 2011年10月4日。小野直広先生がこの世を去り、この日で10年になります。
 1994年、小野直広先生を中心に「短期療法を学ぶ会」が仙台に生まれました。前身となった「家族療法を学ぶ会」からの改名であったそうです。1995年に私の恩師である長谷川啓三先生が加わり、重層的な会に発展していきました。1997年に「短期療法を学ぶ会東京」が、1998年には「短期療法を学ぶ会山形」が、2000年には「短期療法を学ぶ会千葉」が誕生しました(参考として、短期療法を学ぶ会、2002)。小野直広先生がお亡くなりになり、告別式で「短期療法を学ぶ会千葉」の幹事のお一人である抱真由美先生とお会いし、私は「短期療法を学ぶ会千葉」に参加することとなりました。
 その後、2008年に日本ブリーフセラピー協会(National Foundation of Brief Therapy)が設立され、「短期療法を学ぶ会」は、東京青山サロン、横浜、名古屋、京都、鹿児島、福岡に学びの場を広げ、2009年11月22日に第一回学術会議が開催されました。「短期療法を学ぶ会」は日本ブリーフセラピー協会の支部となり、一つのまとまりをもちました。年に一回の学術交流を行うことや、より大きな企画をするための土台づくりとしてこれは重要なことでした。私自身は日本ブリーフセラピー協会本部で行われている研修員制度のチーフトレーナーとしての役割と「短期療法を学ぶ会仙台」のお手伝いをさせていただいています。
 さてここで小野直広先生と私の関係に言及する必要があるでしょう。1997年、日本家族心理学会第14回大会にて、「神経性脱毛症患者への短期療法―操作性≠ノついての一考察」という事例研究を発表しました。一番前で聴いていてくださったのが小野直広先生でした。それまでもたびたびお会いすることはありましたが、事例の経過や私の考えを聴いていただいたのははじめてでした。その発表の中身を一言で言うと、治療者のもつ治療モデルは面接中の会話に反映され、どのような治療モデルに従おうと、そのモデルに影響されるために操作的でない心理療法などあり得ない、という考察を実際の会話のプロセスを示し説明したのです。小野直広先生は質問と温かなコメントをくださりました。内容は覚えていませんが。
 そして2001年の精神分析系の学会の企画ディベート「精神分析VS家族療法」という過激な公開討論のタッグとして私を指名してくださいました。天才精神分析家である妙木浩之先生との出会いもこのディベートがはじまりです。このディベートは小野直広先生との最初で最後となる記念すべきイベントでした。私は舞台の上で自分の発表前に深呼吸しました。するとズボンのベルトが……な、なんとちぎれたのです!!深呼吸しすぎですね。で、精神分析の先生が難しい質問を小野先生に投げつけました。すると「難しい話はよくわからない。若島君に訊いてくれ!」と私にバトンを渡したのです。そこで私はあたふたし「すいません。小野先生、私はそれどころではないのです。ベルトが切れてなんとかしようとしていて、質問なんて聴いていませんでした」と舞台の上で述べたのです。すると会場がどっと笑い、家族療法家の面白さを皆様に知っていただくことができました。そんなおり小野先生から歴史的名言が投げかけられました。「難しいことはわからないが、それって治るの?」と。精神分析家は硬直し、こわばった表情で次のようなことを言いました。「精神分析の目的は治療ではなく、分析すること自体である。治す治さないならば家族療法が良いだろう」と。そしてディベートは終了しました。ちなみに私が演台に立ったときは小野先生のクロコダイルのベルトを借りていました!!また本書をまとめているとき、日本産業カウンセラー協会宮城支部の大竹明子先生と話す機会があり、小野先生が私のことをいつも車の中で話していたと聞きました。私はそのようなことを全く知りませんでした。何を話していたかはよくわかりません。でも気にかけてくださっていたのでしょう。
 本書のタイトル『太陽の法則』。それは小野直広先生の『太陽の魔術』を法則として言い換えた言葉であり、光りあるところに光を当てる、そのようなセラピーのことです。『北風と太陽』の物語を皆様はご存知のことでしょう。旅人のコートを脱がせるのは北風か太陽か……私は臨床活動をはじめて今年で一六年になりますが、今の結論は太陽こそが人を変えることができるということです。読者の皆様が本書を読み終えたその瞬間から、平均的に八〇点をとれるブリーフ・セラピストになれると私は考え、そして期待しています。
 なお、本書は2010年10月2日に行われた日本ブリーフセラピー協会名古屋支部(短期療法を学ぶ会名古屋)におけるワン・デイ・ワークショップの記録をもとに加筆修正したものであることを付記しておきます。

2011年1月4日 若島孔文