ブリーフセラピーの臨床研究プロジェクトという発想を得て、計画を立て始めたのは、一九六五年のMRIにおいてであった。当時のセラピー気運は、精神分析の最盛期にあたり、それは変種も含めれば、ほとんどのセラピー活動に対してとは言えないまでも、かなりの影響力を持っていた。同じ頃、家族療法が発展しはじめていたが、セラピー界ではほとんど認識されていなかった。多くの新しい展開同様、その支持者らは、実践を飾る新しい特徴を生みだした。たとえば、面接にペットを連れてくること、核家族全員を全面接に呼ぶこと、時に自宅で面接すること、原家族の(そこでの子ども時代を介した)現家族への影響を探求すること、そして家族と現在接触のある個人を時に面接に含めること(地元の郵便配達員とか店主、警察官、子どもの教師など、この技術を実践するセラピストの面接には三〇から四〇の人々が集まったものだ)など。
 おわかりのように、このような飾りはセラピーの時間を長引かせることになった。家族療法が誕生し、はじめて導入された頃、それは伝統的セラピーに比べ、より迅速に問題を解決するための方法と考えられた。しかし、セラピーの長期化に伴い、それに要する時間は伝統的セラピーに近づき、月単位ないし週単位というより年単位になっていった。
 ブリーフセラピー・センターが創設されたのは、そのような気運の中であった。その推進力は大方、私たち以外で治療の短さを強調する人々の新しい方法への気づきに由来する。その代表格は、ミルトン・エリクソン(精神科医)とジェイ・ヘイリー(ベイトソン・プロジェクトの研究員でMRIのメンバー)だった。ふたりのセラピー・スタイルと治療法は異なっていたが、かなり重複するところがあった。たとえば、彼らが強調したのは、面接のあいだにすべきなんらかの活動をクライアント(ら)に処方することだった。「洞察」は、治療全体では小さな要素に留まるか、介入処方に正当性を与えるために使用された。後者の特徴が必須とされたのは、彼らの提案がいわゆる「常識」に反していたからである。それゆえ、クライアントであれ見学者であれ平均的な人にとって、そのような指示は奇妙で、「常識はずれ」ないし「逆説的」に見えたのである。特にそれらが望ましい変化をかなり迅速に引き起こすことができたため、私たちのグループは、戸惑いながらもむしろ魅惑的だと感じていた。
 私たちは数カ月かけて、研究方法について議論し組織化した。「有効」でありながら「短期」となる治療アプローチを展開するだけのことであったから、初期のモデルは幅広いものであってもあいまいなものだった。まずは、自分たちの方向性に基づいて、プロジェクトの名前を「ブリーフセラピー・センター」とした(この名称については後悔することになったが、それについては序の後半で説明しよう)。すべてのケースの面接回数に上限を設けることは、難なく合意できた。まず、誰かが言った。「二〇回ではどうだい?」つまり、六カ月間の治療だ。「それじゃあ、短いとは言えないね」となり、すぐさま一〇回なら十分短い感じがすると合意された。もうひとつ迅速に決定したことは、問題とか「診断」の性質によって適応基準を設けずに、援助を求めて来た人は誰にでも会うということだった。それに関連して、クライアントと特定のセラピストを(特別な才能ないし経験によって)組み合わせず、クライアント/セラピストのマッチングはランダムに振り分けることにした。第一に、私たちは週に二、三時間全員で集まって、主たるセラピストの治療計画について議論し援助することにした。ついでに、その議論を助けるためにセラピストのカルテを持参してもらおうとした。しかし、その提案に対して、一同から大きなうめき声(叫び?)が聞こえた。なぜなら、セラピーで何が起こるかを知るのに、何日も待たされたくなかったからである。MRIにはすでに観察室付きのワンウェイ・ミラーが装備されていたので、私たちは、セラピーのあいだ同僚を皆で観察し、面接終了後に議論することにした。(数年後に、プロジェクトの見学者たちがワンウェイ・ミラー越しの観察をこのモデルの統合的部分だと信じて、自分たちの面接室にもそれを取り付けはじめたと聞いたときには、驚くと同時に、楽しくもあった。私たちが(当初)そうすることにしたのは、ただ忍耐が足りなかっただけなのだから。後になって考えてみると、それは欠点でもあったが、役に立つことであった)。
 セラピーの結果に関する評価法を公式化するまでクライアントとの面接を始めなかったことは、賢明であった。私たちの方法論においてその他すべての要素はわずか二、三週で決まったものだが、この点については三カ月を要した。ほとんどすべての標準的方法を吟味し、結局は放棄した。(中には、肥満患者とその家族だけを治療すれば、「治療の終わりに体重を測ることで、容易に変化を測定できる」と主張する者もいた。その同僚は、私たちが個人的視点ではなく相互作用的(視)点から問題を考えているので、(他の誰かの体重が増えることもあり得るので)ひとりの体重を測っても無意味だと言っても引き下がらなかった。彼はこう即答したのである。「まったく問題ないよ。貨物用重量計を借りてきて、家族全員の体重を測ればいいんだから」)
 最終的に、(誰だったか著者は記憶にないが)メンバーのひとりがこう言った。「クライアントは、問題があるからここへ来るんだ。もしも私たちのセラピーが使えるかどうか、その変化を評価したいなら、治療終結時に、クライアントが問題を抱えていなければいいのだよ」私たちは全員、このシンプルで、率直で、しかも分別のあるアプローチこそが自分たちの目的に適切であると信じた。そして、これがフォローアップ実践の基礎を形成した。
 こんなふうにして、私たちは始まったのである。私たちの黎明期は、熱心で、思慮深く、そして友愛に満ちた混沌とでも記せばよいだろうか。まずもって、私たちの専門家としての背景が異なる精神分析学派のごた混ぜだった。(著者は伝統的フロイト派にサリバンをひとひねりして混ぜ込んでいたし、ジョン・ウィークランドは大方フロイト派だったが、ポール・ワツラウィックはユング派だった。
全員エリクソン派催眠を実践していたが、同時に、家族療法の概念と実践を取り込んでいた)
 計画当初、私たちは、結果の一要素によって、ブリーフセラピーに適した患者とそうでない患者を峻別できると仮定していた。しかし、すべての患者に対して面接の上限を同じ回数に設定したことからくる変化によって、この仮定はかなり早期に変更されることになった。変更のいくらかは、エリクソンとヘイリーによって使われた技術を「実験的に試して」みた際、患者がことのほかうまくいった経験から来ている。あれは効くというバイアスがもたらされたのだ。それゆえ、結果に関する私たちの考えは、どんなケースであれ一〇回の面接でどのくらいの達成が得られるかを探求することへと移行していった。元来、私たちは問題の変化のみの評価を考えていた。しかし、さらに二つの研究要素を追加することにした。

 一 主たる問題において十分な変化が得られたとき、新しい問題が生まれなかったか?(「症状置換」という精神分析的概念の亜型である)
 二 推論―主たる問題が解決されたとき、患者が治療中にほのめかしたものの、解決のためにいかなる試みもなされなかった、その他の問題において、改善は
    なかったか?(数年たって、結果報告の示すところによると、新しい問題はごくわずかであり(一パーセント

   以下)、「手を つけていない」問題においてかなりの改善が得られた(二五パーセント))
 私たちの思考や戦略におけるその他の変化は、患者との面接でまごついたときに生じた。おそらく、ほとんどの戦略的変化が生まれてきたのは、私たちが、ほとんど例外なくクライアントは、問題解決ないしその対処の試みにおいてきわめて「ナイーブ」だと気づきはじめたときであった。これによって、臨床アプローチ上、予期していなかった戦略的変化が導かれたのである。そのとき私たちは、登校に脅える幼い息子について相談にきた男性と面接をしていた。学校へ行くようにという説得に対する息子の反応は、かなりみじめだったので、両親は通常、息子を自宅に残す言い訳を見つけることになった。ごく稀に息子が登校しても、養護教諭から、息子はかなり動転しているので両親に学校へ来てもらって家に連れて帰ってもらうのが必要だと電話で説明されると、その「成功」も短命に終わるのだった。子どもが丸一日学校にいたことは一度もなかった。その頃には、私たちは、子どもの恐怖が両親のあいだの夫婦葛藤の表れだと感じていて、治療的戦略をそちらの焦点へ移していこうと計画していた。しかしながら、もしも第一に、息子の学校恐怖について父親がもうすこし「ナイーブ」で
はなくなるよう影響を及ぼすことができれば、父親の努力を強化できるのではないかと考えた。子どもの恐怖をやわらげる努力において、父親は、学校について息子を安心させようとしていた。「先生と会ってきたけど、とても親切でやさしそうな人だったよ」「学校が始まった頃は、面白くて、パパはとても楽しかったぞ」と。しかしその代わりに、私たちは父親に、息子にはこう言うように頼んだ。自分の学校体験については、実は正直には言わなかったんだよ、なぜかというと、本当はとても怖かったから。彼はそれを承諾し、二週間後の次回面接で、それを実行したと語った。私たちが(夫婦療法の準備として)彼の妻に会いたいと頼もうとしたちょうどそのとき、父親は、息子が今では毎日登校し、学校へ行くよう説得する必要もなくなったと語った。
 結果的に、これが、問題は他のいかなる説明よりも、子どもの恐怖を解決しようとする父親の努力の仕方とより強く関連しているという考えを私たちが発展させた最初のケースだった。新しい努力による成功は反復を生みやすいものであり、私たちはクライアントに、相談に来た問題を解決したり根絶やしにするためにいかなる努力をしてきたのかと訊ねはじめた。後に「解決努力」と呼ぶようになったものである。これが成功し続けたので、私たちは「解決努力」をあきらかにすることとそれをクライアントにやめさせることを自分たちのモデルの基盤としたのだった。
 セラピーを洗練する上で私たちが展開した方法をすべて存分に記述するほどの紙幅は、ここにはない。二、三挙げるとしたら、問題の変化を達成ないし促進するための言外に伝える楽観主義の使用、介入処方のヴァリエーション、そして言語と意味論の慎重な使用であろうか。クライアントとの成果と、「臨床」ケースにおける成功をもたらした私たちのモデルの根底にある単純さによって、私たちは後に「非臨床」問題においても同じモデルを使うことにした。ビジネスや会社の問題、学校の問題、スピード違反への対処、そして日常生活の相互作用的問題の幅広い領域における葛藤の緩和。そして、このような経験が「ブリーフセラピー・センター」という名前をなぜ後悔することになったかという序文冒頭のコメントにつながるのである。
 まず第一に、「ブリーフ」というのは用語として不明瞭なので、あまり理解が進まない。「ライト」とか「ローカロリー」「人気の」というような内容を描写する食品のラベルに似ている。人々が「ブリーフセラピー」について聞くといつでも「ブリーフセラピーはどのくらいブリーフなの?」と訊くものである。「ロングセラピーはどのくらいロングなの?」とは決して訊かないのは、どうしてだろう?また、「セラピー」はクライアントがなんらかの特定の問題を抱える「臨床的」仕事を連想させる。精神的、心理学的、神経症的、神経衰弱……(お好きなものをどうぞ)。最終的に私たちは、「臨床的」と「非臨床的」が、人間相互作用的問題の解決を援助するにあたって、同じことをするための不必要で限定的な分離であることを理解した。その意味で、私たちは「セラピー」をしているのではなく問題解決をしているのである。ただし不可避的に、「相互作用的問題解決セラピー」には、「ブリーフセラピー」が持つほどの特徴はない


.註1. この序文の一部は、R. Fisch & W. Ray(Guest editors),(2005). Principles of problem formation & problem resolution, 39 years of innovation at the Mental Research Institute Brief Therapy Center, a special double issue on the MRI Approach, Journal of Brief Therapy, 4,(1&2).からの抜粋である。(.訳注.本特集号には、監訳者らの古い論文もタイトルの変更と多少の加筆訂正をされ収録されている。Geyerhofer, S. and Komori, Y., (1995). Bringing forth family resources in therapy. Zeitschrift fur Sozialpsychologie undGruppendynamk in Wirtschaft und Gesellschaft, 20(3), 24-28.)