監訳者あとがき

 このたび,Len Sperry,MD.,Ph.D.の著書,“Handbook of Diagnosis and Treatment of the DSM―W―TR Personality Disorders(second edition)”の全訳を出版することができました。
 本書は1995 年に初版が出版されており,当初は,監訳者の近藤喬一先生の指導のもとに初版の訳出に取り組んでいましたが,2003 年に第2版が出版されたため,あらためて第2版の訳出に取りかかったという経緯があります。
 初版の翻訳では,第1章は監訳者の近藤喬一先生が,第7章は慈恵医大精神医学講座助手(当時)の頴原禎人先生(慈恵医大精神医学講座助教,医療法人頴原会東毛敬愛病院 院長)が担当していましたが,第2版の加筆により,初版翻訳原稿を直接採用できなくなったため,第2版の第1章分担訳は,西村浩先生(慈恵医大精神医学講座準教授,厚木市立病院医長)が担当し,第7章は監訳者が担当することになりました。しかし,このため第2版の分担訳者として頴原先生が挙げられなくなった。これは誠に申し訳なく存じます。頴原先生には,これまでの経緯を説明し,初版の分担訳者として参加いただいたことをあとがきで明記することで,ご理解をお願いしました。ご了承いただいた頴原先生には心から感謝申し上げます。
 また,第2版の第5章,第6章は,大正大学の佐藤隆一先生のご紹介で,日笠摩子先生と市川智明先生に翻訳をお願いすることができました。ご紹介いただいた佐藤先生,並びに,分担訳をお引き受けいただいた日笠先生,市川先生に深く感謝申し上げます。
 本書は,著者Sperry が膨大な文献と自身の臨床経験に基づき,パーソナリティ障害に関する概念,診断,治療に関して詳細に論じ,将来の展望にも言及したテキストである。総論というべき第1章と,それぞれのパーソナリティ障害に関する各論というべき第2〜11章から構成されている。
 第2〜11章の各章は,同一の構成で記述されているため読みやすいが,内容は決して容易ではなく読みこなすにはある程度の専門知識と臨床経験が必要である。しかし,本書は極めて実践的な内容なので,これからパーソナリティ障害について知ろうとする人たちや,現在,困っている事例のパーソナリティについて検討したいという人たちにも,大いに役立つと確信している。
 臨床現場で対応が必要となるパーソナリティ特性としては,まず境界性パーソナリティがあげられよう。しかし,このテキストでは,特定のパーソナリティ障害がとくに強調されているわけではなく,むしろ,医療機関への受診や相談窓口に現れることが稀なパーソナリティ障害についても詳しく解説されているのが特徴である。このことに違和感を覚える方もいるかもしれないが,治療施設ではなく,地域精神保健の現場で遭遇する処遇困難事例には,むしろ,スキゾイド,妄想性,反社会性などのパーソナリティ特性を持った事例が稀ではないことを考えると本書の有用性が理解できる。
 また,日常生活で出会う,変わった人,付き合い方に苦慮する人,そのような人たちが,どのような特徴を持っているのか,要するに,治療を必要とするほどではないが,パーソナリティに著明な偏りがある人たちを,われわれはどのように考えたらよいのか。本書では,それを「パーソナリティ障害」と対比して示される「パーソナリティスタイル」という概念で理解できることを教えてくれる。同時に,著者は,この「パーソナリティスタイル」が,「パーソナリティ障害」の治療に際して目標とすべき状態であると「前提5」で述べていることも極めて現実的で納得できる。
 このため,本書は,治療施設の精神科医,心理士,看護師,作業療法士の方達だけではなく,地域の処遇困難事例への対応を求められる,地域精神保健を担う,保健師,看護師,精神保健福祉士の方々にも非常に有用であり,さらには,産業精神医学の領域でも,産業医や健康管理スタッフにとって大いに参考になると確信している。
 第1章では,パーソナリティ障害の診断や評価,治療に必要な「前提」や多様な概念化と,焦点化された強力な治療法,そして将来の展望などが簡潔に要約されているが,非常に読み応えがある内容で,ここを読むだけでもパーソナリティ障害に関する包括的な理解と重要な論点を知ることができる。
 興味深いのは,養育と発達の問題とパーソナリティ障害を結び付ける要因としての「愛着」に関する記述である。Sperry は,愛着の特徴とパーソナリティ障害との関連についての多くの研究を示し,それぞれのパーソナリティ障害に対応する特徴的な「愛着スタイル」を提示している。
 本書では,それぞれの「愛着スタイル」に対応する訳語を以下の通りとした。

安定型  :secure(自己と他者への肯定的思考)
とらわれ型:preoccupied(自己への否定的,他者への肯定的思考)
拒否型  :dismissing(自己への肯定的,他者への否定的思考)
恐怖型  :fearful(自己と他者への否定的思考)
混乱型  : disorganized(自己と他者への変動する肯定的および否定的思考)

 また,否定的・機能不全的な思考や感情を引き起こし,目的達成に支障をきたす思考と行動パターンである「不適応スキーマ」もわかりやすく解説されている。Youngの「不適応スキーマとスキーマドメイン」に関する訳語は,伊藤恵美監訳『スキーマ療法』(金剛出版,2008 年)の訳語に準拠した。
 また,治療に関する解説には,必ず薬物療法が含まれ,明確な薬理学的作用機序に基づく,適切な薬剤による薬物療法が,不適応パーソナリティに共通な,衝動性,怒り,攻撃性,抑制,猜疑心,気分不安定などの特性に対して有効であることが研究報告を通して示されており,これは精神科の臨床医にとって非常に有益な内容である。
 訳出に際し,多くの先生方のご協力をいただいたにもかかわらず,私の作業の遅れにより出版が遅れたことに対し,監訳者の近藤喬一先生をはじめ翻訳を分担していただいたすべての先生方に申し訳なく思います。ようやく訳本が完成したことに心から安堵しております。辛抱強く見守っていただき,適切なご助言とご指示をいただいた,近藤喬一先生と,金剛出版代表取締役社長 立石正信氏に,あらためて感謝し御礼申し上げます。

平成23 年10 月
監訳者のひとりとして 増茂 尚志