監訳者まえがき

 アーネスト(ジャック)・ヒルガード教授は,1928年からイェール大学とスタンフォード大学で定評のある心理学入門講座を教えており,数十年もの間,出版社から心理学の教科書を執筆するようにお願いされ続けていたそうですが,1951年に,ヒルガード教授はスタンフォード大学大学院の研究科長に就任するため,同大学心理学部の学部長職を退くまで,テキストの執筆時間を取れるとは思ってもいませんでした。さらにヒルガード教授は,長い間心理学分野で好評を博していたロバート・ウッドワースの入門書が,1947年の出版を最後に改訂版の予定がなかったこともあって,この分野に新しい入門書が必要であると痛感したそうです。
 本書の執筆に際して,ヒルガード教授は,心理学的に重要な問題を提起し,そのような問題にはどのように答えればいいのかを教えることによって,学生を惹きつけるようにしました。この点について,ヒルガード教授は次のように述べております。「本書の計画に際しては,私がこれまで講義で行ってきたのと同じように,とにかく学生のことを考えるようにした。学生にいろいろ質問して考えさせたり,また,説明が不明確のときには話の途中でも質問するようにと促しておくこともせず,ただ一方的に話し続けるような講義を決して認めるわけにはいかない。拙著の構想と執筆に際しては,学生の興味を惹きつけるために,このことばに忠実であり続けるように心掛けた」。このような基本姿勢の下で,ヒルガード教授は,歴史上最も有名な教科書の一冊となる初版本を執筆し始めた次第であります。そして,1953年に本書の初版『心理学入門』が世に出されてから,2009年の第15版まで,約55年の時が経つことになります。
 初版は熱狂的に受け入れられ,約14万5千部,第2版では,生物学,感覚と知覚,統計と心理測定の章が追加され,第3版は41万5千部も売れたと言います。
 ヒルガード教授は,1969年にスタンフォード大学教授の職を退き,名誉教授となりましたが,その後も18年間にわたって本書を改訂し続けました。急速に拡大発展する心理学の諸分野が,その最適任者によって担当されるように,ヒルガード教授は共著者の人選に取りかかりました。そして1967年(第4版)にはリチャード・アトキンソン教授が共著者に加わり,生物心理学と認知心理学が非常に充実することになりました。1971年(第5版)には,臨床心理学のリタ・アトキンソン教授が執筆陣に加わり,臨床心理学関係の改訂と共著者間の連絡調整を行うことになりました。1975年(第6版)には,ダリル・ベム教授が執筆陣に加わり,発達心理学,人格心理学,社会心理学の学術資料の精選に関わるようになりました。1979年(第7版)には,エドワード・スミス教授が認知心理学に関する自身の専門知識を提供していただけることになりました。これらの執筆陣の絶え間ない努力によって,本書は「学問的に洗練され」「広い範囲を網羅し」「文章がわかりやすい」と高い評価を頂戴することになったのです(Pfeiffer,1980,p.119 )。
 1993年(第11版)には,スーザン・ノーレン・ホークセマ教授が健康心理学と臨床心理学の学術資料を改訂するために,執筆陣に加わることになりました。そして,本書ならびに心理学教育に対するアーネスト・ヒルガード教授の貢献に敬意を表するために,第12版の準備中に書名に名前が冠せられ,『ヒルガードの心理学(入門)』に変えられることが決められた次第であります。第12版の段階で,アメリカ合衆国の139大学が『ヒルガードの心理学(入門)』を教科書に指定し,英語版だけで毎年50万部を売り上げているとも言われております。そして第12版と第13版も,リタ・アトキンソン教授(カリフォルニア大学サンディエゴ校),リチャード・アトキンソン教授(カリフォルニア大学サンディエゴ校),エドワード・スミス教授(ミシガン大学),ダリル・ベム教授(コーネル大学),スーザン・ノーレン・ホークセマ教授(ミシガン大学)の執筆陣によって出版されました。わが国でもこの原書を教科書として採用している大学も少なくありませんが,日本語版『ヒルガードの心理学』は第13版が初めてであり,おかげさまで第13版の日本語版も好評で,教科書・参考書に指定していただいている大学・大学院も増えていると聞き及んでおります。
 結局,地球上には,英語,フランス語,ドイツ語,ヘブライ語,イタリア語,ポルトガル語,スペイン語,中国語,日本語の9カ国語の『ヒルガードの心理学』が存在することになります。公用語を含めてこれだけの言語圏を考慮すると,大変な部数になるものと思われます。
 売り上げ部数で言えばベストセラーであり,本書が半世紀にわたって丁寧に版を重ねていることで言えばロングセラーでもあります。本書が「世界最高の心理学のバイブル」といわれる所以も卓越した内容に尽きると思います。2001年にヒルガード教授はお亡くなりになりましたが,世界最高の心理学教科書の著書,ならびに世界的な学習心理学者としての偉業に対して,周囲から尊敬と感謝を捧げられての晩年だったと思います。
 2003年に出版された第14版は,リタ・アトキンソン教授とリチャード・アトキンソン教授の長年の功績に対して『ヒルガード(とアトキンソン)の心理学』と書名に名前が冠せられることになりました。執筆陣は,エドワード・スミス教授,ダリル・ベム教授,スーザン・ノーレン・ホークセマ教授の他に,バーバラ・L・フレデリックソン教授(ミシガン大学),ジェフリ・ロフタス教授(ワシントン大学),ステファン・マーレン教授(ミシガン大学)が新たに加わりました。この執筆陣は,生物心理学から人格心理学や社会心理学まで,ならびに正常発達から精神病理に至るまで非常に広範囲にわたる専門家たちから構成されており,全員が受賞歴のある研究者で,権威ある評価を与えられている研究者集団でもあります。
 そして今回の第15版では,スーザン・ノーレン・ホークセマ教授,バーバラ・フレデリックソン教授,ジェフ・ロフタス教授からなる旧執筆陣に,ヴィレム・ワーグナー教授(ライデン大学),クリステル・ルッツ講師(ユトレヒト大学),マーク・ライニッツ教授(ピュージェット・サウンド大学)が加わることで,文字どおり,執筆陣の国際化による世界的な教科書に拡張されております。このような『ヒルガードの心理学』第15版を日本の皆様に提供できることは望外の喜びでもあります。読者が本書によって心理学に親しみ,心理学を深め,心理学を介して社会に貢献していくことを願ってやみません。
 最後になりましたが,本書の訳者全員に感謝を申し上げます。株式会社金剛出版代表取締役立石正信氏,同編集部の中村奈々氏,高島徹也氏,石倉康次氏には,多大なご支援をいただきました。ここに記して深謝申し上げます。

2012 年2 月吉日
上越教育大学大学院臨床心理学教授
内田一成