はじめに

 薬物依存はメンタルヘルス支援の援助者のあいだで,いつも物議を醸す問題である。なにしろ,薬物依存者が「依存」している薬物の多くは,わが国の法令によって規制されているものであり,その薬物を使用すること自体が犯罪を構成する。だがその一方で,薬物依存は世界保健機関(WorldHealth Organization; WHO)によって認められた医学的障害でもあり,わが国においても,精神保健福祉法のなかにも精神障害の一つとして明記されている。薬物依存が持つこのような二面性が,援助者を戸惑わせ,悩ませる。「彼もしくは彼女らは犯罪者と病人の,一体どっちなのだ?」と。
 この「犯罪か,病気か」という問題は古くて新しい問題だ。かつて精神障害に罹患する者は,社会的規範の逸脱者として牢獄に幽閉されていた時代がった。彼らが障害を抱えた者と認識され,治療や援助の対象となるまでには,さまざまな紆余曲折が必要であったのは,周知の通りである。
 最もわかりやすい例を挙げれば,アルコール依存を考えてみればよい。かつてアルコールに酩酊して職業的もしくは社会的にトラブルを起こしたり,さまざまな医学的問題を呈したりする者は,不道徳かつ意志薄弱な人間として糾弾され,社会から疎外された時代があった。実際,20 世紀前半の米国では,14 年間にわたってアルコール飲料の製造・販売・輸送が法律によって禁じられた時代があった。しかし法規制によってもアルコール依存に罹患する者は後を絶たなかったことが,逆に多くの人たちに,この問題がれっきとした医学的障害であることを知らしめることとなったのだった。
 視点を薬物依存に転じてみよう。わが国の薬物関連問題の歴史で一貫して最も深刻なのは覚せい剤であるが,その覚せい剤の依存者の多くは,犯罪者として刑事施設内で処遇されているのが現実である。
 こうした覚せい剤取締法事犯者には二つの特徴がある。一つは,被害者がいないという点だ。あえて被害者をあげれば,本人自身,それからその家族であろう。もしも明白な被害者が存在するのであれば,応報的な意味での刑罰にも一定の意義はあるだろうが,被害者が「加害者(本人)とその家族」
である場合には,「応報」自体,意味をなさなくなる。
 もう一つは,再犯率がきわめて高く,同じ人間がくりかえし逮捕されている現実があるという点だ。このことは,薬物依存という医学的障害を懲罰によって改善しようとすることの限界を示している。つまり,薬物依存者に刑罰を加えることは,たとえるならば,寒中水泳や乾布摩擦で統合失調症やうつ病を治癒させようとする努力に似た愚かしさがある。もちろん,一般人に対する「見せしめ」による予防効果はあるだろうが,再犯防止という意味での効果は疑わしい。
 いや,そもそも,近年のわが国の薬物乱用状況は,「取り締まれない」薬物の乱用が年々深刻化していることを忘れてはならないだろう。そうした薬物の代表が精神科治療薬をはじめとするさまざまな医薬品だ。精神科治療薬を乱用し,依存している者の多くが,快感を求めてではなく,心身の苦痛を緩和する目的から医療機関からそうした薬物を入手している。たとえば何らかの規制によってこれらの薬物の供給を根絶したとしても,あらかじめ存在している苦痛が消えてなくなるわけではない。
 要するに,薬物依存者の治療や援助とは,単に「薬物をやめさせる」ことだけではないのだ。私たち援助者は,薬物依存者の多くが何らかの「痛み」を抱える一人の人間であるということを忘れてはならない。アルコールがそうであるように,覚せい剤にせよ,精神科治療薬にせよ,それを経験した者すべてが薬物依存に陥るわけではない。意外に知られていない,もしくは意図的に無視されていることだが,薬物依存者の多くが,孤立無援の状況で内なる「痛み」と格闘する過程で,薬物使用のコントロールを喪失している。このことは,薬物依存者の支援とは,「薬物をやめさせることの支援」ではなく,「『痛み』を抱えた個人の支援」であることを示唆している。
 
 長い前置きになってしまったが,まずは本書に通底する筆者の基本的な姿勢を述べさせていただいた。
 本書は決して薬物依存者支援の教科書ではないし,治療マニュアルでもガイドラインでもない。薬物依存者支援について,精神科医である筆者の個人
的関心にもとづくトピックを集めた,単なる著作集だ。しかしそれでも,医療機関や保健機関の援助者には,多少とも役立つ情報や考え方が含まれていると信じている。
 これまでのわが国の精神保健行政における薬物依存に対する取り組みを端的に表現すれば,それはいわば,きわめて古典的な意味での「感染症対策モデル」であった。つまり,「予防第一,万一感染したら隔離」という治療論不在の政策だ(その枠組みにもとづく予防啓発が,例の「ダメ。ゼッタイ」キャンペーンである)。その結果,わが国は,「取り締まり(薬物供給の根絶)」こそ世界最高水準にあるものの,「治療(薬物需要の低減)」はといえば,世界でも最底辺に近い,何ともお寒い状況となってしまった。
 今日,東アジアの一部の国々を除けば,「感染症対策モデル」で薬物依存者対策をしている国はかなりめずらしい部類に入り,先進国の多くは,薬物依存を「経過中,再発と寛解をくりかえす」という点で糖尿病や高血圧症のような生活習慣病になぞらえる,「慢性疾患モデル」を採用している。この枠組みは必然的に,再使用よりも治療やケアからの離脱を問題視する,という新しい支援モデルを生み出した。それは,糖尿病性腎症や脳血管障害を防ぐには,食事療法や運動療法,薬物療法を遵守できないコンプライアンス不良患者こそ,粘り強い治療やケアの対象とする支援の考え方だ。
 この「慢性疾患モデル」で考えてみれば,薬物依存者支援に関するさまざまな通説が,実は多なる迷信でしかなかったことに気づくであろう。たとえば,かつて精神科医のあいだでは,「覚せい剤依存者の処遇は,病院でするべきか,それとも刑務所でするべきか」といった議論を戦わされた時代があったが,こうした議論のばかばかしさも見えてくる。いまならば,こういいなおすべきだろう。「ちょうど糖尿病や高血圧がそうであるように,覚せい剤依存に罹患する者を見つけたら,そこが刑務所であれ,病院であれ,ただちに情報提供と介入を開始するべきであり,その者が病院から刑務所へ,あるいは刑務所から病院へと場所を移しても,その介入は継続される必要がある。しかし,最後に引き受けるのは,病院でも刑務所でもなく,地域であることを忘れてはならない。依存者本人が地域において一市民として,『生きていてよかった』と思えるような支援することが,最終的なゴールである」と。
 折に触れて筆者は,若い精神科医療関係者や精神保健の援助者に,「もしも援助者としての技能や臨床力を高めたいと考えているのであれば,迷わずに薬物依存者支援の世界に飛び込むのがよい」と伝えてきた。なぜなら,薬物依存はさまざまなメンタルヘルス問題と密接に関連している。実際,薬物依存者の半数くらいは,気分障害や統合失調症,あるいは摂食障害といった,他の精神医学的併存症を抱えており,幼少時期にさまざまな虐待やネグレクトの被害に遭遇した者も少なくなく,その結果として,解離症状やフラッシュバック,あるいは,パーソナリティの偏りを呈していることもある。また,本書の第16 章でも触れているように,薬物依存者は自殺リスクが非常に高い一群でもある。
 生活障害も深刻であり,しばしば濃厚な福祉的支援も必要となる。同じ依存でも,典型的な中高年のアルコール依存者の場合であれば,リハビリテーション(re-habilitation)の支援はさほどむずかしくない。彼らの多くは,学校を卒業した後,会社に就職し,結婚をして……といった適応的な社会生活のなかで飲酒問題を発展させ,深刻化させている。つまり,社会生活の経験は豊富であり,断酒さえすれば,かつての習慣を取り戻すこと(re-habit)は比較的容易だ。一方,薬物依存者の多くは,10 代の早くから社会不適応行動の一つとして薬物使用を開始し,司法的な処遇や精神科医療機関での治療を経て,30代前半でダルクのような民間回復施設や専門的な治療プログラムにたどりつく。彼らの多くは,役所で各種の手続きをする方法や相談機関への連絡方法,さらには地下鉄の乗り方も知らなかったりする。つまり,彼らには取り戻すべき習慣がなく,断薬後に新たに生き方を学び,習慣を獲得(habilitation)しなければならないのだ。
 しかし,筆者が若手に対してこの領域を推奨するのは,薬物依存者が医療的,保健的,そして福祉的支援対象の宝庫だから,といった理由だけからではない。本書で取り上げられている薬物依存とは一種の比喩なのだ。本書における薬物依存と書かれた部分を,他のメンタルヘルス問題――なかでも自傷行為や過食・嘔吐,あるいは窃盗癖といった,さまざまな「いただけない嗜癖行動」――に置き換えても,おそらく本書の記述はかなりの割合で通用するであろう。本書の題名において,「薬物依存」と「アディクション精神
医学」という言葉を並列した意図はそこにある。
 地域に渦巻いているメンタルヘルス問題はきわめて幅広いが,そのうち精神科医療機関で薬を処方してもらえば解決するような問題は,全体のごくわずかにすぎない。地域が苦慮しているのは,薬物療法に反応する症状などではなく,社会逸脱的で,衝動的もしくは強迫的で,しかも嗜癖的な行動なのである。こうした問題行動――そもそもメンタルヘルスの守備範囲なのか,司法機関の守備範囲なのかさえ判然としない――の多くは,説教や叱責,罰,あるいは「焼き入れ」などではどうにもならないからこそ,事例化してしまうのだ。
 このような問題と遭遇したときに,犯罪者と病人という二面性を持つ薬物依存者の支援で培われた臨床力は,間違いなく援助者の支えとなる。そして,本書に収載された17 の論文が,そのような援助実践において羅針盤として役立ったならば,筆者としてこれほどありがたい話はない。

松本俊彦