序にかえて

 本書はここ20 年くらいの間で私が専門誌,雑誌や単行本に書いたものの中から20 編ほどを選んでテーマ別にまとめたものである。原則,単著をという基準にしたため,研究論文集というよりは解説,総説的なものが多くなった。「論文集」あるいは「論考集」という表題にしなかったのはそのためである。
 第Ⅰ部は家族療法,第Ⅱ部は家族心理教育,第Ⅲ部は精神科リハビリテーション,第Ⅳ部は地域精神保健福祉,第Ⅴ部は災害とメンタルヘルス,という構成であるが,第Ⅴ部は当初予定にはなく,東日本大震災に関連して急遽2編を収録し,別の部としたものである。この第Ⅴ部の「新潟県中越地震における災害時精神保健医療対策」だけが本書で唯一共著である。快く収載をご承諾いただいた共著者の福島昇氏に改めて感謝する。
 私の著作以外に,伊藤順一郎氏,池淵恵美氏との対談を収録している。もしかしてこれが本書の目玉かもしれないが,お二人とも私の年若い友人であり,伊藤氏とは大学の頃からのつきあいで,池淵氏ともかれこれ20 年近くなる。家族心理教育,精神科リハビリテーションの世界で多くの活動を一緒にしてきている。この対談の収録は本書の計画の最初から考えていたことであり,改めて再録をご快諾いただいたお二人にお礼を申し上げる。
 第Ⅰ部から第Ⅳ部までの間に,「映画に見る家族」を入れた。これは私が日本家族研究・家族療法学会の学会誌である「家族療法研究」誌の編集委員長をしていたときに始めたコーナーで,現在も団士郎氏によって続いているが,私の書いた連載最初の3回分である。インターミッションあるいは箸休めとして読んでいただければ幸いであるが,一応テーマとしては連続している。
 本書の副題には「システム・家族・コミュニティを診る」とした。1983 年「日本家族研究・家族療法学会」が発足し,家族療法を学び始めてから,個人,家族,地域を見る視点としてのシステム論的認識法が有用であることを感じていて,今でも基本的にはものごとをシステムとしてみる見方はあまり変わってはいないと思う。
 ただ,現在では理論として現象を当てはめるのではなく,オルタナティヴな認識論のひとつとして必要な場合に複眼視的に使う,という点は最初の頃とはだいぶ違っているようではある。それに加えて,個人でも,家族でも,治療関係でも,地域精神保健システムでも,そこに「協働」という視点が強まっているとは思う。協働するためには,そのシステムとジョイニングし,リンクする必要があるわけで,どうも形式や題材,領域は違っても,「システムとしてみること・ジョイニングすること・協働すること」ということの必要性を繰り返して主張してきていたのではないか,と今回改めて単著としてまとめるに当たって,以前の文章も読み直しながら考えていた次第である。読者には申し訳ないが,金太郎飴みたいなもので,どこを切っても同じことをいっているように感じられて,退屈な繰り返しという感想にな
るかもしれない,などと危惧している。けれども,これもシステム論のアイソモルフィズム(isomorphism:異形同一性)の現れと解していただければ幸いである。
 私の臨床のスタートは1977年同和会千葉病院である。当時全開放病棟を目指し,地域精神医療を目指すとともに,病棟の開放だけでなく病院自体も地域に開かれた病院を目指していた。当時精神科医の何かの会のパンフレットを作成する役目になり,「その時代の最良の精神は最悪の問題に立ち向かう」というアラン(だったと思う)の言葉を引用したことがある。どの時代も何かに挑戦したいと思う青年たちは自分が最悪と思う問題を見出していくのだろう。自分が最良の精神とは思わなかったが,精神医療を「最悪の問題」と考えている「最良の精神」を思わせる先輩たち(大学の先輩だけでなく)が大勢いた。千葉病院時代は臨床だけに明け暮れていたといっても過言ではない。ものを書く余裕などはなかったが,実に多くのことを学んだ。この千葉病院の臨床の最後の頃に必要性を感じて家族療法を学び始めた。
 その後出身地の新潟県に戻り,国立療養所犀潟病院(現・国立病院機構さいがた病院)に1984年から勤務した。犀潟病院は異色の国立精神療養所で,デイケア,それから当時はまだ法定でなかった居住訓練施設のあるリハセンターを持ち,地域ケアに力を入れていた。そういう中で,犀潟病院での9年間でSST,家族心理教育などの実践,経験を積むことができ,さらに高齢者自殺対策で後に有名となった「松之山プロジェクト」に参加した。この経験は地域保健の重要性を改めて認識し,後の精神保健福祉センターや現在の新潟大学医学部保健学科へとつながる基礎となった意味で私にとっては重要である。
 1993年から8年間新潟県精神保健センター(後に新潟県精神保健福祉センター)で主として地域精神保健福祉の領域で活動したが,その間阪神淡路大震災,柏崎少女監禁事件に関連したひきこもりのクローズアップ,精神保健福祉法への改正など精神保健に関する大きなトピックや変化があった。ちょうど全国センター長会副会長をしていたこともあり,2000年の精神保健福祉法一部改正に際しては委員も務めた。1997年に発起人のひとりとして「日本心理教育・家族教室ネットワーク」を設立し,現在まで代表幹事をしている。精神科リハビリテーションに関連しては,1995年「日本SST 普及協会」,「日本精神障害者リハビリテーション学会」の設立に加わり,今でも主たる活動領域のひとつとなっている。
 2001年からは現職の新潟大学医学部保健学科にて看護師,保健師を目指す学生を相手にしている。ながながと経歴を書いてきたのは,本書の章立てについて理解していただくためである。各部においては基本的には初出年代順に配置したが,一部は共通するテーマで並べて配置したり,また第W部の最初「地域介入による自殺対策」のようにふたつをひとつに構成しなおした部分もある。
 現在私は,外来診療のときは一介の精神科医であり,ときには家族療法家として,またときには家族心理教育インストラクター,SST 普及協会認定講師として研修を行ったり,プログラムを実施したりしている。また今回その関連は収録できなかったが,地域精神保健の重要な領域である産業保健領域でメンタルヘルス産業医としての活動もある。ときに自分の専門はいったい何か,というアイデンティティの危機を感ずるときもあるが,実は隠れた自己規定として,構造(個人の心と体,家族,治療構造,いろいろな機関など)の調整とネットワークの専門家,と考えている部分もある。
 これまでお世話になった方々全ての人のお名前を書くことはできないが,医学部卒業時の精神科教授佐藤壱三先生(私たちの学年が卒業第1 期生であった),元・千葉病院院長仙波恒夫先生,同じく副院長計見一雄先生,犀潟病院在職当時院長でおられた林茂信先生,そして学位論文でお世話になり,現在も「SST 普及協会」やほかの研究会でも多くのご指導をいただいている福岡大学名誉教授西園昌久先生,の大先輩方には,仕事の上でも個人的にも大変お世話になり,かつ多くのことを学ばせていただいた。家族療法に関しては鈴木浩二先生,故・下坂幸三先生にお世話になった。今の私があるのは,いくつかの人生の節目でこのような先達に恵まれたからだと心から思っている。改めて紙面を借りて感謝を申し上げたい。
 本書の表記についてであるが,原文の「精神分裂病」は,文献タイトルを除いて「統合失調症」に,保健婦,看護婦は保健師,看護師に統一した。精神保健福祉士とPSWは文脈によって使い分けており混在している。それ以外は極力原文表記を残したが,機関名,地名などは旧名と現在名併記か,もしくはわかりやすい方を選択した。
 各部に簡単な解題をつけ,この「序にかえて」で書き足りなかった部分を付け加えたので参考にしていただければと思っている。