あとがき

 前作『やさしいベイトソン』(金剛出版2008)に続いて、不完全ながら、読者のみなさんにベイトソンを読んでいただけることが大変うれしい。この本は、前回同様、ベイトソンのことをより深く知るための、ぼくのいわば「ベイトソン勉強帖」である。同時にまたタイトルの通り、みんなでベイトソンを語る豊かな場にするため、いろんな方々に登場していただいた。レイモンド・チャンドラーの小説の主人公、私立探偵フィリップ・マーロウ氏。サンフランシスコ禅センター初代住職、鈴木俊隆老師、グレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミード夫妻の愛娘、メアリー・キャサリン・ベイトソン(教授)など。それらの人々とぼくとの架空の対話を書かせていただいた。まず、深くお礼を申し上げたい。
 今回の『みんなのベイトソン』は変わったプロセスをもってできあがった。「間奏曲」も含め二五話で構成された本書は、一話ずつ書き終わるやすぐに金剛出版編集部の藤井裕二さんに送られた。そして、送られた一話の感想をもらうと、それを参考にしてまたすぐ次の一話に取りかかるという具合だ。ぼくのなかの対話が画面上でかたちになり、その対話を読んだ藤井さんとの対話が、次の話の下敷きになった。そして新たな対話が組まれていった。
 編集の藤井裕二さんには、そのようなわけで、怠け者の著者と辛抱強くつきあっていただきエスプリに富んだコメントをたくさんいただいた。配慮の行き届いた編集作業とあわせて、こころよりお礼を申し上げたい―この本の作成に大きく貢献したひとりとして。
 この本は対話の連続である。一話二話ずつ間をおいて読んでいただけたらと思う。一つのことを早くわかってしまう必要はない―科学の本はそうかもしれないが、小説がそうではないように。
 「わかろう」とする構えを少し和らげて、「あそぼう」という気持ちを少し高めて―そうすれば必ず読者のみなさん一人ひとりのなかにこれまでにはない新たな対話が生まれることと思う。
 問いに答えていく作業ばかりが科学ではないだろう。問いを生んでいく作業も社会科学の真骨頂だとぼくは思う。そして、ベイトソンは、けっきょく、あなたのなかに自分らしい問いかけ.と答え.はあるよ、と教えている。そう思ってぼくは不肖の弟子ながら三〇年間ベイトソンを読み続けてきた。
 ベイトソンはよくわからない、難しすぎる、という人がよくいる。簡単だとはぼくも言わないけれど、それは主に読みの角度のような気もする。そんなときは、論文としてではなく散文や小説を読むように読んでみたらいい。ベイトソンはかならずしも物事の本質として、あるいは構造や真理の骨組みとして、高雅な公理として読む必要はない。ベイトソンは多分に「表情」なのである(青木利樹氏の教示による)。表情であれば、読み方は読み手にまかされる。そこのところの自由度は、ベイトソンの場合はたいへん大きいと思う。二〇世紀の古典『精神の生態学』が、名訳であるにもかかわらず、本棚で埃をかぶったままにならないためにも。
 一方、先端科学へのベイトソンの応用も無視できない側面だろう。最近話題を集めている脳科学や認知科学は、ベイトソンがその輪郭を描いた精神(マインド)とそのありか.から有益な示唆を多く得るにちがいない。コミュニケーション、サイバネティクス、情報理論という盤石な科学のモデルに立った認識論は他分野のコーナーストーン(礎石)になる可能性をじゅうぶん秘めている。
 さいごになるが、本文中の引用を許していただいた「じろうくん(仮名)のお母さん」、この場を借りてお礼を申し上げます。そのほかにもこの本の作成には多くの方から関心とともに、助言、示唆をいただいた。ここにあらためて深く感謝の意を表しておきたい。

二〇一二年三月一一日、東日本大震災から一年の日に
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