序 「やる気の心理学」への招待


1 やる気―われわれの願いと悩み


 「やる気」は、われわれが最も関心を寄せる心理現象の一つであるに違いない。おそらくその理由は、やる気がわれわれの日常的な体験と密接に結びついているという点にある。「やる気が出る/出ない」は生活の質を左右する重要なファクターであるし、「やる気がある人/ない人」というように、やる気は他者を評価するバロメーターにもなっている。また、仲間のやる気に感化されて自らも意欲的になるとか、同僚のあまりのやる気のなさに絶望して自分の熱意も失せるというように、やる気は他者との関わり合いによって生じる社会的な現象でもあるのだ。ちなみに辞書によれば、やる気(遣る気)とは「物事を積極的に進めようとする気持」(『広辞苑(第六版)』)だという。なるほど、やる気は現代のわれわれの関心事であるはずだ。われわれはまさに「物事を積極的に進めようとする気持」と向き合わざるをえない時代に生きているからである。たとえば、「やらなければならないのだが気が乗らない仕事」に対して積極的に取り組もうとする
気持ちになれば、どんなによいだろうと思うことがあるだろう。指示したことしかやらない部下がもっと能動的に仕事に取り組むようにするにはどうすればよいのかと悩んでいる上司も多いのではなかろうか。このようにわれわれの理想と現実、すなわち「かくありたい」という願いや「どうすればよいのか」という悩みに直結する用語だからこそ、われわれの切実な関心が「やる気」に注がれる。
 心理学ではこのやる気についてモティベーション(動機づけ)の問題としてとらえ、理論的な解明を進めてきた。モティベーションとは、行動が生起し、維持され、方向づけられるプロセス全般を意味する。たとえば、レポートを書くという行為であれば、その準備も含めて取り組みはじめる(生起)、そして調べたり、考えたりしながら書きつづける(維持)プロセスの全体を指し、そこには図や表を加えたり、文章表現を吟味したりといった行為の調整(方向づけ)が含まれている。このようなモティベーションを支えているのが、積極的にレポートを書き進めようとする気持ち、すなわち「やる気」であることは容易に想像できるだろう。
 ただ厄介なことに、やる気という心理現象はそれほどシンプルではない。雑誌の特集などで喧伝されるような「やる気を高めるための法則」は一面の真理であることも多いが、その通り実行したとしても期待はずれのことも多い。たとえば、「やればできる」と信じることが大事だとよくいわれるが、たとえ「やればできる」と心の中で何百回念じたとしても、やる気が高まるとは限らない。
 たしかに意欲的な人には「やればできる」と考える傾向がある。しかし、だからといってそれを表面的に真似しても根本的な問題解決には至らないのである。むしろ、ハウ・ツーに飛びつくよりも、やる気をめぐる心理的、環境的要因をきちんと理解することのほうが一見迂遠のように見えて、はるかに生産的なのではないだろうか。やる気とは一般に思われている以上に複雑で微妙な心理現象であり、容易にコントロールできるものではないからである。
 以下では、やる気を理解するための第一ステップとして、なぜやる気という心理現象が複雑なのかという点について考えてみよう。

2 やる気の量と質


 われわれにはやる気を「量」の問題ととらえて単純化する傾向がある。たとえば、セールスマンのやる気は、何軒の家を訪問したかといった数字に表れると考えがちである。たしかにそれもやる気の指標の一つに違いないのだが、やる気という心理現象を十分に理解するためにはその「量」だけではなく「質」にも注目しなければならない。
 セールスマンの気持ちには当然個人差があるだろう。営業成績を上げることに一生懸命なAさんが「とにかく商品を売りつけて稼ごう」と考える一方で、自社の製品を心から愛するBさんは「商品それぞれの良さをまずは理解してもらいたい」と考えていたとしよう。結果的にたくさんの家を訪問したAさんが、一軒一軒丁寧に説明して回ったために数軒しか訪問できなかったBさんに比べてやる気があると果たしていえるだろうか。むしろ、われわれが着目すべき点は一人ひとりのモティベーションの背後に潜む「意味」、すなわち、やる気の「質」なのではないだろうか。なぜなら、やる気の質こそがパフォーマンスの質を規定するからだ。短期的にはAさんの営業成績がBさんを凌ぐかもしれないが、中長期的には、顧客から信頼されることによってBさんの営業成績のほうが高まり、しかも安定する可能性さえあるのである。
 たしかにやる気の質は量に比べて見えにくいのだが、モティベーション心理学は、やる気の質的側面を可視化するヒントを与えてくれている。まずは、(1)「何をしようとしているか」という側面(実際に当人がいかなる場面で具体的にどのように振る舞おうとしているか)に着目することである。そのうえで(2)「何をしたいのか」という側面(当人が何を欲し、実現したいと心から願っているか)や、(3)「何をすべきと感じているか」という側面(当人が何に対して意義や価値を認識し、義務や責任感を感じているか)、そして(4)「何ができると思っているか」という側面(当人が具体的にどのような行為や成果を実現できると信じているか)についてそれぞれ理解しようとすることが役に立つ。前述の例でいえば、Aさんが一軒でも多く家を回ろうとしたのは、給料を稼ぎたいと思って営業成績を重視し、自信満々だったからだし、Bさんが一軒一軒丁寧に訪問したのは、商品の良さを一人でも多くの人に理解してほしいと心から願って、セールスの仕事に意義を感じ、地道に努力すれば成功すると信じていたからである。一人ひとりのやる気の質に迫っていくには、少なくとも以上の四側面に関する意味内容についてこのように統合的に理解していくことが大切である。

3 モティベーションのダイナミズム


 やる気の複雑さは、その「とらえどころのなさ」にも原因がある。たとえば、やる気が本質的に「ある子」と「ない子」がいるとわれわれは単純に考えがちである。たしかに、授業中、ぼんやりしていることが多い子どもといつも真剣な表情で集中している子どもとを比較すると、やる気は一人ひとりの安定した特性(パーソナリティの一側面)であるように思えてくる。しかし、つねにすべての教科のすべての内容に対してやる気が高い、あるいは低い人がいるとは思えない。体育の時間に活き活きしている子どもが、国語の時間には全くやる気を見せないといったことはよくあるし、同じ体育の時間であっても、球技のときは意欲的でも、器械体操や水泳の時間にはトーンダウンしがちだという子どももいるだろう。このように同一人物であっても活動の領域や内容によってやる気には濃淡が生じているのである。さらに、われわれ自身の体験を振り返ればすぐにわかるように、やる気は個人内のファクターの単なる反映というよりも、状況に依存する不安定な現象でもある。授業が退屈で睡魔におそわれていたところ、突然始まった先生の雑談に興味を引かれ眠気が吹っ飛ぶといった体験はないだろうか。やる気には、環境の変化に即応して変動する「波」のような性質があるのである。
 以上のことからわかるように、やる気には少なくとも三つの水準がある(鹿毛2004)。第一に「パーソナリティレベルの意欲」である。「何事に対しても興味が旺盛なCさん」というように、状況や活動領域を超えたその人独自の比較的安定したやる気のレベルが存在する。第二に「領域・内容レベルの意欲」である。同一人物であっても課題や活動の内容や領域によってやる気の様相が異なる。第三に「心理状態レベルの意欲」である。一人ひとりのやる気はその場その時の状況に依存して現在進行形で生み出されていく。しかも、これらの三つの水準は相互に関連しあっているから複雑だ。たとえば、何事にも引っ込み思案なDさん(パーソナリティレベル)が、苦手なプレゼンテーションの場面(領域・内容レベル)で、最初は表情が硬く何度も言い間違えがあった(心理状態レベル@)ものの、途中から聴衆の意外なまでのフレンドリーな態度に助けられてリラックスでき(心理状態レベルA)、全体としてまずまずの発表ができたというように、やる気の三水準はわれわれの具体的な体験をダイナミックに規定しているのである。

4 モティベーションのメカニズム


 モティベーションを左右する主要なファクターとして以下の四つがあることを心理学は明らかにしてきた(鹿毛2004)。
 第一に「欲求」である。「食欲」があるから料理をするというように、行動を引き起こし方向づけていく心理的要因として位置づけられるのが欲求(need)である。心理学では、食欲のような「生理的欲求」のみならず、マズロー(Maslow, A.H.)によって提唱された自己実現欲求(自分が潜在的にもっている可能性を実現したい)をはじめ、達成欲求(困難なことを成し遂げたい)、自尊欲求(肯定的な自己イメージを確立・維持したい)などの「心理的欲求」が想定され、人間のモティベーションに関する統合的な説明が試みられている(近年の代表的な欲求論である自己決定理論については第2章参照)。
 第二に「感情」である。感情には、怒り、喜び、嫌悪といった短期的で強い「情動」(emotion)や、「憂うつな気持ち」のように比較的弱く長続きする「気分」(mood)が含まれるが、これらの感情がわれわれのモティベーションの量と質を左右していることは明らかだろう。一番シンプルな原理は、快−不快という感情の次元であろう。われわれは快を感じる対象に接近する一方で、不快を感じる事象を回避する(第3章)。また、たとえば怒りは攻撃的な行動を動機づけるだろうし、不安は引っ込み思案な気持ちを高める一方で、用意周到に準備する心構えを促すかもしれない(第8章)。そのほかにも近年、興味(第1章)やフロー(第6章)といったポジティブ感情にも注目が集まっている。
 第三に「認知」である。当人の意識や信念といった認知変数がモティベーションを規定するという考え方だ(第7・10・11章など参照)。たとえば、行為やその結果にいかなる意味や意義を見出しているのかという要因が価値(value)である。われわれは何らかの価値を認知しているからこそ、やる気になるというのである(第7章など参照)。また、「やればできる」と思っているかなど、成功する見通しに関する認知は期待(expectation)と総称されている(第9章など参照)。実際に成功すると思っていればやる気になる一方、失敗するに決まっていると思っていればやる気にならないだろう。また、近年では、非意識的な認知プロセスがモティベーションに及ぼす影響にも注目が集まっている(第5章)。
 以上の三つは個人内の要因であるが、これらの要因を規定する第四の要因が「環境」である。たとえば、上司や教師が部下や子どもたちのやる気を左右することは想像に難くない。他者との関わりはやる気を左右する重要な要因なのである(第4章)。このような人的環境だけではなく、非人的環境、すなわち報酬システム、達成すべき課題の種類、社会規範といった社会・文化的条件や、机の配置、部屋の明るさといった物的環境も、当然、われわれのモティベーションに大きな影響を及ぼしている。

5 モティベーション心理学への招待


 やる気という心理現象が複雑であるからこそ、複数の角度から多様な光を当てることによって、その全体像を浮き彫りにする必要がある。そこにモティベーション心理学の理論的役割がある。モティベーションの理論はその一つひとつがユニークな光であり、やる気についてのわれわれの理解は、それらに照らされてこそ深められていくのである(第12章)。
 本書にはやる気に関する12のユニークな理論が紹介されている。それぞれの執筆者は各理論に精通したモティベーション心理学者たちである。各章は独立しているので、どこからでも興味の赴くままに読みはじめていただいてかまわない。
 本書を通じて、モティベーションについて少しでも多くの人たちの興味や理解が深まれば幸いである。そしてその過程が読者諸氏のやる気をめぐる願いの実現や悩みの解決に少しでも寄与するなら、これ以上の喜びはない。

文献 鹿毛雅治2004「「動機づけ研究」へのいざない」上淵 寿(編著)『動機づけ研究の最前線』北大路書房