序文


 イドの治療を施すことは困難であると同時に必要不可欠であることをわれわれは把握していたのです。以上より,われわれは実証的データに裏打ちされ,臨床的に有用な治療法を発展させることをプログラムの目標としました。
 本書はわれわれのグループによる成人期のADHDに対する統合治療アプローチの要約といえます。この本の中で,われわれ自身の研究結果や臨床経験に加えて成人期のADHDをより深く洞察することを目指した先行研究の結果や臨床的介入法,臨床的経験の中で培われた貴重な意見を紹介していきたいと思っています。成人期のADHDを対象とする臨床家や研究者による論文等の出版物,学会などの公式な場での発表,議論や書簡・メールを通じての意見のやりとり,われわれのプログラムへのフィードバック,そして本書が出来上がるまでのサポートに対してわれわれは感謝を捧げます。とはいうものの本書の記述に関する責任の一切はわれわれが負うつもりです。
 本書が多くの読者にとって有益なものとなることを願います。本書が成人期のADHDの構造化治療のガイドラインを求めている精神保健にかかわる専門家にとって理解しやすい資料となることを第一の目標としました。さらにわれわれは本書が精神保健にたずさわる臨床家がトレーニングを受ける過程で有益なものになってほしいと願います。卒業後あるいは医学生の間の臨床研修の期間に成人期のADHD の診断と治療に触れる機会はほとんどないので,本書を医学生,臨床研修の担当者やスーパーバイザーが臨床トレーニングの隙間を埋めるための資料として使用していただきたいです。最後に,本書が成人期のADHDの臨床研究に従事する専門家にとって有益となることを願います。成人期のADHDの科学的根拠に基づいた治療アプローチを本書で提示しようとわれわれは試みていますが,現行の治療を改良するためにはさらなる研究と,いうまでもなくADHDの神経心理学的機能と日常生活上の体験をより深く理解することが必要なのは明らかです。もしも少壮の研究者が本書を読んで,未だに実証されていない問いを立てて,その答えをみつけるべく研究に乗り出すようなことがあったら,われわれは自分たちの努力が報われたと感じることでしょう。
 本書の最初の章では,成人期のADHDの症状,頻度の高い併存障害,DSM-IVやICD-10といった操作的な診断基準には含まれないが日常生活上よくみられる問題,有病率,現在の科学的データとADHDの成因に関する理論について述べています。これらの情報は成人期のADHDの生活体験を理解し,患者に治療教育を提供する際に重要となることでしょう。さらに成人期のADHDの包括的な診断評価に必要な構成要素について概観してこの章を締めくくることとします。ADHDの症状を抱えながら,成人になるまで診断されずにきた人も多いでしょうから,正確に診断すること自体がすでに治療的介入の第一歩となります。というのもADHDであることが正確に診断されれば,当事者の中で劇的な視点の転換が生じるからです。具体的にいうと,これまで自分が苦闘してきた困難が自分の性格の弱さや愚かさに起因するのではなく,確立された神経生物学的障害が原因になっていると知ることで自責感から解放されるのです。さて正確な診断がなされた後は,どのようにして成人期のADHDの抱える困難さを軽減するのをサポートできるかということが焦点となります。
 第2章ではこれに呼応して成人期のADHDでよく用いられる治療戦略の記述が中心となります。最初に併存障害と薬物コンプライアンスに顧慮しつつ薬物療法をシステマティックに記述します。加えて,成人期のADHDを理解し治療していく上での認知行動療法(CBT)の枠組みについて簡単に述べます。最後に,薬物療法とCBTを併用した治療法の流れについて概観します。ここでは約6カ月にわたる20セッションのモデルの中で使用される特有な認知的,行動的,社会スキルに基礎を置く介入についても紹介しています。この治療期間の枠組みに適合する患者もいれば,これより少ないセッションで十分な患者,あるいはより以上のセッションが必要となる患者がいることは承知のうえです。あくまでこの枠組みは治療を開始する上で有用な目安であり,治療の過程で逐次,試行錯誤していくものなのです。
 第3章では第2章で紹介した薬物療法と心理社会的治療が科学的根拠に基づいているかどうかを検証し,現在までの研究成果の限界について検討しています。とりわけ成人期のADHDに対する心理社会的治療に関する研究は非常に少ないのが現状です。本書の出版の時点でわずかに9つの治療結果に関する論文があるだけであり,さらなる研究が必要です。成人期のADHDへの薬物療法はこれに対して比較的研究が進んでいるといえます。しかしながら,成人期のADHDにつきものの高い併存障害率と複雑な薬物投与量の問題がこれらの研究の解釈を困難にしています。さらには,薬物療法が,診断の際に使用される症状群,つまり不注意,多動,衝動性,以外の点でどのような効果があるのかについての報告はほとんどありません。これは成人期のADHDの日常生活上の困難な面に対処する戦略を見出すという観点からすると問題といえるでしょう。注意の時間や集中力が改善したからといって必ずしも,課題をするのを締め切り直前まで先延ばしすることを繰り返す,といった日常生活上の機能面が改善するかどうかは定かではないからです。
 第4章では症例提示が中心となります。ここでは臨床の現場で出会う患者がしばしば直面している問題,患者評価の手順,統合治療アプローチが具体的にどのようになされるかについて記述します。例示されたケースではCBTセッションにおける会話の断片を挿入して,どのように前章で述べた介入を実行に移すのかをわかりやすく提示しました。同様に,薬物療法中にしばしば生じる問題にどう対処するかについても症例提示の中で触れています。
 第5章では成人期のADHDの治療経過で生じる治療に悪影響を与え得る要因について概観します。ここでは,ADHDの症状がどのような形で治療を継続していく上での妨げとなるか(たとえば,予約を忘れて診察にこない,ホームワークをきちんとやってこない),医師の指示から逸脱した薬物の自己流の服用(必要な薬物量を使用しない,逆に指示された以上の薬物を服用するという両極の問題が生じうる),アルコール・薬物依存を含む併存障害への対策,失敗することと拒絶されることに対する患者の過剰なまでの怖れにどう対処するか,治療に非現実的なまでの劇的な効果を期待する患者への対応,治療同盟をどのように保っていくか(治療者のよく陥る過ちも含む)などの話題について論じます。
 第6章と最終章では治療終結後の再発の予防と患者がいったん身につけた効果的な対処スキルを維持するのをどのようにサポートするかについて取り組んでいます。ここでは,CBTの最終目標は患者が治療者をもはや必要としなくなり自己治療ができるようになる状態であることを明らかにしています。対処スキルを治療者の援助なしに発揮でき,ADHDの症状が日常生活上の妨げとならないようにライフスタイルを変え,必要な時にはブースター・セッションなどの援助を求めることができるようになればこの目標は達成されるでしょう。さらには薬物の長期間の使用中に生じてくるさまざまな問題をどのように扱うかについても触れています。
 巻末の付録では推薦に値するセルフヘルプ本やインターネットのサイトなどの患者が利用できるリソースを参考にしやすいように簡潔にまとめてあります。それに続く3つの表では,(1)成人期のADHDへの典型的なCBTセッションの骨子,(2)20セッションにわたるCBT,(3)一般的に処方される薬物とその使用量および副作用,について概観します。
 ADHDはきわめて複雑な障害といえます。日常生活上の平凡な些事がADHDを抱える人にとっては乗り越えられない壁として目の前に立ちはだかっているように思われることがあり,その結果として多くの人が自分の潜在能力を発揮できていない,あるいは自分は人生の敗北者であると感じています。このような患者を臨床家がサポートしようとしても,ADHDという障害の幾重にも折り重なった複雑さを有する特性により,スタンダードな薬物療法的あるいは精神療法的アプローチを確立するのが困難となっています。成人期のADHDの治療にたずさわる臨床家が,患者の症状の理解を深め,より効果的な治療プランをたて,患者が最終目標に到達するのをサポートしていく過程で本書が有益であることを願います。その結果として本書が学生,指導者,臨床家,そしてこれが最も重要なのですがADHDを抱えつつ生活している成人への一助となることを願ってやみません。