監訳者あとがき


 2009年にニューヨークで行われた第57回アメリカ児童青年期精神医学会のシンポジウム『成人期のADHDにおける診断および治療上の課題』で司会を務めたマギル大学のLily Hechtmanは「一昔前,成人期のADHDについて人々は非常に懐疑的な態度をとっていましたが,現在では一般に認知され,多くの人々がどのようにこの障害を診断し治療するかを知りたがっています」と冒頭で述べました。ニューヨーク大学のRachel KleinやMary Solanto,ブリティッシュ・コロンビア大学のMargaret Weissなど成人期のADHDの診断・治療において錚々たるメンバーが集ったこのシンポジウムで最後に指定討論者として指名されたのが本書の著者の一人であるペンシルバニア大学のAnthony Rostainです。
 「まさかADHDセンター立ち上げの当時から関わっている患者を20年後の今も診ることになるとは想像だにしませんでした。……(中略)……ADHDなどの発達障害に関わるわれわれは生涯発達神経精神科医(lifelong neurodevelopmental psychiatrist)といえるでしょう」と同シンポジウムで宣言して聴衆の喝采を浴びたRostainはペンシルバニア大学の精神科の教授でレジデントの教育係も務めており超がつくほど多忙な身です。フィラデルフィア留学中に幸運にも私はRostainと何度か面会し,診察の見学をする機会に恵まれました。私が彼に斯く斯く然々の研究をしたいと相談するたびに「それなら,この論文は知っていた方がいい」とたちどころに的確なアドバイスをくれる非常に学識豊かな研究者であり,加えて,人なつこい笑顔をもち,患者とのラポール作りも巧みであり,精神療法に造詣が深いすぐれた臨床家でもあります。小児科,精神科,および児童精神科の専門医(トリプル・ボード)でもあり,彼ほど成人期の発達障害の臨床・研究にうってつけの人はいないといえるでしょう。
 Rostain のよきパートナーであるRussell Ramsayは臨床心理士でペンシルバニア大学精神科の准教授です。ジョーク好きで,サッカーをこよなく愛することは著者のあとがきからもうかがい知れるところでしょう。昨夏フィラデルフィアを訪れ再会した時の第一声が“なでしこジャパン”のワールドカップ優勝への「おめでとう。日本はつよかった」でした。おそらくテレビを食い入るように観ながらアメリカ・チームを応援していたのは間違いないところです。このような彼のスポーツマンシップはサッカーにとどまらずあらゆる面で垣間みることができます。いわゆるCBTセラピストと彼を呼んでいいのかもしれませんが,自閉症スペクトラムに関する精神療法に関する論文を書いたり,成人期のADHDに対する非薬物療法の総説的な本を著したりと,その守備範囲はCBTにとどまらず心理社会的なアプローチ全体に及んでいます。
 このような理想的なコンビの著した本書では,この二人の共著という性格を活かして,副題や章立てからも分かるように成人期のADHDへの精神医学(診断,薬物療法)および心理社会的(CBT)統合アプローチが展開されています。成人期のADHDのCBTというとSteven Safrenと最近出版されたMary Solantoによる著作が代表的なものといえるでしょう。これらはセッション毎のマニュアルがあってセッションの構成がイメージしやすく使い勝手が非常によいのですが,残念ながら本書にはそのような記載がありません。しかし,コーチング的な要素以外の“狭義の”CBTについては詳細な記述があり,ケースの描写も豊富なところが本書の最大の特徴といえるでしょう。
 冒頭のHechtmanの発言に比して,まだまだ日本では社会においてのみならず医療・心理・福祉・教育の関係者のあいだですら成人期のADHDの認知が進んだとは言い難く,当然の帰結として援助の体制も整っていない状況です。本書が日本にも相当数存在すると思われるADHDの症状で苦しんでいる成人への支援の一助となることを切に望みます。
 フィラデルフィア留学中にお世話になり,著者たちと知り合う機会をつくってくれたペンシルバニア大学ADHDセンターのJosephine Eliaとドレクセル大学児童精神科教授Paul Ambrosini夫妻に感謝します。著者たちを直接知っていることで,翻訳の作業も大変楽になりました。フィラデルフィア・オステオパシー医科大学の鈴木貴子先生を通じて,北海道医療大学の坂野雄二先生および金澤潤一郎先生を翻訳のパートナーとして紹介頂いたのは幸運でした(ちなみにこの二人が中心となって前述のSafrenの著作が翻訳されております)。坂野先生については日本のCBTの第一人者であり,この本を手に取るような方に私が何か申す必要はないと思います。本書では特にCBTに関する部分の訳で貴重なご指摘を数々いただきました。金澤先生は修士課程の頃から成人期のADHDのCBTに集中してこられ,同テーマで学術振興会の研究も行ってきたCBT界のホープといえる方です。2004年に神戸で開催された国際CBT学会でRamsay&Rostainのコンビによる『成人期のADHDのCBT』の教育講演にも参加するなど積極的に内外の学会に参加・発表をされている方で,キャリアの年数の割には十分な学術的および臨床的な経験・能力を有しており,本書の翻訳を通じて研究と臨床においてバランスのとれた若い才能と“協働”できたことは嬉しい限りです。
 博士論文の指導教官であった東京大学医学部精神神経科の前教授加藤進昌先生(現昭和大学教授)や論文作成の際にアドバイスをいただいた現教授の笠井清登先生に感謝します。また東京大学医学部保健学科名誉教授の栗田廣先生には私の最初の論文から大変お世話になりました。これらの論文作成の過程を通して学問の厳しさにふれ,ひいては英語の論文をきっちりと訳し,自分で書くことができる能力を鍛えていただきました。本書により少しでもお世話になった先生達の学恩に応えられたらと願っています。
 龍谷大学心理臨床センター長の吉川悟先生をはじめとした龍谷大学文学部臨床心理学科の教官の方々,および龍谷大学保健管理センター所長の須賀英道先生,さらに最初の読者となって草稿に目を通してくれた大学院生の吉田愛理さんら龍谷大学の学生たちに感謝します。2年前に教官に就任してから,龍谷大学の方たちからは非常に有益な刺激を受け続けています。
 編集者としてかかわっていただいた金剛出版の中村さんには辛抱強く原稿が仕上がるのを待って頂きました。翻訳作業がもたついているうちに編集者が何度も入れ替わってしまい,申し送りが大変だったと想像します。ここに改めてお礼申し上げます。
 この場をかりて私をいつも支えてくれている家族に感謝します。私には周りを顧慮せずにその場の勢いであらぬ方向に突っ走ってしまう性向があるため家族には迷惑のかけっぱなしです。どうしても翻訳作業はプライベートな時間に食い込むことも多く,家族団らんの時間を犠牲にしてしまうこともありました。
 最後に私の決断をいつも後押ししてくれた両親に感謝の念を捧げます。

2012年4月5日 朝日に輝く琵琶湖畔にて
監訳者 武田俊信