訳者あとがき

 はじめに私がなぜショーン・シアの本書(原題 The Practical Art of Suicide Assessment: A Guide for Mental Professional and Substance Abuse Counselors)を日本に紹介しようと考えたか,その経緯からお話ししたいと思います。私は2007年にグリーフ・カウンセリング・センターを設立し,それ以来,留学先カナダのKing’s University Collegeにて履修したグリーフ学およびグリーフ・カウンセリングの普及活動に努めてきました。
 この大学は死生学の専門課程で世界的に知られ,総責任者,ジョン・モーガン教授は北米における死生学の先駆者と言われていました。毎年King’sでは死生学の国際学会が開催され,世界各国からこの道の権威が集合していました。私は2年間,モーガン教授に師事し,特にビリーブメントおよびグリーフ学の研鑽を積みました。
 King’sの専門課程において「自殺学」は必須科目の一つでした。ここで私は初めて「自殺学」に触れたのです。受講生は卒業後,グリーフ・カウンセラーを志すものも多いため,自殺に関する正しい見識をもち,偏見や誤解を払拭させるように指導されました。自殺願望を抱くクライエントに違和感や不安感なく対処できるようにと言うKing’sの教育目的があり,自殺学の専門家,ブルース・コンネル教授が担当していました。
 自殺についての神話その一,「本気で自殺を考えている人に『死にたいのか』と尋ねることでかえって自殺をそそのかす,などという考えは誤解,相手はむしろその質問を待っている」とコンネル先生に教えられ目から鱗でした。本書においてシアも,臨床家が面接に臨む姿勢の第一にその点を上げ,誤解や偏見が自殺念慮を引き出すための一大障壁になると言います。
 さて近年,日本でのグリーフ学やグリーフケアに対する一般の認識がようやく高まってきたと感じていますが,その一つのきっかけとなったのは,他ならぬ「自死遺族のケア」でしょう。自殺予防対策が国家の急務となって久しくなりますが,自殺要因の究明には,自死・自殺のサバイバーの追跡調査や協力が不可欠となり,同時に彼らのグリーフケアが重要であると認識されるようになったと思います。自殺に関してようやく「prevention」「intervention」「postvention」がトリプルセットとして取り組まれるようになったわけです。グリーフケアに携わるものとしては,きっかけは何であれ,グリーフケアがようやく市民権を得たという意味で歓迎すべきことでした。
 また臨床の現場に自殺のサバイバーが来談されることもあり,彼らの苦悩が測り知れないということを思い知りました。中には来談者自身が「後追い」を考えるとか,うつ病やパニック障害を発症するとか,そうした深刻なケースも珍しくありません。身内の自死さえなければ,健全かつ順等な人生を約束されていたはずの人々が,すっかり人生を狂わされてしまう。自殺のインパクトがいかに大であるか直視して来ました。
 こうした状況から私の関心は次第に自殺と自殺予防というテーマへ向いて行きました。2008年以降,日本自殺予防学会へ参加したのもその一つの表れです。そして今日本で最も必要とされている文献は自殺関連の書であると思うに至りました。
そこで前述,ブルース・コンネル先生に問い合わせ,今最も推薦したい自殺予防に関する図書は何か尋ねたところ,2〜3の候補を挙げてもらい,中でもコンネル先生「一押し」が,シアによる本書でした。現在,King’sの死生学講座の必読教科書として採用されています。そのことからも本書が自殺学の専門書として,また臨床家の実践的教本として,北米ではいかに評価が高いかを物語っているのです。
 こうして私はシアを知ることになったのですが,まず,最初の2〜3章を読んで文章の読みやすさ,語り口の流暢さ,流れるような展開,論旨の一貫性,事例の適切かつ興味深い導入など,学術図書には珍しい読み物的なおもしろさにも魅了されました。まさにシア自身が話しかけてくるようで,全巻訳し終わったときには原著者と知り合いになったかのような錯覚すら覚えました。この作品を通して,シアが自殺へと傾く人々をなんとしても救いたいと願うそのひたむきさ,患者やクライエントを気遣い,思いやる人間的な温かさが伝わってきました。
 こうした経緯を経て,私はこのたび本書の出版に協力して下さった関係諸氏の評価を仰ぐことにしました。皆さんの感触は良好で,特に監訳を快諾して下さった松本俊彦氏は既に原書を熟知されており,「今,日本で最も必要とされている本です。できるだけ早く翻訳を進めて下さい」と言われました。わが国の自殺予防総合対策の旗頭である松本先生のお墨付きをいただき,力強い励ましを得て,意気に感じて翻訳に着手したのです。そればかりでなく,松本先生の監修は名実ともに不可欠で,シアの文章には精神医学の知識や素地なしでは難解なところも少なからずあり,精神医学の専門用語のチェックを含めて,あらゆる意味でご指導を仰ぐことになりました。
 さて,本書が自殺学の分野で画期的といえる由縁は,シア自身,序文で述べているように,現場で忙しく立ち働く臨床家向けに書かれた前代未聞の,実践的かつ簡略な自殺のアセスメント技法に関する手引き書であるという点です。不思議なことに,自殺についての著作は数々あるのに,なぜか,自殺念慮を引き出す手法について具体的に書かれた文献が世に存在しないと言います。
 シア自身,過去18年間の臨床経験から,自殺念慮のように極めてデリケートな事柄を引き出すことがいかに至難なわざであり,単なる直感や当て推量に頼ることが危険であるかを痛感し,科学的・論理的な技法の必要性を感じていたという背景があります。
 シアは自殺イベントに関する情報収集こそが,自殺企図者を救う決定的な鍵であると考え,そこで開発したのが「自殺イベントの時系列的アセスメント」(CASEアプローチ)でした。この技法の手ほどきが本書のメインテーマであり,また使命でもあります。時間に追われ,時には煩雑ともいえる臨床現場で働くものにとって覚えやすく簡潔で,膨大な情報を整理し包括でき,有効な情報を収集できるというさまざまなニーズを満たし,実践に絶えるのがCASEアプローチなのです。
 苦痛から逃れたい一心で,自殺へと限りなく傾斜していく人の内省的葛藤や心理的混沌の世界へ入り込むためには,臨床家たるもの戦略的に立ち向かう必要があるとシアは力説します。神話その二,「自殺を考えているものは,何かそのヒントを漏らすものだ」という話は当てになりません。
 CASEアプローチは戦略的なコンセプトであり,直近から近い過去,やや遠い過去における自殺関連の行動を時系列的に同定し,それらの情報を現在および近い未来の自殺リスクに関する判断材料にします。その有効性は臨床的に実証されており,またCASEアプローチのさらなる利点は,臨床家にとって無理なく自然な形で使えるということがあります。
 またCASEの効用をフルに発揮させるためのサブコンセプトなどもシアは周到に用意しています。臨床家が自殺念慮の多面的な要因について覚える方法(SADPERSONS SCALEやNOHOPE SCALE),特に切迫した状況でのリスク指標を心に留める方法(致死性の三和音),そして有効な答えを得る6つの質問技法などがそれにあたります。
 目前の患者・クライエントについて,そのリスク・レベルを外因性・内因性・脳生理学上の要因から特定し,中でも自殺イベントに直結する行動,すなわち自殺未遂,精神病の発症,自殺企図の告白など致死性の高い動向があれば警鐘ととらえ,単刀直入に,具体的な言語を駆使し,かつ相手のプライドを損なうことなく,霧に覆われた自殺念慮を引き出すというものです。まさに人の命がかかった真剣勝負の世界であり,この領域においては見落としやいい加減は許されず,徹底した合理主義,実証主義が要求されます。シアの表現を借りればそこでの臨床家は,決定的な情報を探知する高性能の「測定器」なのだと。
 一方で,いかに万全な戦略をもってしても,また経験豊富な臨床家であっても,不測の事態は避けられないこともあるとシアは謙虚に自認しています。彼自身,患者に自殺されたことがあると言い,またKing’sのコンネル先生もパーソナリティ障害に苦しむ思春期のクライエントを救えなかったと言います。臨床家にとってそうした経験は痛みや無念さを伴うには違いないでしょう。しかし仮にもCASEのような技法を知り,それに基づきやるべきことは全て行なったと確信できれば,不必要に苦しまずにすむとシアは考えます。その意味でもCASEは臨床家の味方と言えるのです。
 本書はCASEアプロ―チという自殺アセスメントの一つの技法をひも解く解説書と言えますが,だからといって単なるハードコアなマニュアル本ではありません。自殺という現象を深く掘り下げ,その多面性を雄弁に物語っている読み物としても引きつけられます。人生は小説よりも奇なりと言いますが,シアが紹介する数々の臨床事例には心を揺さぶられ,特に著名人,シルビア・プラス,カート・コバーン,エリザベス・シドル,そして三島由紀夫らの自殺についての記述と分析は秀逸です。読む人によってどの事例に興味を持つかは人それぞれでしょうけれど,多くの苦痛に耐えながらついに荒れ狂うメールストローム(北海の大渦)へ飲み込まれてしまう人たちには,同じ人間としてシンパシーすら感じるのは訳者だけではない気がしています。
 私はグリーフ・カウンセラーという仕事柄,外因性スレッサーの一つ,死別喪失が引き金となって自殺したエリザベス・シドルやブルーノ・ベッテルハイムの事例に特別な関心をもちました。シドルは待望の赤ん坊を死産し,我が子との一致願望,天国での再会信仰に抗しきれず,ついに過剰服薬で自殺とあります。母親にとって死産はまさにトラウマであり,長期にわたり現実乖離,極度のうつ,PTSDなどを発症することもあるでしょう。シドルは19世紀の人,現代であればトラウマケアの対象というべきかもしれません。
 ベッテルハイムは,高齢で妻に先立たれるが,その後脳卒中を患い,後遺症で著述ができなくなった。作家としての道を断たれ,アイデンティティの危機に直面し,自殺を選んだ。男性にとって妻との死別と失業(定年退職)が同時発生すると自殺率が急上昇すると言います。私生活,社会生活の両面で自己意識にダメージを被る痛手は絶大で,生きる意味の喪失にも直結します。この事例は高齢者に普遍的な誰にも起こりえる話で胸に迫るものがあります。だが,フランクルの言葉――どんな悲劇にさえも何か意味を見出すことができれば,生き続けられる――を信じられたなら少しは違っていたのではと,正直思わずにはいられません。
 さて日本の読者にとってシアが三島由紀夫の切腹事件を取り上げていることに少なからず興味を持つのではと想像します。シアはこの事例解説について主としてヘンリー・ストークスの文献を参考にしているようですが,三島の自殺は,@屈辱回避,A己の行動に責任をとる,B政治的信念の表明,という三つの目的を果たすものと見なしています。しかし三島のこの事件の背景を知るもの,あるいは三島文学に精通したものが読んだら,シアの分析には異論を唱えるだろうと推察します。自衛官たちを前にしてあの場の流れや事態収拾で三島が切腹を図ったとは考えにくく,むしろ自殺は計画的で彼特有の演出もあったのではないか,また三島の美学や哲学を知れば,彼の死は政治的表明というよりも,死の哲学的・文学的意味づけととる方が妥当ではないかと思います。
 シアを弁護するなら,彼は日本文学や日本史の専門家ではないわけで,その上,三島文学は今日の日本人にとっても難解なところもあり,多少マトはずれなシアの指摘は文化的なバリアとして見過ごすことにしたいです。この本は比較文化論を闘わす場所ではないことは衆知のことだからです。
 ここまでシアの本の優位性や興味について述べて来ましたが,「あとがき」の括りとして,どのような読者にこの本を推薦したいか申し述べさせていただきます。まず原書の副題に「メンタルヘルスのプロフェッショナル及び薬物乱用のカウンセラーに向けて」とあります。
自殺者の半数が死亡の1カ月月前にプライマリケア医の診察を受けていたという背景から(p.21,米国の例),また自殺既遂者の95%がその行為の直前に何らかの精神障害を罹患していた(p.121,米国の例)ということから,まずは医療者全般,特に精神科医,精神医学の研究者にはぜひ推薦したい逸書です。そして副題に基づき,薬物・アルコール乱用治療に携わる専門家や援助者にとっても必読書と言えるでしょう。
 次に,自殺念慮の要因は精神疾患にかぎらず,あらゆる人生途上の危機や苦悩が引き金になっていることから,広くメンタルヘルスケアに携わる多分野の援助者――学校,企業,病院,カウンセリングルーム,障害者相談センター,精神福祉保健センター,高齢者施設,宗教施設など――の方々に,自殺に関する全般的な知識を備え,有効な介入の技法を学んでいただくという意味で,ぜひ本書をお薦めしたいと思います。
 シアの訳書が日本における自殺予防対策の一助になることを切に願っています。
 最後に,本書の企画にご賛同くださり,実現に向けてご協力くださった松本俊彦先生,近藤正臣先生,冨田拓郎先生,冨田教室の門下生,企画の主旨をご理解くださり出版のご決断をしてくださった立石正信社長に心からの謝意を表したいと思います。

2012年6月
鈴木剛子