監訳者あとがき


ハイリスク,ハイリターンの対立から
ローリスク,ハイリターンのCRAFT へ


 本書で詳述されているCommunity Reinforcement and Family Training(以下,CRAFT)は,家族または友人を介して治療を拒否している薬物依存症患者を治療につなげる科学的に支持された認知行動療法プログラムである。CRAFT を受けた家族や友人の64.86%は,薬物依存症患者を治療に繋げることに成功している。この成果は,介入の参加者が配偶者や親であろうと関係なく,薬物依存症患者と一定量以上のかかわりがあれば同様の成果が期待できる。また,この成果は依存症患者が使用している薬物の種類にも影響されない。このことからもCRAFT が極めて高い成果を上げていることがわかる。
 依存症患者を治療に繋げる手法はこれまでにも存在したが,それは,ジョンソン協会式介入に代表されるような対立的手法であった。ジョンソン協会式介入では,CRAFT と同様に高い確率で依存症患者を治療に繋げることができるが,その一方で,治療を最後まで受けることのできる参加者は非常に少ないという問題があった。つまり,従来の対立的手法は,ハイリスク,ハイリターンの手法であったといえる。
 一方,CRAFT では,依存症患者を治療に繋げる際に対立的手法を用いることはない。本書からわかるように,CRAFT では,依存症患者と良好な関係のなかで依存症患者の治療への動機づけを高めることを重視している。そのために重視されているのが,CRAFT の参加者自身の心理的機能の改善とコミュニケーション・スキルの向上である。CRAFT で重視されているコミュニケーション・スキルでは,カウンセリングで重視される,受容,共感が徹底されている。CRAFT は,依存症患者との良好な関係を基盤にして,依存症患者を治療に惹きつけるローリスク,ハイリターンの手法であるといえる。
 CRAFT は傑出した成果を有するだけでなく,その汎用性の高さも大きな特徴である。まず,実施者は必ずしも依存症の専門性を有する必要はない。また,CRAFT の実施者は認知行動療法を専門としている必要もない。CRAFT は,カウンセリングの基礎をしっかりと身につけている臨床家であれば十分に実施可能なのである。この汎用性の高さからも,CRAFT は依存症患者の治療に携わる人だけではなく,多くの専門家にとって実施可能な汎用性の高い手法であるといえる。
 ここで本書の翻訳プロジェクトの経緯を紹介したい。本書の存在を知ったのは,2008 年に訳者の一人でもある佐藤寛先生が留学していたOregon Research Institute を筆者が訪問した際に,佐藤先生の紹介でHyman Hops 氏と面談した時であった。その面談で,筆者が関心を持っているひきこもり支援について議論する中で,大人になった子どもを治療に繋げるための家族プログラムがないかをHops 氏に尋ねた時,Hops 氏が迷わず紹介してくれたのがCRAFT であった。
 実は,筆者の専門は依存症治療ではなく「ひきこもり」である。筆者が本書の翻訳を提案した経緯も,ひきこもり状態にある人を治療につなげるためにCRAFT を応用できないかという思いからであった。そういう意味では,認知行動療法を専門とはしていても依存症患者との関わりはほぼ皆無であるまったく門外漢が翻訳を手がけたわけである。
 そんな筆者の非力さを補うには余りある先生方に監訳を引き受けていただいたことは,本書の翻訳プロジェクトを成功させる上で必須の条件であった。原井宏明先生は,ハワイ大学精神科アルコール薬物部門に留学され,動機づけ面接トレーナーの資格もお持ちである。原井先生は依存症患者の治療動機づけを習得された本邦における唯一の認知行動療法家であるといえる。
 本書の翻訳においても,原井先生から専門的観点から多くのご助言を頂いけたことに感謝申し上げたい。杉山雅彦先生は,行動療法学会の理事長という大変ご多忙な職責にありながらも監訳をお引受け頂き,多くのご助言を頂いた。監訳作業の要所要所で的確なご助言をいただけたことに感謝申し上げたい。
 本書の翻訳においては,認知行動療法研究の第一線で活躍されている先生方に訳者を引き受けていただけたことも大変幸運なことであった。実力者揃いの先生方に翻訳をしていただけたおかげで,大変読みやすい訳本になったと自負している。
 編集業務においては,金剛出版の立石正信社長の全面的なご協力を得て,厳しいスケジュールの中,出版までたどり着くことができた。心より感謝申し上げたい。
 本書は,CRAFT の背景,科学的根拠,詳細な手続きについて体系的にまとめられており,CRAFT に関心のある方には必携の書であるといえる。本書を通じて,問題を持った人と対立することなく,治療に惹きつけるローリスク,ハイリターンの手法が本邦においても主流となることを願っている。

2012年8月
境 泉洋