『ナラティヴ・プラクティス−会話を続けよう

マイケル・ホワイト著/小森康永,奥野 光訳
A5判/230p/定価(本体3,800円+税)/2012年11月刊

評者 斎藤清二(富山大学保健管理センター)


 本書は,2008 年に亡くなった,ナラティヴ・セラピーの創始者,マイケル・ホワイトの遺稿集である。評者は,創造的な実践家や研究者が遺した最晩年の著作を読むことが好きである。そこにはしばしば,一つのライフワークを成し遂げ,すでに世界的に評価を確立したその著者の体系を,さらに超えた何かの萌芽が見てとれることがあるからだ。例えばストレス研究分野において,神様とも言われたリチャード・ラザルスの最晩年の著作において,それまでの自身のものを含めたストレス研究のほとんどすべてが批判的に検討された上で,「ストレスと情動,評価,対処は区別できない一体であり,それに接近する最も適切な方法は“ナラティヴ”である」という衝撃的な結論が導かれている。おそらくそれは,多くの後継研究者や読者にとってさえも受け止めることが難しい新たなインパクトだったのではないかと想像される。
 ホワイトが生前に出版した『ナラティヴ実践地図』は,彼のナラティヴ・セラピーのまさに集大成としての図式を私たちに提供してくれたと思うのだが,その地図にさえ収まりきらない新しい物語の萌芽を含んでいたのではないかと思う。評者にとって印象的だったのは,ヴィゴッキーの「発達の最近接領域」の理論によって説明された「足場作り会話」に関する記述であった。本書の第4章・5章における,「抵抗」「逆転移」についての理論的考察は,ナラティヴ・セラピーと,古典的な(というよりは常にセラピーの最重要概念である)「抵抗」と「逆転移」を結び付ける論考であり,非常に興味深かった。ナラティヴの基本姿勢としての,止むことのないリフレクシビティへのコミットメントを再確認させられた思いである。
 本書は遺稿集であることから,その収集,成立過程についての豊かな情報と記述があり,さらにはシェリル・ホワイトによる,マイケル自身の歴史的,個人誌が記載されている。年齢的にさほど違わない評者としては,ナラティヴ・セラピーの創始者の人間的な側面,時代背景のイメージに触れることができ,今までにない親しみを感じた。1948年生まれと言えば,日本ではまさに団塊の世代の最後に当たる。ほぼ同時代の日本人として,第二次世界大戦後のヴェトナム戦争や,米国におけるニューエイジ・ムーブメントなどとの関連にも想像が及んだ。その時代に共有された文脈は,特に第1章〜3章において力強く掲げられている,権力への抵抗,操作主義に対する反抗,そして常に自らに内在する,暗黙の権力性・操作性への徹底的な自省的態度と倫理的挑戦に現れているように思われる。第一章の「世界をセラピーに取り込むこと」という力強いタイトル(残念なことに,本文と目次において,「セラピーを世界に取り込む」と誤植されている)は,ナラティヴ・セラピーが個人的な心理療法のレベルを遥かに超えて,世界を,社会をチェンジすることを目指す壮大なスケールをもったムーブメントであることを象徴しているようにみえる。問題はこのような志向が,これからの世代に適切に継承されていくのかということである。特に現代の日本というローカルなコンテクストにおいて,ドミナントストーリーとはなんであるのか,挑戦すべきドミナントストーリーは誰によって構成されているのか,といったポストモダンを超える課題については,継続的で丁寧な対話のみが挑戦の手段となるだろう。
 本書のもう一つの魅力は,編者のデイヴィッド・デンボロウや,盟友デイヴィッド・エプストンによる詳細で魅惑的な解説や序文が掲載されていることである。特にエプストンの序文は,今はもういないホワイトとともに,ウィスキーのグラスを傾けながら会話しているといった趣の手紙形式で語られており,とても情緒に満ちている。序文の冒頭の,バーテンダーの視点からみた短編の引用は印象的である。
 評者の連想を最後に書いてみたい。ジェームス・スチュアートが主演する「ハーヴェィ」という映画がある。この作品では,主人公が,やはりいきつけのバーにでかけて,二人分の飲み物を注文し,目に見えない友人「ハーヴェィ」と会話する。ハーヴェィは実は主人公にだけ見えているケルト神話の精霊(巨大なウサギ)なのである。ハーヴェィと主人公の最初の出会いのエピソードが面白い。ある時,酔った主人公の前に現れた巨大なウサギに主人公が尋ねる。「君はなんという名前なんだ?」。巨大なウサギは逆に質問する。「君が一番好きな名前は?」。主人公はしばらく考えてから答える。「ハーヴェィだよ」。すると精霊は言う。「偶然だな,僕の名前もハーヴェィだ」。それから二人は親友になる。このようにして集合的な物語は,それまでは別々のものだった私たちを,ユニークなやり方で結び付けるのだろう。

原書 White M : Narrative Practice : Continuing the conversation.