『こころの性愛状態』

ドナルド・メルツァー著/古賀靖彦,松木邦裕監訳
四六判/372p/定価(本体4,800円+税)/2012年11月刊

評者 福本 修(恵泉女学園大学/長谷川病院/代官山心理・分析オフィス)


 本書は,“Sexual States of Mind”(1973)の全訳である。著者メルツァーはクライン派の中でも特異な理論家だったが,論述構成が主に断章とスケッチからなることが多いので難解な印象も与えて来た。しかし2004年の没後も広く読まれており,今では彼の著作は本書も含めてほとんどを,PEPWEBというサイトで読むことができるようになっている(オンライン,有料)。日本でもさらに訳出が計画されていると聞く。なかでも本書は,人間の性的なものsexualityを巡って,フロイト以来の発見と混乱をクラインの諸概念に依拠しつつ整理し,彼独自の考察を深めたものである。評者は10年前にその内容を紹介したことがある(『精神医学の名著50』所収)が,今も高く評価している。改めて出版の40年後に読むと,本書は著者メルツァーのキャリアと関心が収斂し,多様な「こころの性愛状態」をかつてない明解さで描き出していることが分かる。彼が当時のクライン派では例外的に,青年期そして精神−性的な発達を論じているのも,最初アメリカで研修を受けた経験が生かされてのことだろう。まだ1970年代前半には,自我心理学とクライン派の間の「切迫感」は世界的に極めて強かったようだが,メルツァーは期せずして自我心理学の主題を取り上げ,クライン派の立場を徹底して論じている。
 小児の性愛を発見したフロイトは最初,それですべてを説明しようとしたが,当然ながらもっと複雑な事象を解明しようと探究を続けた。精神−性発達の図式やエディプス・コンプレックス,超自我の概念は,そうした中で重要性を獲得したものである。一方クラインは,乳児的な不安と対象関係の性質に注目し,「成人」や親の機能について多くを語らなかった。メルツァーは,発達を内的両親の機能が内在化していく過程として捉え,フロイトとクラインを接合している。フロイトの性と発達の理論を総説した第1部を足場として,彼は第2部「性理論構造的改訂」で,成人−乳児・多形性−倒錯性・倒錯的性愛−性倒錯といった概念をメタ心理学の水準の基本的な区別として導入して現象を切り分けていく。
 おそらく本書で最も目につくのは,「倒錯」を巡るさまざまな議論だろう。「多形的polymorphous性愛」は,制止または未成熟という発達の遅れが問題であり,原光景への侵入的同一化が見られても,倒錯とは動機が異なっている。倒錯の基本は,自己愛組織の表現であるか抑鬱不安の防衛であるかである。そこでは,パーソナリティが悪い対象に占拠され,生殖本来の創造的目的にではなく破壊的目的に奉仕するようになっている。スタイナーが「病理的組織化」という概念にまとめ上げた問題は,40年以上前にローゼンフェルドやメルツァーが取り組んでいたものである。
 それから,一気に読もうとすると疲れて見落としてしまうかもしれないが,「成人」の性愛についての積極的な特徴づけは独創的である。彼は,欲動論に根差した「昇華」の概念では捉えられないものを,「仕事work」の意義を通じて考察している。
 24章からなる本書の主題は多岐にわたり,読み返すたびに新たな発見があるのは,断章形式の効果である。自閉性障害の専門家でもある彼の論考は,時代の推移に耐えるものがあり,折々に再読すべきだろう。

原書 Meltzer D : Sexual states of mind.