私は,二人の恩師に恵まれた。安永浩先生と土居健郎先生である。安永先生には,精神科医としての手ほどきを受けた。クルズスと呼ばれた先生の講義を受けた後,外来診察に臨席させて頂いた。先生は患者の話を穏やかにお聞きになり,静かに頷いておられた。生意気だった私は退屈し早々に切り上げてしまったが,もっとそこから学んでおけばよかったと後になって後悔した。先生の教えである,「受容は限りなく可能である」という精神科臨床の根幹に関わることを,さりげない態度で実践されていた。
 その後,土居先生に出会い,臨床的なご指導を仰いだ。先生のケースの見方は,直観的に本質に切り込むシャープなもので,私は息をのんだ。先生の計らいで聖路加国際病院に勤務するようになり,お側で仕事ができる僥倖に恵まれた。土居先生を囲んでのケースカンファランスでは,何よりも患者を理解することについて,そして甘え理論,日常語による臨床の大切さなどを実践に即して学ぶことができた。また,先生の信仰の篤さにも感銘を受けた。
 平成4 年,聖路加国際病院は新病院に建てかえられ,旧病院は一部を残して取り壊された。建物は立派になったが,私は旧病院の歴史を感じさせる雰囲気がとても気に入っていた。また旧病院時代までは病院の運営が民主的になされていたが,それも大きく様変わりした。私は新病院に馴染めなくなり,33 歳から15 年間にわたって勤務した病院を辞した。その後17 年間,開業精神科医として臨床を行ってきた。
 2009(平成21)年7 月に土居先生が,長い闘病生活の末,永眠された。その後,2011(平成23)年3 月に安永先生がお亡くなりになった。二人の恩師に先立たれ,大きな喪失感の中に私はいる。ずっと著作活動から遠ざかっていたが,その喪失感を埋める必要からだろうか,私は自分の物を書きたいと思うようになった。
 安永先生の影響が大きいと思うが,私は統合失調症圏の精神病理への関心が強かった。そして土居先生の指導の下で,精神分析的な治療を行ってきた。今回,それを「統合失調症の精神分析」というテーマでまとめ,著書として発表することにした。まだ十分に解明されていない新大陸を開拓するような試みである。それは胎生期の心理学に光を当てる作業である。これまでに発表したものと,新たに書き下ろしたものをまとめているため,多少重複する面はあるが,お許しを願いたい。本書を今は亡き二人の恩師に捧げたいと思う。
 金剛出版の立石正信氏には,出版に際してのすべてのご配慮をいただいた。生みの親と言っていい。感謝申し上げる。文献についてお世話になった出雲貴志氏,河田華絵氏にも感謝したい。最後に,40 年近くに及ぶ,私の医者としての臨床を陰に陽に支え続け,また,本著の上梓に当たっても推敲を重ねてくれた,妻,中野潤子へ心からの謝辞を述べたい。