『ヒルガード 分割された意識−〈隠された観察者〉と新解離説

アーネスト・R・ヒルガード著/児玉憲典訳
A5判/460p/定価(本体7,400円+税)/2013年2月刊

評者 高石恭子(甲南大学)


 本書の著者は,その名を冠した『ヒルガードの心理学』という大部の教科書(初版1953 年)で世界中に知られる,アメリカを代表する心理学者の一人である。2001 年に97 歳で他界するまで,20 世紀の心理学の潮流とともに歩み,初期には実験心理学の領域で業績を挙げ,長くスタンフォード大学で指導的役割をとり,40 代半ばで米国心理学会の会長も務めた。研究生活の後半には精神科医である妻とともに,自身が設立した研究所において,行動主義心理学や精神分析学の台頭により衰退していた催眠の実験的研究に取り組み,人間の意識や行動の制御メカニズムの解明に大きな貢献をなした。
 評者は,彼の弟子たちによって改訂が続けられている上記の教科書の邦訳(13 〜 15 版)に参加しているが,そこで感服させられてきたのは,彼の心理学への関心の幅広さと,しばしばアカデミズムにものしかかる時代社会の流行や圧力に対して,常に公平で客観的なスタンスを貫く姿勢であった。その姿勢は,1977 年に原題“Divided Consciousness : Multiple Controls in Human Thought and Action”として刊行され,1986 年に増補版が出された本書でも,隅々にまで反映されている。
 本書で彼が試みたのは,1889 年にジャネが創始したとされる古典的な「解離」概念を見直し,さまざまな現象や実験的知見を検討することを通して,異常か正常かの二分法を超えて,現代の一般心理学にも通用するように新たな理論化を行うことであった。第1 章では本書の意図が概説され,第2 〜 7 章では,憑依,遁走,多重人格,催眠性年齢退行,健忘と抑圧,夢,幻覚,想像,筋肉運動の不随意的制御,自動書記などの多様な現象が解離の例として紹介され,第8 〜 10章では主に著者らによる催眠実験の詳細が,また第11 章ではそれらの証拠に基づいた新解離説が提示される。さらに第12 章では,その仮説が,認知心理学や精神力動的心理学など他領域の動向と関連づけて考
察される。
 解離は通常,催眠によって助長されるが,訳書の副題に採用されている〈隠れた観察者〉とは,催眠下の解離された意識状態のなかで,催眠下の意識とは別に,催眠者がアクセスできる「すべてを知っている観察者」が存在する場合があるという著者らの特記すべき発見を指している。解離は,水平な健忘障壁による意識の分割であり,催眠暗示により被験者はその障壁を越え,自力では接触できなかった観察者の意識を取り戻せるのである。それらの実験の刺激的な手続きと内容の数々は,21 世紀の今日では研究倫理の問題とも関連して再現の難しい,貴重なエビデンスと言えるだろう。
 しかし,本書の意義はその発見に集約されるわけではない。今日,私たち現場で心理臨床に取り組む者にとって,解離が多重人格やPTSD といった病理だけでなく,広く一般の青年たちの意識のありようを理解し,援助するための重要な手がかりとなっていることは周知の事実である。抑圧によって無意識下に押しやられる心的内容は,より未分化で,より不適応的なものとされるが,新解離説において水平に隔離される心的内容は,それぞれがある程度の自律性をもっており,必ずしも否定的なものとは限らない。評者が学生相談という青年期の臨床現場で日々出会う青年たちの,神経症症状を形成するには至らないが,漠然とした自己の不連続感や不統一感に不安を抱くそのありようは,「ゆるやかな解離」とでも呼ぶのが最もふさわしい。
 解離と抑圧は補完的な概念であり,臨床的な区別には意味があるが,両立しうるという彼の見解は,初版から40 年近くを経た今日でも決して色褪せない。催眠に馴染みのない人には,読み進めるのに時間が少し必要かもしれないが,それだけの価値がある大著である。

原書 Hilgard ER : Divided Consciousness : Multiple Controls In Human Thought And Action