本書の原著のタイトルはTalking Cure : Mind and Method of the Tavistock Clinic であり,直訳すれば「癒しとしての語り―タビストック・クリニックのこころと方法」といった感じになるでしょうか。本書はタビストック・クリニックの先鋭のメンバーとその関係者によって一般向けの書籍として出版されたものです。また,本書と連動した企画として,英国のBBC がタビストック・クリニックを中心とした精神分析の現代社会への貢献をテーマとしたTV 番組を6 回のシリーズにまとめて放映しましたが,その企画も好評を得ました。
 “Talking Cure”という用語は,フロイトとブロイラーの共著である『ヒステリー研究』に登場するベルタ・パッペンハイムBertha Pappenheim によって語られたものとされています。精神分析的に特別な意味が付加されたこの用語は,一般の人にも十分に意味をなしています。つまり,“Talking Cure”というタイトルは精神分析の専門家と一般の人々を結ぶシンボリックな意味を持っています。ここではこのタイトルが含意するシンボリックな意味について,いくつか思いつくままに述べていきたいと思います。
 まず,人は誕生した瞬間から,語ることによって歓喜を分かち合い,苦難を乗り越えてきたということです。人は語ることによって,自らを癒してきたのです。もちろん,語ることは言語的表現だけに限定されません。たとえば,赤ん坊が嬉しそうに身体を動かしているのを見て,母親はそこに喜びを感じとりますが,その時の赤ん坊は身体を使って,母親に語りかけているのです。
 また,芸術家は自らとの語りの表現として作品を捻出します。そして,魂との会話によって成立した作品であればあるだけ,その作品は他者への語りとなり,感動を巻き起こすことでしょう。本来,語ることは人が人として成立するための本質的な条件です。この語ることの重要性に気づいたのは,他ならぬフロイトでした。精神分析は人が語ることに科学的,医学的視点を加えることによって,語ることそのものに意義を見出し,それを治療技法とする自由連想法が創案されました。
 このようにTalking Cure という本書のタイトルにはシンボリックな意味がさまざまに含まれているのですが,本書の邦文のタイトルとしてこれらを含意する日本語を見つけることは至難の業でした。そのため本書のタイトルはトーキング・キュアと原題をそのまま使用することにしました。さらに本書は人生の様々なライフステージで出会う困難において,語ることの重要性が豊富な症例とともに記述されています。そこで副題は「ライフステージの精神分析」としました。
 さて,監訳者まえがきとしては本書の全貌やその哲学についても触れなければなりませんが,それは編者デビッド・テイラーのまえがきに充分に説明されていますから,あえて本書のあらましを改めてここで紹介する必要はないようです。あえて付け足すとすれば,欧米諸国,我が国でも,現代は精神科では薬物療法,臨床心理現場では認知行動療法が全盛であり,コスト・パフォーマンスの悪い精神分析などの心理療法は劣勢を強いられています。しかしながら,本書はこうした現代のトレンドにあっても,精神分析の失われていない価値を見出すことを可能としています。また,本書の読者層を想像するに,本書はおそらく心理学を学び始めた学部生や大学院生などの入門書的な役割を果たすだけでなく,すでに精神分析,他の心理療法に熟練した人たちにも充分に読み応えのある本であることは疑いのない事実です。
 本書は17 章から構成されています。本書の各章には精神分析的な臨床記録がかなり詳細に記載されています。この記録は客観的所見であり,多くの読者にとって充分に科学的エビデンスになることも納得していただけることと思います。ただ,科学的ということがエビデンスであるだけでなく反復可能であることも示すというさらなる枠組みにこだわれば,人のこころの科学的研究は永遠に成し遂げられることはないでしょう。なぜなら,まったく同じ人生を歩める人は決していないからです。しかし,科学的であるということのエビデンスを数字,あるいは実験結果だけに求めるとしたら,それはとても愚かなことです。人の複雑なこころ全体,人生のすべてを数値化したり,画像化できると真面目に思う人はいないでしょう。人類の起源を遡れば単細胞動物に行きつくのかもしれませんが,人は自分たちが原生動物のような刺激に反応する/しないという単純なデジタル反応からアナログ思考という素晴らしい道具を手に入れ,気候などの環境にも適合し,社会や集団を形成することによって動物界で繁栄してきたことを忘れてはいないでしょうか。フロイトはひとつの症例から普遍性を語りましたが,私はこれこそアナログの科学の極致であると思っています。もう一度,皆さんが人のこころに関する科学とは何であるかを再考する時代になっているのではないと感じます。
 最後に,本書には目次に小見出しが付いていないので,各章の手短な要約をご紹介します。各章のテーマは人生で出会わなければならない必然的なテーマ,正常,精神疾患,科学技術の進歩に伴うこころに関するテーマですが,精神分析を超えて人間,人生とは何かについてもさらに考えなければならないという知の本能を刺激するものでもあります。

第1 章「こころのめばえ」では,こころがいつどのようにして始まり,活動するようになるのかという困難な課題を超音波画像や実際の観察を用いて説明しています。こころは動的なもので,情緒的要因によってその成長が遅れることもありますが,こころには外界との関わりによって活性化する潜在的能力があることが論じられています。

第2 章「遊び(プレイ)」では,遊びを主題として,遊びが人々やその発達に果たす役割,遊びが持つ機能を,フロイトが孫の観察から導き出した糸巻き車の遊びの意味やウィニコットの「移行空間」の概念などを紹介しながら論じています。また後半では,プレイセラピーがこどものこころの発達をいかに促進することができるかを提示しています。

第3 章「こどもと純心さ」では,多くの大人が期待しがちなこどもの純心さを主題としていますが,その背後には大人が認めがたいこどもの性欲の存在や残酷な一面があることに触れています。また,虐待が行なわれればこどもの純心さが激しく侵害され,こどものこころの発達を大きく歪めてしまうことについても論じています。

第4 章「成長のプロセス」では,情緒的成長が,発達を推し進めたいという願いと,他者に依存し安全な場所に退却してしまいたいという両極端な思いのなかで成し遂げられていくことを伝えています。さらに,成長の過程で避けられない喪失や分離に人がどのように立ち向かっていくのか,そこで友人や両親が果たす大きな役割についても論じています。

第5 章「こころの成り立ち」では,こころを生じさせているのは生物学的な脳であるという考え方と,その脳が発達するには他者の存在や他者のこころが必須であるという考え方の両方を取り上げ,人のこころの成り立ちを探求しています。そのなかではビオンの不在の乳房に耐えることから生じる思考と思考作用の問題についても触れています。

第6 章「愛」では,愛の起源を乳幼児期の母子関係に遡り,愛とは何かを探求しています。さらに,恋愛には母子関係に見られる愛と憎しみのアンビヴァレンスが当初,理想化のために認められないことに触れ,その恋の果てには何があるのか,成熟した愛とは,その喪失とは何かといった論点にまで議論を展開しています。

第7 章「夢を見ること」では,フロイトが重要視し,心理療法でも患者の無意識的空想へのアクセスを可能にする価値あるものとして扱われている夢を主題として,夢はどのように生まれてくるのか,夢は何を語っているのか,夢にはどんな機能があるのかについて精神分析的な観点を中心にして論じています。

第8 章「家族」では,システムとしての家族とその構成要素としての家族メンバーの関係性という視点から,家族システムの変容やメンバー間の相互作用,メンバー間の意見調整,家族の持つレジリエンスについて論じています。家族の問題は先進国では大きな問題となっており,改めてこの問題を考える機会を提供しています。

第9 章「集団」では,さまざまな規模や複雑さを持つ集団を取り上げて,その本質について論じています。集団は個人と集団,集団間など独自の力動性を持ち,そこでは特有の嫉妬や狂気,葛藤といった情動が生じることを説明しています。グループセラピーという心理療法では個人の内的状態がグループに投影され,それぞれの課題が扱われることにも触れています。

第10 章「仕事」では,仕事が個人の自尊心や存在価値に寄与し,職場において他者との関わりから生じる多様な情緒が個人に影響を与え,個人の問題を反映することを提示しています。仕事が所属すること,影響力を持つこと,達成することという人間の基本的な欲求を満たす一方で,失業という悲嘆がこころの疾患につながる可能性にも言及しています。

第11 章「こころの食べ物」では,身体的に栄養を与える食べ物だけでなく,日常生活や人間関係から受ける刺激がこころに栄養を与える食べ物として成長を支えることを論じています。誕生直後から経験する身体感覚や他者との関係はさまざまな情緒を引き起こし,自己理解につながりますが,早期の情緒的剥奪は本来必要な栄養を取り入れられずに発達を阻害することを指摘し
ています。

第12 章「正常と精神疾患へのこころの態度」では,精神疾患に対する人々の偏見や態度を取り上げ,正常と異常について人間が抱く不安や恐怖を説明しています。精神疾患を抱える人と接することで自分自身のなかにある異常や狂気に触れ,こころのなかで掻き立てられる不安を回避するために精神疾患を拒絶しようとする人間の心的様相についても議論を展開しています。

第13 章「精神的苦痛と精神疾患」では,神経症,うつ病,統合失調症といった精神疾患を抱える人が感じる苦痛について,その病像を踏まえながら論じています。フロイトの症例報告として著名なシュレーバーが統合失調症の発症後に体験した妄想や信念を表わした記述を紹介し,同氏の幼少期の体験が妄想に及ぼした影響についても示しています。

第14 章「心理療法」では,人間の情緒的な困難を解決する治療のひとつとして,主に精神分析的心理療法を取り上げています。事例ではクライエントとセラピストとの間で展開される初回面接,転移,防衛などに焦点を当て,「トーキング・セラピー」のなかで自分の人生にとって支障となっているこころの問題が明らかにされ,内的世界が修正される過程を説明しています。

第15 章「時を刻むこと」では,人生における時間感覚やライフサイクルといった時の流れが人間の発達に重要であると論じています。心的な困難や剥奪を経験すると時間の混乱や同じ課題の反復などが生じ,時間経過の感覚の欠如が成長を阻害することにも触れています。その一方で,永遠の若さを求めるあまりに時間の経過を認めない傾向がある点も指摘しています。

第16 章「年を重ねること」では,年齢を重ねるにつれて直面する老化による喪失や孤独,死の恐怖など老年期の課題について取り上げています。高齢者が自分自身について感じる不安だけでなく,高齢者,その家族,ケアをする人々の関わりのなかで生じる葛藤がそれまでの人生と関係していること,また,それを援助する心理療法についても触れています。

第17 章「未来」では,科学技術の進歩によって可能となった心臓移植と周産期医療を紹介し,人類が取り組むべき今後の問題と可能性を論じています。心臓移植に際して他者の身体の一部を受け入れることや胎児についての検査を受け入れることが,自分自身のなかに存在する不完全の許容と関係していることにも言及しています。

本研究はJSPS 科研費 23530921 の助成を受けたものです(研究課題名「発
達障害者の社会適応と治療的介入効果の検討―レジリエンスの視点から」