監訳者のことば

 『Couch Fiction』の監訳を依頼されたとき,それがマンガによる心理療法事例の物語であると知って,わたしは興味をそそられたが不安にもなった。カウチとは精神分析療法で使う寝椅子のことであるから,描かれた心理療法は精神分析的な心理療法の創作(フィクション)事例である。難解な学問のマンガ入門書は日本では何ら驚くべきことではない。しかしながら本書が出版されたロンドンは精神分析の世界的中心であるし,精神分析的心理療法の教育機関として有名なタヴィストック・クリニックがある。その地において心理療法の入門書であっても,マンガによって表現することは大胆な企てである。精神分析における無意識のこころの探求は言葉による分析(解釈)を主な手段にしているし,言葉でわかりやすく説明した心理療法入門書もたくさんある。マンガによる表現はそれへの挑戦のように感じられる。
 それを一人のサイコセラピスト,フィリッパ・ペリーが企てた。マンガの方はロンドン在住の日本人ジュンコに依頼,ペリーが書き上げた本書は学術書出版で知られるマックミラン社から出版された。さっそく多くの新聞等の書評で取り上げられ,「オブザーバー」誌では長文の著者インタビューとともに紹介されたように,外部からは何が起きているかわからない,密室の中の治療関係を一般の人にもわかるようにしたと高く評価されたのである。
 あとがきでサミュエルズが言うように,マンガにおいては会話だけでなく,心の中で思ったことが同一画面で表現されるから,言語的レベルだけでなく,非言語的レベルで相互に影響し合っていく治療者とクライエントの関係性がうまく表現されるのである。それゆえ本書では,両者の相互作用が実に生き生きと描かれていて,しかもユーモア豊かな描写と興味深いストーリーの展開があるので,心理療法のことをほとんど知らない人々には格好のガイドブックになっている。また治療の展開とともに,心理療法に関連した重要なコンセプトが簡潔に説明されているので,心理療法をはじめて学ぶ学生にとっても優れた入門書である。
 ここで心理療法と精神分析という用語の意味をはっきりさせておこう。心理療法とは治療者がおもに言葉と治療関係を使ってクライエントの心の問題と症状を解決する治療法である。その中で精神分析は非常に集中的で特殊な心理療法であって,それは週4〜 5 回の頻度の治療セッションを必要とする。精神分析の考え方や技法の影響を受けているが,それ以下の頻度の,多くは週1回の頻度で行われる心理療法は単に「心理療法」と呼ばれている。本書で描かれている心理療法はその意味での心理療法である。
 フロイト以来,精神分析療法は自宅での開業の場で行われてきた。自宅とは別のオフィスで治療をする精神分析家も現代では多くなっているが,ロンドンでは依然として自宅で開業する精神分析家やサイコセラピストはかなりいる。著者ペリーもその一人であるが,本書の主人公パットは週1 回50 分,自宅であるフラットの一室で,クライエントのジェイムズと自費による心理療法を対面法で行う。対面法ではお互いの視線や表情,姿勢などの非言語的な交流も治療的に重要であり,それゆえにマンガという形式による表現が有効なのである。
 精神分析療法は転移分析による無意識の探求であるがゆえに,フロイトは毎日の治療セッションが必須であると確信して,より頻度が低い心理療法においては無意識の理解によるだけでなく,治療者による暗示作用の効果に依らざるをえないと考えた。精神分析の成果が純金であるのに,心理療法のそれは合金に過ぎないというように,彼にとって精神分析こそが理想であった。フロイト以降,週1 回の心理療法でも転移の分析が可能であるだけでなく,治療成果を挙げるには重要であることが認識されるようになり,それは精神分析的心理療法と呼ばれている。現在こうした精神分析的心理療法は西欧世界だけでなく,日本でも大都市を中心に定着しつつある。
 それでも週1 回の心理療法において,精神分析を理想的モデルにして転移の分析を主にすべきなのか,それとも転移分析以外の考え方と技法も積極的に取り入れていくべきなのだろうかというフロイト以来の問題は現在ではより切実になっている。なぜなら現代では精神分析以外のさまざまな心理療法,とりわけ家族療法や認知行動療法が発展してきて,それらが治療期間の短さや治療的有効性のゆえに社会的に受け入れられてきているからである。心理療法は精神分析を理想的モデルにするのでなく,こうした非精神分析的観点や方法も取り入れるべきでないだろうか。
 パットが実践する心理療法はこうした方向性をとっている。もっともその基本にあるものは,精神分析的な観点である。すなわち週1 回50 分の治療構造をもった面接をして,治療関係において何が起きているかがパットの関心と理解の中心である。また現在の問題を過去の体験との関連で理解しようとする。弁護士のジェイムズが盗癖を主訴としてやってきたとき,パットはそれを抑圧された感情の症状的表出として理解して,その探求のために幼児期の体験に焦点を当てて聞いていく。何の問題もなかったと,素晴らしい子ども時代をジェイムズが語ると,パットはそこに防衛的な理想化を感じとって,子どものときの体験を探求する。ジェイムズは実は母親の愛情と関心が欠けた淋しい子ども時代を送っていたことが物語られるようになり,パットはそこに盗癖の起源があることを明らかにする。
 このようにジェイムズが過去を物語るとき,パットは治療関係で起きていることに注意している。ジェイムズが面接の「今ここで」どう感じているかにパットは関心を示している。それは幼児のジェイムズの感情が治療空間に転移されたものである。いつの間にかジェイムズ坊やが大人のジェイムズの傍に登場している。それはパットのこころに影響を及ぼす。彼女は逆転移─ジェイムズへの自らの感情反応に注意しながら,彼の無意識的な感情をどう理解し,どう対応したらいいのかを自問しつつ関わっていく。こうした治療者の観点と態度はきわめて精神分析的である。
 もっともジェイムズにとって「今ここで」の不快な感情に気づき,それを言葉で表すことは容易ではない。パットの関心は感情を彼に体験させることである。その感情にとどまるようにと指示をしたり,そのときの身体感覚に注意を向けるようにと導いたりする。ジェイムズが息をこらえていると,パットは呼吸をするようにと指示をして,そうしたらどう感じるかを問うている。これはゲシュタルト療法の技法である。そうした中で幼年時代から否認されてきた怒りが意識されるようになってくる。
 このようにパットの技法は転移を解釈しない。「今ここで」の感情としての怒りに焦点を当てるが,それを母親への幼児ジェイムズの怒りがパットに転移されたものと解釈することで彼の内的世界をさらに探求することをしない。パットの実際の対応の仕方に対する怒りとして共感的に受けとめて,治療関係において怒りを体験し表現できるようにするのである。
 幼いときから否認されてきた感情の体験と表現はジェイムズにとってまったく新しい態度である。それを学習して身につけるためには治療関係だけでなく,日常生活の中での実行と練習が必要であって,パットはそうした実践をジェイムズに指示する。パットの治療姿勢は精神分析家におけるように受動的中立的ではなく能動的であり,心理教育的である。自分が体験している感情が何かをジェイムズが判断できるように感情の種類の一覧表を与えたり,現在の治療の進行状況のチャートを手渡したりして,感情を体験し表現する新たな態度の習得へと方向付け動機づけようとする。そのためには暗示作用(プラセボ効果)も使用している。こうしたパットの態度は認知行動療法的と言えるであろう。
 それでは治療関係における性的な空想についてはどうだろうか。フロイトは性欲を理論の中心に位置づけて,近親相姦願望とその葛藤は精神分析療法の中心的テーマである。この事例においても性的空想は重要な位置を与えられている。ジェイムズが女友達に愛を表せないことを訴えたとき,パットは自分に対する感情を問うている。ジェイムズがようやく気付いた想いはパットに対する性的空想であって,それは露骨かつユーモラスに描写されているようなセックスの空想だ。彼はマイルドな恋愛空想に変えて報告しているが,それでもジェイムズがか弱いパットを援助する内容であって,それは現実の治療関係と逆転した力関係となっているから,その点をパットは取り上げて,ジェイムズの連想を聞いていく。親の愛と関心を求めていたジェイムズは繰り返し無視されていた幼児期のさまざまな記憶が想起されて,そうしたときジェイムズは自分が悪いからだと恥じていたことが明らかになる。これは愛の拒絶による自己愛の傷つきに伴いやすい恥の感情でありんだ認知の仕方である。
 しかしここでもパットは性的空想や自己愛的傷つきの転移的側面を治療関係の中で理解していくことを目指さない。無視されて恥じる反応のパターンをジェイムズが認識すると,パットに対して恋愛感情や親密さを体験して表現できたことを評価して,再びフワニータとの現実的関係に焦点を当てて,ジェイムズがそれらの感情を表すことによって親密な関係を実現できるように導いている。パットとの心理療法は幼児期から否認されてきた怒りと親密さを治療関係の中で体験することによって症状行動を解消することのみならず,面接の場をいわば基地として,そこから現実生活の中に出て行って,それらの感情を表して生きていくように援助するものであろう。
 幼少時の自己愛の傷つきに起因する深い人格問題を抱えたジェイムズの心理療法がほぼ1 年でハッピーエンドをもって終結するという創作事例は,マンガの世界でのお話と一笑に付すこともできるであろう。しかしこの「サイコセラピーのお話」は単なる空想でなく,精神分析が強力なロンドンにおいて実践されている週1 回の心理療法の現実を反映しているにちがいないし,そのリアリティーがあるから本書が高く評価されているにちがいない。
 日本での開業精神療法の現実を見ると,私たちは転移・逆転移の理解と扱い方のスキルをもっとしっかりと身につける必要性があると言わざるをえないが,同時に精神分析を理想とするのでなく,週1 回の心理療法を治療法としてさらに有効にする努力と工夫をしていかなくてはならない。その上で本書は,心理療法のあり方を現実的かつ想像力豊かに考えさせてくれる,きわめて挑発的でパワフルな問題提起なのである。

鈴木 龍